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第1章-6

アルバイトの夜シフトを避けていたはずが、シフトリーダーに夜にも入ってくれ、と懇願されてしまい、柊は渋々入ることになってしまった。 そもそも、夜を避けていたきっかけが榎本との出会いだった為、榎本が悪い人ではないと知った今、特に避ける理由はなくなったのだが。 今宵は客がまばらで、柊の担当であるホールは同僚と駄弁れるほど、手持ち無沙汰だった。それにも関わらず、柊の顔は少し疲弊していた。 「柊、疲れてんの?」 アルバイトで知り合って、通う高校こそ違うが、同い年でプライベートでも遊びに行く程には仲のいい、同僚の橘悠太(たちばなゆうた)は疲労を看破していた。柊は、壁にもたれ掛かって愚痴を吐いた。 「中間テストの後にバイトとか、疲れるでしょ」 「今日テストだったの?お疲れ」 「そうなの。今日は休んでいたかったんだけど、テスト終わったんならシフトリーダーに今日の夜入れ、って言われてさ。入ったら入ったで客全然いねーし」 「それは辛いな」 橘は、柊が愚痴を吐くときは聞き役に徹して、いたわることだけをしてくれるので、共感を求める柊にとってはそういうところが心地よかった。橘には肩の力を抜いて、愚痴を吐ける。それぐらい気の置ける友人だった。 とはいえ、疲弊している原因は、テストではなくもっと別のところにあった。 それでも、いくら橘でも、そのことを話せない気がした。 一通り、柊がテストやバイトの愚痴を話した後、橘は、今度は俺の愚痴を聞いてくれ、と要求した。橘は、ざっくばらんな性格で、ストレスを貯めたりネガティブなことを話すたちではない。そんな橘が愚痴を吐くなど珍しいと感じた。 「なあ柊。俺さ、最近悩んでることがあって」 「悠太が悩み事なんて珍しい。一体どんな悩みなんだ」 橘は、わざとらしくため息をついて話す。 「最近友達が俺と遊んでくれないんだけど」 橘は口元をにやけさせながらも、恨みのこもった目つきで柊を見た。柊はバツの悪い思いをした。確かに最近、榎本と出かけてばかりで、橘とは遊べていない。予定がある、と断ってばかりだった。 「ごめん」 「謝らなくてもいいんだけどさ。お前忙しいもんな。でもあまりにも遊べないと、俺拗ねるぞ」 「悪かった悪かった。テストも終わったし、来週の土日、どっちか、遊びに行こうか」 「やったあ」 橘は、喜怒哀楽を大袈裟に表現する節がある。今も柊は、喜びの表現として橘に熱い抱擁をされていた。いきなり橘が胸元に飛び込んできたので、後ろに身体のバランスを崩しそうになる。柊には、橘が、しっぽを大きくバタバタ振ってじゃれついてくる大型犬の様に見えた。 「俺、柊のことやっぱ好きだわ」 「あーわかった。わかった。超わかった。あと、今、バイト中。少ないとはいえ客もいる」 異性の従業員があの2人、仲いいよね、とひそひそ囁きあうのが聞こえた。柊は、赤面する。橘は悪びれる様子もなく舌の先をちろり、と出した。友情表現さえもストレートな、橘の正直さは嫌いではなかった。 ただ、人前ではもう少し控えて欲しかったが。 そんな中、柊から少し離れた窓側の客が注文が決まったのか、手を挙げた。 いち早くそれに気づいた柊は、注文を取りに駆け付けた。室内だというのに、顔の上半分が分からないほど、つばを下げて、黒いローキャップを被っている。それ以外にも、どことなく取り巻く雰囲気が異様な風体の客だった。 客は抑揚のない低い声で注文をした。 「ブレンドコーヒー」 「ブレンドコーヒーで、よろしいですか」 柊は、ハンディを打ちながら注文の復唱をして確認を取る。返事の代わりに、客は帽子のつばを上げて顔を露わにした。はじめ、柊はその客の顔を見たことがない、と思い込んでいたが。 網膜から、神経細胞を伝って、視覚情報が脳中枢に到達したところで、はっきり認識した。 帽子の下は、よく見知った男だった。

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