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8-F
「そ、そーだ!佐久間、ピアノ弾いて!」
「唐突だな、オイ」
ピアノを弾いて欲しいと頼む俺と怪訝そうに答える佐久間。
只今、午後9時9分。
佐久間の部屋で、佐久間のスウェットで、佐久間と同じ匂いで……。
ドキドキがノンストップ!
「あ!でも、もう遅い時間だから無理かぁ」
「大丈夫だよ。電子ピアノだから音量調整できるし、ここ防音しっかりしてるから」
え、自室が防音!?
セレブ度合いが違いすぎる!
「小っちゃい頃から弾いてんの?」
「ああ。母さんがピアニストになりたかったみたいで。それを子どもに押し付けたってやつ」
むくりと立ち上がって、電子ピアノの前にある椅子に座った佐久間。
「まぁ、結局姉貴も俺も音楽学校にはいかなかったけど」
俺も、ずり落ちるズボンを気にしつつ立ち上がって、佐久間の隣に立った。
「でも、ピアノがあるってことは、今も弾いてるんだよね」
「趣味程度だけどな」
「何弾くの?」
「基本ジャズ。クラシックは、どうも堅苦しくて苦手なんだよなぁ。それで、音楽学校行かなかったってものある」
ピアノの前に座る佐久間の構図は、想像以上にしっくりしている。
「佐久間が、雲の世界の人に見えてきたよ」
「ハハ、何だそれ」
笑う顔はいつもの佐久間だけど、雰囲気は俺の知らないピアニストな佐久間。
「で、リクエストは?」
そう言われると…。
「…ごめん、考えてなかった」
曲よりも、"ピアノを弾いてる佐久間"が見たかったんだよなぁ。
「んー、じゃあ、俺の好きな曲でいいか?」
「うん!お願いします!」
佐久間は、フッと一呼吸して、ゆっくりと両手を鍵盤の上にのせた。
白と黒の上を、大きく節ばった指が動く。
見た目とは反する、水が流れるような滑らかな動き。
佐久間の手は大きい。
とてもピアノを弾くように見えない、男らしい手。
そんな手が、甘く優しい音色を作り出す。
目を閉じると、その手で身体を愛撫されているような錯覚に陥る。
そして、夢で見たように、その手を舐めたくなってくる。
現実に戻るため、じわりと目を開ける。
「~♪」
声には出してないが、この曲を口ずさんでいる佐久間。
佐久間の手のように、滑らかに動く唇。
ゆったりとしたメロディーなのに、俺の鼓動はスキップしている。
だって…、
「この曲……」
ジャズに詳しくない俺でも知ってる。
「"Fly Me To The Moon"」
佐久間が口にしたタイトルは、ジャズのスタンダードナンバーで、
「……月へ連れてって」
どストレートのラブソング。
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