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Ⅶ
主久は重厚なカタログを開き、上質な光沢紙をハラリ、ハラリと捲 り商品 を眺める。最後のページになり、1人だけ不自然な価格に設定されている少年を見つけ、主久は真智雄に訊ねた。
「この…ルクスというのは、何故他の少年と比べてこんなにも安価の設定になっているのですか?」
真智雄は「やっぱりか」と思い、ひとつ咳をして答えた。
「このルクスという少年は我々の商品の中では年季が入っている年齢で御座います………。」
あとひとつ、重要な事実を伝えなければいけないのに、真智雄は言葉を飲み込んでしまった。だが、セールスマンとしてそれではいけないと意を決し、真っ直ぐに主久を見た。
「ルクスは、聾唖の少年です。」
商品 の欠陥だった。だがそれを伝えなければ、クレームがきてまた返品されかねない。先ほどのフルウス、フロウスの交わりを見て、あのような辱 め、虐めを受けてまた返されて、ルクスにはそんな時間は残されていない。
「聾唖、か。」
「はい…しかし、それでも日常生活に支障のないよう躾けて御座います…それに……。」
(ダメだ、感情的になっては交渉が決裂してしまう!落ち着け俺!)
セールスマン然としなければ、何度も何度も心に言い聞かせるが、ルクスの無邪気な顔や美味しい手料理、ルクスが今まで真智雄たちに与えてくれた温もりのようなものが脳裏に過ぎるとそれが不可能になる。
真智雄は白い手袋を脱いでテーブルに置いた。
座椅子から降りて、その横で正座するとそのまま頭を下げた。
「お願いします!妥協や安価という理由でその子を買わないでください!」
真智雄は必死になってしまった。主久は眼鏡の奥の鋭かった目が徐々に柔らかくなったが戸惑いの顔も出そうになっている。
「ルクスくんは聾唖で、育児放棄もうけて、学識、識字は正直に言うと小学生並みです。それでも、ルクスくんは一生懸命に生きてます!自分を受け入れて強く、強く生きてます!だから、だからぁ…ルクスくんには幸せになって、欲しくて………。」
震えながら、涙を流しながら真智雄は訴えた。真っ赤になった真智雄の顔に、主久は嘘がないと確信した。そして今一度、カタログのルクスの写真に目を向ける。真智雄の言うように、とても柔らかく、温かな笑顔に見えてくる。
「…もういい。」
主久のその言葉に真智雄は顔を下に向けてしまう。
(ああ…破談かなぁ………仕方ないか。)
真智雄は諦めたように手袋を取ると、テーブルの上に重い物がのる音がした。
「残りは4,320万円でいいのだろう。」
テーブルの上を見ると、黒いカーボン製のアタッシュケースがあった。おそらくその中に1億円が収められていることがわかる。
「あなたの泣き落としは作戦かもしれないが、LUX の目に嘘はないと思ったからだ。それに家事を一通り心得ているのならハウスキーパーくらいにはなるだろう。その子を買う。」
冷酷でどこか軽蔑していた主久の目が、今はとても優しかった。真智雄はそれにブワッと涙が溢れて、畳に額をこすりつけるほど頭を下げて最大級に感謝をした。
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