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番外編・生きる証

―智紀side― 「なんだこれ?」と俺は、道元坂のクローゼットの奥から薄汚れた黄色の小さいリュックを引っ張り出した。 「きたねーな」 子供用か? なんでこんなのが高級スーツのしまってあるところから出てくるんだよ。  まさか、蛍のとか? 思い出のリュックサックとか? 子供ので道元坂には捨てるに捨てられないものなのか? 「智紀、何をしている?」  ベッドで寝ていた道元坂が、体を起こしながら俺に声をかけてきた。  ガサゴソしているのが聞こえたのだろうか。 「これ、クローゼットの奥にあったから」  俺はベッドに腰かけながら、黄色いリュックを道元坂の前に投げた。  リュックの脇についているキーホルダーがチャラっと音が鳴る。目を落とすと、『くすのき ともき』と汚い字で書いてあった。 「あ? 俺の?」  なんで?   俺はキーホルダーに触れた。 「覚えてないのか? 私にリュックを渡したことを」 「え? 渡す? なんで?」 「梓と離婚して追い出された日に、智紀が助けてくれたんだ。リュックに父親の服やお菓子を詰めて、夕食代の五百円も私にくれた。おじさんのほうが、辛そうだからって」 「おじ……」と俺が苦笑した。 「何も返せない私に、出世払いでいいって。死ぬ覚悟をした私に、生きる証をくれた」  道元坂が黄色いリュックを触って、にっこりと笑った。 「後になってライトの息子だと知った。地盤を固めて、金に余裕も出来て。それからは、常に探偵を雇って智紀を見てきた」 「ストーカーかよ」 「ま、そうだな。ストーカーだな。苦しい思いをしてなければいい。ツライなら、いつでも手助けしたいって思ってたから」 「え? じゃあ。兄貴が道元坂の元で働くようになったものそれで?」 「いや。私と同じように苦しんでいた男から、推薦を受けた」 「は?」  道元坂が優しく微笑んで、俺の頭を撫でた。  言いたくないんだな、と俺は察する。兄貴が俺に話してないんだから。聞いちゃいけないんだろう。 「莱耶も、智紀も。幸せにしたいと、想ってる」 「俺、幸せだよ。道元坂のおかげだ」 「『出世払い』返せただろうか?」 「あ? 本人が覚えてねえんだから。払わなくていいよ。てか、もう充分、払ってもらってると思う」  俺はにっこりと笑うと、道元坂に抱き着いた。 「ライト」と道元坂がさらって口にした名前は、きっと俺の父親の名前なんだろう。  俺はあまり両親の記憶がない。幼いころに死んだから。ずっと兄さんに守られてきた。知らないところで、道元坂にも守られてきていたんだな。 「あ、確か。今日からだよな? 中国出張」 「そうだが?」 「よし。またあいつらに、人生ゲームの楽しさを教えてやろうっと」  俺はベッドから降りて、拳を突き上げた。  カイルの部下たち、まだ蛍の屋敷にいるよな?  いたら、また教えてやるんだ。 「智紀のその順応性には尊敬する」  道元坂が小さく息を吐いた。  尊敬ってより、飽きれてるようにしか見えないけど?  道元坂が時計を見やってから、ベッドから出た。 「そろそろ出かけるか。莱耶も来そうにないしな。迎えにいってやろうか」 「兄貴、蛍のところだもんな。てっきりマンションに戻ってきてくれるかと思ったのに」 「智紀がお願いすれば、すぐに戻ってくると思うが?」 「いいよ。蛍のとこで。俺が遊びにいけばいいんだし。ゲーム三昧、いつかしなくちゃなあ。まずは、人生ゲームだ」  俺は和室にしまってあるゲームを取りに、寝室を飛び出していった。  廊下で足を止めると、寝室に振り返った。  俺の両親を殺したって話した日から、道元坂は少し俺に距離をあけているような気がする。  距離感がつかみづらいのかな。  俺は大丈夫なのに。道元坂を恨んでない。憎んでない。  俺には、道元坂は家族同然なんだ。俺の気持ちは前と変わらない。寂しい顔をしないでくれよ。  道元坂にとって、幼い俺がした行動が「生きる証」になったのなら。  今、道元坂が俺の隣にいてくれるのが俺にとっての『生きる証』なんだ。 ……って、俺には道元坂みたいに出世払いはできないけどな。  ははっ、と乾いた笑い声をあげると、俺は和室に向けて歩きだした。 番外編「生きる証」終わり 長い間、ご愛読ありがとうございました。

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