「そ、そーだ！佐久間、ピアノ弾いて！」 「唐突だな、オイ」 ピアノを弾いて欲しいと頼む藤と急すぎだと突っ込む俺。 只今、午後9時9分。 俺の部屋で、俺のスウェットで、俺と同じ匂い。 もってくれ、俺の理性…。 「あ！でも、もう遅い時間だから無理かぁ」 「大丈夫だよ。電子ピアノだから音量調整できるし、ここ防音しっかりしてるから」 「小っちゃい頃から弾いてんの？」 「ああ。母さんがピアニストになりたかったみたいで。それを子どもに押し付けたってやつ」 立ち上がって、ピアノの椅子に座る。 「まぁ、結局姉貴も俺も音楽学校にはいかなかったけど」 藤も、ズボンしっかり持って立ち上がり、俺の横に立った。 「でも、ピアノがあるってことは、今も弾いてるんだよね」 まじまじとピアノを見ながら聞いてきた藤。 「趣味程度だけどな」 「何弾くの？」 興味津々だな。 「基本ジャズ。クラシックは、どうも堅苦しくて苦手なんだよなぁ。それで、音楽学校行かなかったってものある」 「佐久間が、雲の世界の人に見えてきたよ」 「ハハ、何だそれ」 思わず笑ってしまったが、藤の顔を見たら割と真剣な表情だった。 「で、リクエストは？」 「…ごめん、考えてなかった」 「んー、じゃあ、俺の好きな曲でいいか？」 「うん！お願いします！」 フッと一呼吸して、ゆっくりと両手を鍵盤の上にのせた。 この曲に、藤を重ねる。 自由奔放な藤は言う、夜空の向こうで戯れたいと。 藤の白くて長い綺麗な指。 まさにピアノを弾くのにぴったりな指。 そんな指が、甘く溶かすように俺の指に絡む。 そして、キスしてとせがむ。 そして、……。 「この曲……」 弾き終わると、藤が呟いた。 「"Fly Me To The Moon"」 俺がタイトルを言うと、 「……月へ連れてって」 和訳して呟いた藤。 その顔は、ドリス・デイのようだった。