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 首都高速を新富町で降りると、ルクスの見たことがない洗練された街並みが目に入った。  近年の開発が目覚ましい、豊洲・辰巳エリアは高層マンションが乱立している。空に向かって真っ直ぐなそれらをルクスは惚けて見上げる。 (おっきなたてもの、こんなおっきなビル?みたことないや。サンプラザがいちばんおっきいっておもってたのに。)  真智雄はバックミラーでちらりと後部座席のルクスを見ると、少しだけ笑う。本当に無邪気な子供のようなルクスの顔を見ると安心したからだった。 『間も無く目的地に到着します。』  カーナビの無機質な音声が聞こえるのは真智雄だけ。いよいよルクスを引き渡す時間が迫っている。カーナビに設定していたのは、買主である主久が住むマンションからほど近い場所にあるコインパーキングだった。そのコインパーキングが見えると『ルートガイドを終了します。』とカーナビも終わり、駐車場も「空」と表示されていたので迷いなく入庫した。  ルクスも車が停車したことがわかると、真智雄の行動を目で追う。  真智雄は運転席から降りると、後ろのトランクから現金輸送用のアルミのアタッシュケースを取り出し、後部座席のドアを開ける。そしてルクスにゆっくりと読唇させた。 「い、く、よ。」  ルクスは小さく頷き、シートベルトを外して真智雄が差し出した手を取って車から降りた。初めて降り立ったコンクリートの地面がふわふわしているようだった。ルクスは無性に泣きたくなる。  その感情の正体は、きっと、不安。カタカタと震えているルクスの微動が真智雄に伝う。 (そうだよな…また返品されたら、そう不安になっても仕方ないよな…。)  真智雄は左手でルクスの右手をずっと繋ぎながら、淡々と感情を殺すように職務を進める。車をロックすれば、目的地である高層マンションへゆっくりとした足取りで向かう。   (ルクスくんは一度、心のない買主によって返品された。アルバイトだった俺も社長に命じられて東中野のマンションに行くと、ルクスくんの身体のあちこちに暴行の痕が痛々しく残っていた。耳は煙草の火か何かで潰されていた。俺は初めて見た虐げられた人間の姿に愕然とするしかなかった。劔さんが怒って、誠子さんが泣いて、リョーちゃん先輩は唇を噛んでいた……俺は何もできなかった。ルクスくんの身体が全部治るのには半年くらいかかった、心の傷は未だ癒えてない……こんなに震えるのは当然だ。またあんな目にあったら、今度こそ…。)  真智雄は気休めにしかならないことだとわかっていても、そんなルクスの手を優しくも強く握る。手袋で隔たれているが、その優しさがルクスには伝わったようで、俯いていた顔を少しだけあげた。 (まちお、まちおがだいじょうぶって、そういってる………まちおはうそつかない、まちおならだいじょうぶって、りょうたろうもせいこもよしえもおしえてくれた。だいじょうぶ、だいじょうぶ…。)  ルクスの手はふと力が抜けて、震えも止まった。頼れるとはまだまだ言えない真智雄の背中について行くことは間違いじゃないと、言い聞かせてみれば呼吸も心も楽になった。  目的の高層マンションに入ると、コンシェルジュが佇んでいた。真智雄はその横を過ぎるとインターホンの番号を押した。 『はい。』 「四方木様、エルテックサービスの俵で御座います。」 『そこで待っててください。』  インターホン越しで取引した時と同じように冷めた声で応対される。幸い、それはルクスに聞こえていない。不安なルクスは、真智雄のスーツの裾をずっと掴んでいた。それに気がつくと真智雄はルクスの手を掴んで、その甘えた仕草をやめさせた。 『駄目だよ。』  そう伝えるとルクスは一層不安な顔になる。さすがに理由までは手話で出てこない真智雄はポケットからスマートフォンを取り出して、全てひらがなで文字を打つ。 『るくすくん、きみはもう、いまからくるごしゅじんさまのものなんだ。そんなきみがごしゅじんさまじゃないひとにあまえていたら、だめだろう。ごしゅじんさまは、いやなきもちになる。』  真智雄の厳しい指摘をゆっくりと飲み込むとルクスはまた俯いた。だが忠告を聞くしかなくて、行き場のなくなった繊細な手をルクスは自分でぎゅっと握った。  ルクスがぎゅっと目を瞑り、真っ暗な世界を形成してしまった数分後、ルクスの頭は優しく撫でられた。  ルクスは驚いてゆっくり顔を上げると、真智雄よりはるかに背の高い、細い銀フレームの鋭い眼鏡をかけた黒髪の青年、買主である主久(カズヒサ)がルクスを見下ろす。 「詳しい契約はスカイラウンジで…ついて来てください。」 「(かしこ)まりました……えっと…。」 「俺が連れて行きます……ほら。」  主久の手はルクスに差し出される。ルクスはその意味がわからずにキョトンとして、次に真智雄を見た。真智雄は手話で伝えた。 『その人と手を繋いで。』  ルクスは恐る恐る、初めて見るその男の手に触れた。 (……あたたかい、て……このひとが、ぼくの、ごしゅじんさま、なのかな?)  主久の先導で真智雄とルクスはエレベーターに乗り込む。主久はずっとルクスの手を優しく繋いでいた。そんな時に、ルクスは先ほどの真智雄の叱責を思い出した。 (あ、あやまらないと!ごめんなさい、しなきゃ!まちおにいわれた、ごしゅじんさまがいやなきもちになるって…。)  右手が空いていたので、ルクスは主久の肩を叩き主久を自分に注目させる。そんなルクスの行動に真智雄はひやっとし、制止しようとしたが。  親指と人差し指で摘んだような形の手をおでこの前に持っていき、すぐに水平にした手を下ろす。 「…ごめんなさい?」  入門的な手話なので真智雄にもそれがわかった。主久が真智雄の方を見ると真智雄はすぐに答えた。 「彼は手話で四方木様に『ごめんなさい』と申しております…。」 「…ごめんなさい?何故だ?」 「あー…さっき私が少し厳しく叱ったから、か…あとは、四方木様のお手を煩わせている今の状況、でございましょうか…。」  ルクスの気持ちまでは真智雄には理解できない。主久はそんな震えるルクスの右手を制した。 「謝ることはない……って聾唖だから聞こえないか。俵さん、伝えていただけませんか?」 「申し訳ございません…私も基本的な手話しか解らないので…。」 「そうですか…なら結構です。」  そう言うと主久はルクスのサラサラな黒髪を優しく撫でることで、ルクスに怒ってない、謝る必要はないと伝えた。ルクスはその主久の手が心地よかった。 (まちお、りょうたろう、よしえ、せいこ…ぼくのごしゅじんさま、やさしいひとだよ……だいじょうぶだったよ、みんな…。)  エレベーターが最上階のスカイラウンジに到達した頃にはルクスの不安や震えもなくなっていた。

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