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エピソード0 小森優衣(2)
「すっかり日本の生活に馴染んでるんだな」
頭上から声がして、私はズズッとストローからレモンティーを吸い上げながら顔を動かした。
「神崎大河」と声をかけてきた男の名を呼ぶと、私はグラスをテーブルに置いて、ソファの背もたれに背中を預けた。
カフェの店の奥で、この男と待ち合わせをしていた。
大河はスコットランドンにいたときから知っている。母が死んだと教えてくれたのは、こいつだ。
父がどういう人間で、蛍という兄がいると教えてくれていた。
「日本に来たら、すぐに会いに来てくれるとばかり思っていたのに」
「カイルの一件で、すっかり組織の監視が強くなってな。これでもやっとの思いで、監視の目をくぐってここまで来たんだ」
「蛍なんてちょろいって言ってなかった?」
大河がテーブルを挟んで、私の向かいに座る。
店員にコーヒーを頼んで、大河がスマホをテーブルに置いて時間を確認していた。
「蛍はちょろい。が、蛍を取り巻くやつらがちょろくなくなった。カイルのせいで、蛍が側近のメンバー替えをしたからな。道元坂とも交流のある奴らが蛍の側近になったからな。組織の色が、まったく変わっちまったよ。梓様の頃の緊張感がなくなった」
「で、私の出番だと?」
「その通り。梓様の血をひいた君が必要なんだ。組織の改革が我々には重要。蛍ではダメだ。組織が道元坂に乗っ取られる……っとヤバい。じゃあな」
大河が、スマホを手に取るとポケットに入れて立ち上がった。
カフェの入り口を警戒しながら、レストルームへと姿を消した。
カランカランとカフェのドアが開く音がする。まもなく、私の横で人が立ち止まった。
「城之内か。まじ、うざい」
スマホを公園のゴミ箱に捨てて、GPSの追跡から逃れてきた……はずだったけれど、すぐ見つかった。
大河がそうすれば、すこしは自由な時間が持てるっていうからやったのに。
全然、自由な時間なんて出来なかった。
「もしもし、城之内? 見つけた。駅前のカフェにいる」
え? 城之内じゃないの?
顔をあげると、私の横に立っているのは城之内ではなく、汗だくの蛍だった。
袖口で額から流れ落ちる汗を拭いて、スマホの電話を切っていた。
胸ポケットにスマホをしまうと、さっきまで神崎が座っていた場所にどかっと腰を落とした。
蛍が長い足を組んだ。鞄の中から、ピンク色のスマホをだして、私の前に差し出した。
公園のゴミ箱に捨てたスマホが、目の前に戻ってくる。私はそっとスマホに触れる。
蛍が私には何も言わずに、「あちぃ」と襟元をバサバサとあおいだ。
「……な、んで」と私はぽつりと言葉を漏らす。
「自由な時間が欲しいなら、前もって城之内に相談しとけ。一人にする時間くらい用意してくれるだろ。探されたくないなら、なおさらだ」
「なにそれ」
なんなのよ。兄貴面しないでよ。
その汗はなによ。必死に探しましたアピールでもしてんの?
胸の奥がまたツキンと痛む。
カフェの店員がホットコーヒーを運んできた。
神崎が頼んだ飲み物を、蛍の前に置いた。
「ありがと」と蛍が笑顔で店員にお礼を言う。
自分で頼んだものじゃないとわかっているのに、まるで自分で頼んだかのように受け取っている。
さっきまで誰かと会っていたのが、バレている……。
「それと、神崎と何か企んでいるならやめておけ」
蛍がホットコーヒーから目を動かして、私を見た。
「なに、それ。組織のトップとして、危機感を感じじゃってるとか? 私に奪われるのは、ヤバいって?」
私はくくくっと喉を鳴らす。
「欲しいなら、くれてやるよ」
「は?」
「神崎と接触してるってことは、俺がお飾りだってわかってんだろ? 神崎がお前にどう話をしているかまではわかんねえけど。昔のような組織を望んでるのはわかってる。あいつが、親父の組織を潰したがってるのも知ってる。欲しいなら、そう言えよ。俺はいつでも、お前にトップの座をくれてやる。変な画策をして、面倒なことはすんな。不必要な殺生もしなくていい」
カフェの窓に、黒塗りの車が横づけされるのが見えた。
運転席には、城之内が乗っている。
「お迎えがきたようだな。んじゃ、俺は戻るから」
「どこに?」
「大学に決まってんだろ。こう見えても、優等生なんで、俺」
蛍が席を立つ。
授業の途中で、抜け出してきた、と?
私を探すために?
「蛍様、申し訳ありません。お手数をおかけして」
カフェの入り口で、城之内が蛍に頭をさげるのが見えた。
「ああ、気にすんな。一人になりたかったみたいだ。後は頼んだ」と蛍が、城之内の肩を軽くたたいて、カフェを後にした。
『一人になりたかったようだ』
蛍の言葉が脳内で繰り返される。
嘘つき。何、誤魔化してんの。
一人になりたくてスマホを捨てて、ここに来たわけじゃないって、蛍が一番わかってるのに。
自分の立場が危うくなるかもしれないのに。なんで部下に見張るように指示しないの。
意味わかんない。
私、本当に乗っ取るよ。
蛍の組織を。
だって嫌いだから。こんな生活が。
こんな世の中が。
お父さんも。お母さんも。
蛍も。
すべてが嫌い。
壊してやりたい。悲痛な表情を見てやりたい。
そして笑ってやるんだ。
「蛍様がお優しい方で良かったですね」
城之内が感情のない言い方をしてきた。
「優しい? 弱いだけじゃなくて?」
「いえ。お優しいでしょう。自ら貴方をお探しになられて、『一人になりたかっただけ』などとわかりきった嘘で終わりにするなど」
「私は、嘘は言ってないけど」
「組織の裏切り要因など、さっさと殺してしまえばいいのに。神崎を生かす理由などないのに。ただ半分血が同じってだけで、生かすなど。蛍様はお優しすぎる」
は? なに……それ。
聞いてない、けど。
私の表情が変わったのを見た城之内がニヤリと笑い、「茶封筒、見てないんですね」と嫌味ったらしく告げた。
なんなのよ、もう。
むかつく、むかつく、むかつく。
「見れば、なんか書いてあるわけ!?」
「気になるなら見ればいい」
「見たくないから聞いてるの」
「なら知らないままでよろしいかと」
さあ、帰りますよ、と城之内に腕を掴まれて無理やり立たされた。
もう、こんな生活嫌だ。
なんでこんなことになってんのよ。
さいてー、だ。
絶対、ぜんぶ、ぶち壊してやるっ。
―優衣side―おわり
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