11 / 38
闇のルール05
―恵side―
病院のソファでウトウトしかけていると、近くで立っているボディーガードたちの妙にピリピリした空気が伝わってきた。
おもむろに瞼を持ち上げれば、私服姿のライが無表情で立っていた。
「警護はどうした?」
「大丈夫です。あの子には充分注意するように伝え、さらに代わりの者に見張らせてますから」
「そうか。ならいいが」
「蛍は?」
ライが一歩だけ、私に近づいた。
「手術が終わって、集中治療室で経過を診てもらっている。峠はまだ越えてないらしい」
「そうですか。とりあえず、まだ心臓は動いているんですね」
「ああ。今のところは、な」
私の説明に、ライがホッと肩の力を抜いたのがわかった。
強がった言い回しはしているが、ライなりに不安と心配が心を支配していたのだろう。
智紀のように、素直に感情を表に出せたなら。もっと可愛いヤツだと思われるのに。
それをしないのは、智紀を一生懸命、育てるのに肩肘を張って生きてきたからなのだろうな。
まだまだ馬鹿をやっていたい時期も、一人の社会人として生きてきたライだから。弱音を他人に見せるのが酷く怖いのだろう。
私もそうだからな。普通なら、友人たちたちと馬鹿話をして、馬鹿な行動していたであろう時期も、ひたすら組織のために生きてきた。
智紀によく言われるが、私には遊び心というのが欠けているらしい。
スタスタと歩を速めて、私の隣に腰をおとした。
「罰があたったのかもしれない」
ライがぼそっと小さく呟いた。背中を丸め、両手で顔を覆った。
小刻みにライの肩が震えている気がする。こんな弱気なライは、侑の死以来だ。
「蛍が油断しただけだ」
私はライの肩に手を置くと、ポンポンと優しく叩いた。
「蛍のせいじゃないのに。僕は蛍に冷たくしてた。蛍が絶対に僕以外のところには行かないってわかってて……。八つ当たりだってわかってるのに。蛍の顔を見るとつい、気持ちが……」
ライが言葉を詰まらせて、さらに身体を小さく丸めた。
「全ては私の責任だ。ライや智紀の両親の件に関しても。優衣を生かしておいたのも。そして優衣を日本に連れて来たのも。全て私の責任だ」
「ええ。わかってます。全ての根源は恵だ。でも恵にだってそれなりの言い訳がある。僕たちの両親を殺したことについても、優衣って子に関しても。だから僕が、きちんと心の整理をつけなきゃいけない。そう頭では理解はしていても、心が追いつかない」
フッとライが顔をあげた。右手を軽く握りしめ、まっすぐ前に目を向ける。
意思の強い眼差しが、美しいと表現したら、私は智紀に怒られるかもしれない。
「ライトは、組織の中で新参者だったが、凄く優秀だった」
「恵?」
「梓も一目を置いてて、愛人にすることも念頭に入れてた。いや、実際にはアプローチをかけていた。だが、ライトはいつも上手く交わし、それでいて仕事はきっちりとこなしていた。私自身、怖かったよ。自分のポストを、ライトに奪われるかもしれないと初めて不安に思える相手だった。警察官でなければ、今でも良いライバルになっていたと思う」
私は喉の奥を鳴らすと、立ちあがった。
集中治療室の白いスライド式のドアをじっと見つめる。
何度なく看護師や医師が出入りしている。その度に、ちらりと私たちのほうに目をやるが、悲痛な表情だけを見せて、背を向けた。
看護師たちの表情でわかる。蛍がとても危ない状況に立たされているのだということを。
私は無意識でため息を吐きだすと、胸ポケットにしまってある煙草に指が伸びていた。
「病院は普通、禁煙ですよ」とぼそっとライから注意を受け、私は煙草の箱に指が揺れることもないまま、腕をおろした。
「優衣は色濃く、梓の遺伝子を引き継いでいるようだ。どこで、どんな情報を得たかは知らんが、蛍の組織を乗っ取るつもりらしい」
「それで蛍の命を狙ったと?」
「ああ。いち早く優衣の存在に気付いた組織のヤツらが、蛍を失脚させるために、優衣をうまく手玉にとったのだろう。蛍を殺せば、組織が丸ごと手に入る……と、野心家の優衣の耳に囁けば、動かないはずはないからな」
「それで実行に移したと?」
「ああ。現に、優衣は姿を消した。内応者の報告によれば、優衣に良く似た女が反蛍派たちに守られるように屋敷の奥へと入っていった、とあった」
ライも「ふう」と息をゆっくりと吐き出すと、身だしなみを整えながら、立ちあがった。
スッと目つきが変わる。弱々しかった表情は瞬時に消え、仕事をするときと同じ鋭い瞳が戻ってきた。
「まだ、可愛い娘像を期待してますか?」
「いや……期待するだけ無駄だろう。蛍の訃報が届けば、次の狙いは私だ。あの組織が私に敵対する立場になれば、私の存在は邪魔になるだろうからな」
『可愛い娘像』か。心のどこかで、まだ期待している……が、その期待はあっさりと裏切られる、ともわかっている。
梓に似すぎている。嫌なくらい。貪欲で、自由気ままで、自分本位。梓に育てられたわけじゃないのに、怖いくらいに似ている。
DNAとは恐ろしいものだ。
愛のない家庭で育ってきて、素直に育った蛍のほうが不思議なのだろうな。さすが侑が教育係だけあった。
「莱耶、このまま好きなだけ蛍の傍にいてやれ……と言ってやりたいが、そういうわけにもいかない」
「わかってます。僕は帰ります。智紀の警護に戻ります」
「ああ。私も対策を練らないと、な」
ともだちにシェアしよう!