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第43話 お家事情
「いやいや、そんな事でって、お前……」
「だって、パワハラされたら、辞めちゃえばいいじゃないですか」
「今時だな!」
実に若者らしい物言いに、松崎はつい鋭くツッコんでしまう。
裕翔はその反応に慣れているのか、気にするでもなく言葉を続けた。
「俺、こんな顔だから、昔から結構、変な大人に気に入られたりしたんですよねぇ、男女問わず」
誘拐されかけたり、イタズラされそうになったり…と指を折る。
何でもない顔をして言うから、それらは本人にとって、なんら特別な事ではないのだろう。
だが………
「でね、家族もそれなりに過保護になっちゃって。小学校から私立だったんですけど、電車通学は心配だって言われて、途中から母の車で登下校してたんです。流石にやり過ぎですよね」
やり過ぎかやり過ぎじゃないかと言えば、それは当然の判断だろう。
親にしてみたら、こんな可愛い子のショタ時代、一人電車に乗せようなど、狼の群れに柔らかくて甘い香りの子羊を放り込むようなものだ。
変態からしたら、ランドセルに大きく『おいしいよ』『おそってください』と書いてあるように見えた事だろう。
って、小学生から私立って……、コイツとんだボンボンじゃねぇか。
「中高の校舎は小学校とは最寄り駅が別だったから、中学入学と同時に今の家を建てて引っ越して、徒歩通学できるようにしてくれて」
……あー。あのでっかい三階建の家な。
アレ、コイツの為に建てられたのかよ……。
分譲の建売住宅とは一線を画す、門から玄関までそれなりの距離がある、庭付きの綺麗な一戸建て。
駐車スペースも広かった。既に二台の自家用車が停まっていたが、もう二台ばかり楽に入るスペースがあるように見受けられた。
世帯主に相当の稼ぎがなければ、あの家を建てることはできないだろう。
品を感じさせる所作も、新人のくせして生意気にハイブランドのスーツを着こなしていることにも、そういう事なら納得だ。
「お姉ちゃ…あ、姉たちにも、」
「気にせず“お姉ちゃん”って呼べよ。そっちのが可愛いから」
「う………。その…、入社前に姉から、仕事が辛くてもすぐに辞めずに暫く我慢して頑張りなさいって言われたんです。でも、セクハラされたら即刻申告しろって。訴えて、金ぶん取ってから辞めなさいって言われてて。俺が泣いて見せれば皆が、多分相手側の弁護士だって同情するから、って」
「昨日会った姉ちゃんが?」
「花凛もですけど、特に上の姉が。母も同意見みたいで……。だから、そう言うセクハラ染みたパワハラなら、辞めない方が却って怒られるって言うか……」
昨日会った櫻井姉。アレが更に二人も居るのか……
そんな失礼なことを考えながら、松崎はなるほどなと静かに頷く。
「まあ、辞めても最悪、おじいちゃまが自分の所に来いって煩いので、次の職にも困ることもないし」
「おじいちゃま…!?」
「はい。うちの親会社の会長なんですけど」
「えっ…、じゃあお前縁故?」
「失礼な! コネ入社じゃないですよ。人事部も社長も知らないと思います。母方の祖父だから、名字が違うんです」
人事部長は兎も角、社長はその親会社からの出向役員だった筈だ。
知らないもんかねぇ、と思うけれど、本人がそう言うのなら頷いておくのが吉だろう。
「おじいちゃまからは、自分の会社に入るようにって言われてたんですけど」
姉も二人ともそこの秘書課勤務ですし、俺も大学時代に秘書検定取りましたし。おじいちゃまは秘書よりも、俺を経営に携わらせたいみたいですけど、と続ける。
本人にとっては産まれたときからその環境で生きているのだから、当たり前の事なのだろう。
しかし、『おじいちゃま』………。
「でも、会長の身内となれば、周りから一線引かれちゃうじゃないですか。伯父様が社長だし、従兄 も重要ポストに居たり」
「あー……、そうなの…」
もう何を言われても驚かないぞ、流してやる、と松崎は心に誓う。
「まあ、会長の身内じゃあ……、そうなるだろうなぁ…」
俺だって今、親会社の会長の孫って聞いて大分動揺してるわ。
今更手放す気も無ぇけど、初めに聞いてたら早々に諦めたかもしんねぇしな……
そんな事を口にすれば裕翔が確実に傷付くだろうから、顔には出さずに相槌を打つけれど。
「だから、社会勉強の為に、他の会社に就職したいって言ったんです。そうしたらおじいちゃまが、なら子会社の何処かに自分の力で入社してみせなさいって」
「それで、うちを受けたのか…」
「立地的にもいいじゃないですか。新橋だと酔っ払いリーマンにからまれそうだし、丸の内は格好良いけど女性陣 強そうだし、学生が多い街や繁華街だと騒がしいでしょう? うちの最寄りなら、いい感じに落ち着いてるし、交通の面で便利だし、東京タワー見ながらの通勤って朝からテンション上がるし、利点が沢山あったもので」
「あー……、そっか…。東京タワー、好きなのな…」
「はいっ。……健吾さん、今度一緒に…行く?」
何処か知らない金持ちのお坊ちゃまの、自分とは遠い話を聞かされているような気になっていた………。
しかし、唐突に見せられた照れ顔に、頭より先に鼓動が、裕翔のことを惚れた相手だったと思い出す。
「仕事帰り…とかな……、夜景でも観に行くか?」
「うんっ!」
掛け布団を纏ったまま体当りしてくる身体を受け止めて抱き締めると、裕翔は腕の中で嬉しそうに笑った。
誤解はすっかり解けたらしい。
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