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第5話
白亜が来てから草間の生活は変わった。食卓は豊かになり、日々は穏やかに流れ。まるで暖かい毛布にくるまれたような生活となった。けれども大の大人が二人生活するにはそれなりのものが必要にもなる。残された貯金は殆どない、なけなしの退職金は少しずつ減っていく。後何年生きるのか、そして自分より若い白亜に何を残してやれるのか草間は心を痛めていた。
町へ行くのは月に一度、本当に必要なものだけを手に入れるためだけにと決めていた。白亜を連れて行こうと何度か誘ってみるのだが白亜は頑として山から離れないと答えた。
「暖かくなりました、そろそろ花が咲きますね」
「ああ、そうだな。今日は町に行って油と塩を買ってくるよ。一緒にくるか?」
白亜はかぶりを振った。
「私はここで待っています、お気をつけて。必ず戻って来て下さいね」
「おまえのそば以外に帰る場所などどこにもないよ、半日で戻って来る」
食べさせたいものもある、見せてやりたいものもある。けれども白亜の世界はあの山と、草間のいるあばら家だけだという。他にはなにも要らないからただ帰ってきてくださいと白亜は言う。
「さて、そろそろ帰るか」
必要なものを買うだけだ大した時間はかからない。バスを乗り継ぎ、そして後はひたすら歩くそれだけのことだ。バス停で通りの車を眺めながら立っていると一台のセダンが目の前に停まった。
「草間さん?え?草間さんですか?」
「……富岡さんか?」
「はい、今は結婚して木村ですが。お久しぶりです、二年?くらい経ちますか?」
「ああ、懐かしいな」
「バスでここからお帰りですか?送りますよ。乗ってください」
正直バス代ももったいない、その申し出を草間はありがたく受けた。そこから山のふもとまで三十分懐かしい話に花が咲いた。
「本当に会えてよかったです。会社を辞められた時とは違いますね。とても生き生きとしていらして。本当に良かった、お元気で」
送ってもらった礼を伝え、草間はけもの道を登って行った。山に入って五分も経たないうちに目の前には白亜が立っていた。
「ちょうどお迎えにあがろうと思っておりました」
いつものことだ、町から戻るとこの辺りで白亜が待っている。バスの時間を知っているのだろうと草間は思っていたが、今日はバスではなく車で送ってもらったのだ。いつもより一時間近く早い。それでも白亜は同じ場所で立っている。
「ああ、ただいま。よく帰りがわかったな」
「信弘さん、誰と一緒でした?女の臭いがする」
香水の匂いでも移ったのだろうかと鼻をシャツに近づけて匂いを嗅いでみるが何の匂いもしない。白亜の瞳が青く光ったように見えた。
「私を捨てていくのですか、みなと同じように」
「みなと同じ?誰のことを言っているのだ?」
「……あなたに捨てられたら、私はもう存在することさえ出来ない」
「白亜、落ち着け。どうした?俺がお前を置いてどこかへ行く事はない。分かっているだろう」
しっかりと抱き留めた。その時肩にじりっと焼けるような痛みが走る。
「うあぁつ」
白亜が噛んだその傷が熱を持ちまるでそこから全身が朽ちていくような痺れが身体に広がった。
「……で、…すか?」
「んっ」
「信弘さん」
「はくあ?か」
「どうかしたのですか?」
そこには優しく微笑む白亜がいた。山のふもとで出迎えられて、それからの記憶がない。肩口に違和感を感じそこに手をやると、まるで火傷のあとのようなケロイドができていた。
「いや、明日は畑の草むしりをしようか」
「はい」
白亜が人の子でないのは薄々気が付いていた、出会って二年髪も伸びることもなく。日に焼けることもない。山から下りることもない。白亜はこの山自身なのかもしれない。どうやって魚を釣っていているのかさえ知らない。何も聞く必要はないと草間は思っていた。この首の傷は自分が白亜のものだという印だろう。だとしたら幸せだ、誰かにこれほど焦がれられ、必要とされたことは今まで一度もなかったからだ。
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