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【蛇身の寺】帰還
1945年、長い戦争が終わった。
以前帰郷してから二年ぶりに東京へ帰ってきたが、戦況が厳しくなり、実家は疎開してしまったらしい。空っぽの家を離れ、列車で二時間かけて、六安寺に着いた。
日が暮れてきた頃、急に降ってきた雨が外套を濡らし、足場の悪い石段を昇って、やっとのこと寺に着いた。
「すみません、……どなたかいらっしゃいませんか」
本堂の隣の僧房があり、その玄関先で呼びかけると、「はい」という声が聞こえた。
奥から目をつぶった僧侶がでてきた。
目が見えないのだろうか。
「あの、ここに花屋敷 智永 がいると思うのですが……」
「……」
「私は、智永の双子の弟、花屋敷 流 と言います」
「どうぞ。夢弦 は奥の部屋におります。会うかどうかは夢弦が決めるでしょう」
夢弦とは智永の僧侶としての名前である。
しかし、実の双子の弟が来たのに会うかどうかは智永が決めるなんて、少しおかしい言い回しだ。
まるで、合わないという選択肢もあるみたいじゃないか。
奥の部屋の前まで案内される。
「ここが、夢弦の部屋です。雨が強くなってまいりました。どうぞ、雨宿りも兼ねてごゆっくりしていってくださいませ」
「ありがとう……あれ?」
後ろについていた僧侶がいつの間にか居なくなっていた。
「……流?」
「兄さん、ただいま。流です。そこにいるのですか?」
「……うん。ゴホッ……!」
「兄さん、具合悪いの……?」
「うん、少しね……でも、大丈夫。かっちゃんが満州の体に良いお茶を送ってくれてるんだ。『元気になるように』って」
かっちゃんというのは、俺らの妹、花屋敷 勝(はなやしき かつ)のこと。
今は満州におり、日本にいない。
時々手紙のやり取りをしているらしい。
「かっちゃんも早く帰って来れるといいね」
「あっちからも船を出しているらしい。暫くしたら帰ってくるだろう。それより親戚から電報があった。『トモエ、キトク』って……」
「危篤なんて、大袈裟だよ」
クスクスと智永は笑っている。
良かった……元気そうだ。
「襖越しで挨拶なんて兄さんに悪いから、中に入れて欲しいんだが……」
「……それは、できない」
「どうして?俺は、約束を守りに来たんだ」
二年前、約束をした。
無事に兵役を終えて日本に帰ることができたら、必ず会いにいく。
その時は智永と共に暮らしたい、智永を支えたい、と。
「ごめんなさい……会うことは出来ない」
「何故!?」
俺は襖に手をかけ、開けようとするが、何かつっかえているのかガタガタと音をたてるだけで開けることが出来ない。
「如何なされました?」
先程案内してくれた盲目の僧侶が左側に立っていた。
音もなく立たれ、俺は驚いたが、今はそれどころではない。
「この襖が開かないんだ!智永が俺には会わないと。智永はそれほどまでに体が悪いのか」
「……どうしても、お会いしたいですか?」
勿体ぶった言い方が、さらに苛立ちを募らせる。
「当たり前だ!!」
静寂の中、俺の怒声だけが響き渡る。
一瞬だけ、雨の音が消えた気がしたが、やはり気のせいだったのだろう、激しい雨音が瓦を叩いている。
「少々お待ちください」と言い、何故かこの僧侶の時だけ、スっと襖が開いた。
何故、この坊主だけは受け入れるんだ……
坊主は智永にとって特別ということか
この坊主、智永とどういう関係なんだ
……智永の特別は、俺だけなのに。
「流様」
はっと目の前見ると、襖が開き、僧侶が柔らかい布の様なものを差し出していた。
その布は鮮やかな赤に染められており、長めの手ぬぐいのようである。
「夢弦はどうしても姿を見られたくないと。なので、目隠しをしてなら会っても良いそうです」
「目隠し……?」
本当は姿を見たい。けど、仕方ない。
「分かった。目隠しをしよう」
目隠しをすると、さらに大きく襖が開いた音がした。
「夢弦は部屋の奥におります。どうぞ、そのまま真っ直ぐお進み下さい」
部屋はどうやら真っ暗らしく、時折光のようなものを感じる。蝋燭か小さな洋燈 の灯りが点っているらしい。
「智永……智永……」
「流、もう少し前だよ」
声に導かれるまま、まっすぐ歩く。
足元の何かに躓き、前に転んだが、痛みはない。
何かに抱きとめられたからだ。
柔らかく、いい香り。
「智永?」
「うん、私だよ」
智永、少し痩せたような気がする。
もともと痩せていたけど、肩がさらに痩せたような……。
俺はぎゅうっと抱きしめる。
智永は何か頭から布を被っているらしい。
「智永、会いたかった」
「私もだよ……」
抱きしめた体は汗ばんでいるのか、湿り気を帯びている。
「智永、熱があるのか?汗をかいているようだが……」
「汗はかいてないよ」
息が上がっているのだろうか。
シューシューと喉の奥から絞り出しているかのような吐息。
「息が上がっているようだ。苦しい?」
「どこも苦しくはない。ただ……」
「ただ?」
「ただ、人前には出られない容姿になってしまった」
「どういうことだ?皮膚病か何かか?」
智永の左頬の辺りを触ると、ざらりとしている。
この感触は……鱗?
細かい鱗のようなものがある。
そういう皮膚病なのだろうか。
「流にも見られたくない」
「俺は決して、智永の顔を見て恐れたりしない。どんな姿になっていようとも、俺は智永を愛している」
智永は震えているようだった。
「でも……っ、こんな姿、見せたくないっ!」
「智永、俺は今からこの目隠しを取る。もし、それで俺が恐れおののくようなことがあれば、俺は腰にあるナイフで己の首を切る」
「ま、待って……流っ!」
俺は智永の静止を聞かず、赤い目隠しを取った。
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