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奥州の隠れ鬼 仁
慶明は、山の中を杖をつきながら、軽快に歩いていた。
杖についた鈴もリンリン、リンリン……と一定の旋律を奏でている。
獣道のような道無き道を、ずんずん進んでいく。
川の音、苔むした岩の感触、森のささめき……それら全てに意識を向ける。
一度、慶明は立ち止まった。
甘い匂いが何かを掠めた。匂いの出どころを確かめるように、くんくんと辺りを嗅いでみる。
「こちらか……」
慶明は右手の方へ行ってみることにした。
しばらく歩いていくと開けた場所に出たらしい。
ここだけ光が差している。
さらに、甘い匂い……金木犀の花の香りがする。
少しずつ、少しずつ近づくと、何かがぱちぱちと爆ぜる音が聞こえる。
囲炉裏の音のようだ。
近づくと、家の敷居の所で杖がつっかえた。
「ごめんください」
慶明が家の方へ声をかけると、「はい」と返事が帰ってきた。
「私は旅の僧侶でございます。森で道に迷い、困っていたところ、こちらにたどり着きました。山の麓に戻れないため、今夜一晩泊めていただきたい。食事は水だけで構いません。按摩 ができるため、それで……」
慶明がそれだけを伝えると、高くもなく低くもない少年の声で「どうぞ、お坊様。粗末なところではありますが、ごゆるりとお使いください」と招き入れられた。
草履を脱ぎ、家へ上がる。
中は薄暗く、部屋の中央に囲炉裏があるようだった。
その近くに座ると、少年は「何もお構いできませんが……」と水と藁で編んだ円座を用意してくれた。
その後、囲炉裏を挟んだ向こう側で、すーっすーっと包丁を研ぐ音が聞こえてきた。
「ありがとうございます。あなたはここで一人住まわれているのですか?」
「はい」
「まだお若いようですが、お父様やお母様は?」
「二人とも、僕が幼い時に亡くなりました」
少年は包丁を研ぐ手を休めずに答える。
慶明は一口水を含み、喉を潤した。
「それは……お気の毒ですね。では、他に御家族は?」
包丁を研ぐ音が止まり、ただ一言。
「……いません」
いつの間にか夜になった。
少年は蝋燭に火をつけ、ご飯と味噌汁を慶明の前に出した。
湿気が体にまとわりついてくるようだった。
「ここは霧がよく出るんですね」
「夜になると、霧が濃くなるのです。まだこれからもっと濃くなります」
「それに、金木犀の香りも……」
「家の外に昔からある木で、この時期になると香りが強くなります。……今年も立派に咲きました」
慶明は汁物を啜った。
野菜が申し訳程度に浮かんだ汁物は温かく、体の中がぽかぽかとした。
霧と共に金木犀の香りが強くなってきたようだ。
慶明はずっと囲炉裏の傍に座っていた。
家主の少年は、慶明の傍まできて、「お坊様、按摩をお願いしたく」と声をかけた。
少年は床にうつ伏せに寝転がる。
慶明はそっと少年の体に触れた。細い腰、女のように柔らかい。
「お坊様は、各地を回られているのですか?」
「はい。巡礼と説法を……まだまだ未熟者で、人々の優しさに生かされております」
「では、色々なものを見たり聞いたりされているのですね」
「えぇ……まぁ、はい」
「不思議なものを見たり聞いたりもされているのでしょう?」
「このような職業ですので、たまにですが悪いものを払ってほしいと言われることがあります。……例えば、鬼とか」
少年の体はぴくりと反応した。
「鬼、でございますか?そんなものがいるのですか?」
脹ら脛を揉み始めた。
どこか緊張しているらしく、筋肉が固い。
「この前、ある村の長から鬼退治をお願いされました。役に立てるか分かりませんが……と言いましたが、それでもと頭を下げられ、山に入ることになりました」
慶明は語り始めると、思い出したように、ふふふ……と笑い始めた。
少年は不思議そうに、「お坊様?」と首をかしげているようだった。
「すみません……ふふふ……思い出してしまいまして。オチを言いますと、それは鬼ではなかったのですよ……」
「鬼じゃない……ということは、人間ですか?」
「ええ……あなたのよく知る、ね」
また少年の筋肉が固くなった。
「昔、今から百年くらい前の話なのですが、ここら辺を治めていた豪族がいました。しかし、ある時から朝廷への貢物を怠るようになりました。怒った朝廷側が罰を与えるために、兵をあげ、この地で戦いが起こったのです」
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