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第30話

「…那智さん」 「ん?」 Trinityを出てすぐ、いつものように那智の斜め後ろを歩いていた京平が、何やら思いつめたような口調で話しかけてきた。 チラリと視線を向けた那智の目に映ったのは、俯き気味にアスファルトを見ながら歩いている京平の姿。 続きを口にするのかと少し待ったが、結局何も言わない京平に、那智はまた視線を前に戻して足を進める。 暫くの間お互いに無言で歩道を歩いているうちに、地下鉄の駅が近くなってきたせいか、行き交う人々が多くなってきた。 「…那智さん」 「なに」 駅の入口が見えてきた時点で、またも名を呼んでくる京平。 さすがに那智も、今度は足を止めて背後を振り返った。 那智に対して何か言いたい事があるのは確かだ。だがそれが言い辛い事なのか、名を呼ぶだけで次が続かない。 このままでは埒が明かないと思った那智は、きちんと真正面から向きなおった。 「なに?京平」 促す言葉に、ようやく京平は顔を上げて那智を見た。 「…那智さんは…」 「うん」 「…神さんと、」 「うん」 「…やっぱりいいです。なんでもありません」 「………」 そこまで言っておいて止めるのか? 多少意地悪さを含めてそう言いかけた那智は、結局その言葉を言わずに止めていた足を動かし始めた。 地下鉄の駅に向かって階段を降りながら、後ろに京平も着いてきている事を確かめてひっそりと溜息を吐きだす。 なんとなく京平の言いたい事はわかっている。 『神さんと那智さんはどういう関係なんですか?』 たぶん、そういう事。 京平がNo.4の座についてすぐの頃、一度聞かれた事がある質問。 その時に答えを返さなかったせいで、京平の中ではいまだに疑問が解決できずにモヤモヤしている事は知っている。 神と那智が二人っきりで行動をした後は、必ず京平の目が何かを問いた気な色を浮かべていた。 だが、残念ながらその問いにはいまだもって答えを返す事ができない。 何故か…って、那智自身にもわからないからだ。 神に惚れているし憧れてもいるけれど、だからといってそれが恋愛感情なのかというと、そうでもないような気がする。 同じ男として、惚れている、とか、憧れている、とか、たぶんそういう感情なんじゃないかと思う。恋愛ではなく、同性に対する憧憬と尊敬のようなもの。 ただし、神に執着されている事を喜んでいる自分がいるのも確かで…。それがいったい何なのか、何度考えてもわからないままでいる。 それに、神の自分に対する感情も、何によるものかはわからない。 神のそれも、恋愛感情ではないだろう。 そんな甘く可愛らしいものではなく、もっと深い何か…。 「…わからないな…」 考えを振りきるように頭を横に振った那智は、人混みに溶け込むような小声でそう呟いた。 そんな那智を背後から見つめていた京平は、普段はあまり変える事のない表情を、哀しげに、そして苦しげに歪めていた。 那智と京平が四神のいる場所へ向かっている頃、その四神達はすでに捕えるターゲットを見つけて行動を開始していた。 「なになに?アイツをグチャグチャにしちゃっていいわけ?」 「朱里、グチャグチャにするのではなくて、捕まえるんですよ」 「ぇえ?!じゃあ俺がグチャグチャにするからその後に白斗が捕まえればいいじゃん」 「朱里、お前少し黙れ」 「青のバ~カバ~カ」 「………」 今から仕事だというのに、とてもそうは感じさせない緊張感の無い四人。…いや、三人。 須黒だけはいつもと変わらず寡黙にビルの壁に寄りかかっている。 「ほら、二人とも睨みあうのは止めて下さい。京平さんが来る前にアイツらを捕まえなくてはならないんですから」 無言で睨む青と、それに対して「イ~っ」っと歯を剥きだしにする朱里。そんな二人を宥めている白斗を見つめる須黒の目には、何やら憐れみの色さえ浮かんでいる。 その時、 「動いたぞ」 通りの向こう側にチラリと視線を向けた青が低く声を発した。途端に空気が緊張感を帯びる。 「よしよし、いい感じに兄ちゃんが引っ掛かってんな。現行犯逮捕だぞっ」 通りの向こう側にいた売人に声をかけられた気の弱そうな20歳くらいの青年が、そのまま裏路地へ連れて行かれる様子に、朱里がペロリと唇を舐めて嬉しそうにニヤリと笑った。 その朱里の頭を後ろから軽く叩いたのは須黒だ。 「楽しむのは後だ」 「わかってるって」 「…よし。前後から挟み込むぞ。白斗と朱里は右側から。俺と須黒は左側からまわる」 的確な青の指示に全員が小さく頷き返す。 そして数秒後、ビルの暗がりに潜んでいた四人の影は瞬く間に消え失せた。 ピピピピピ。ピピピピピ。 「はい」 もう少しで四神達のいる場所に辿り着くという時に、那智の斜め後ろを歩いていた京平の携帯が着信を知らせた。 「…そうか…、わかった。すぐに行く」 それだけを返してすぐ通話を終えた京平に視線を向けると、 「白斗からです。売人を捕まえたと連絡がありました」 四神の一人である西の番人の名が告げられた。 「さすがに早いな。……素直に吐いてくれればいいけど」 「吐かなければ吐かせるまでです」 それまで抑揚のなかった京平の声に、ほんの僅かに狂楽の色が混じる。それはまるで『狂犬』の血が騒ぎ出した事を表すかのよう。 東区の中でも一番大きな繁華街。夜になっても、二人のいる地下鉄駅の出口付近は様々な人が行き交っている。 それなのに、京平の纏う空気が変化した瞬間、気のせいではなく周囲の人間との間に空間が出来た。 夜に生きる住人達は、危険な気配に敏感だ。そうでなければ生き残れない。 その彼らが、京平から放たれた気配を無意識に感じ取って無意識に距離を置いたのだ。 「…京平」 人混みで歩き辛い中に出来た空間を、何の躊躇いもなく歩き進みながら京平の名を呼んだ那智は、背後に着いてきている相手の気配が先程よりも明らかに凶悪に変化している事を感じ取っていた。 「なんですか?」 「今日は大人しくしてろよ」 「安心してください。那智さんに何もなければ大人しくしてますから」 「………」 何もなければ、の定義が確実に他人とは異なっている京平のその言葉に、安心などできる訳がない。 …これは9割の確率で荒れるな…。 簡単に事が済めば楽だと思う反面、何かが起きる事を楽しみにも思っている那智は、その口元に微かな笑みを浮かべた。 「四神達がいるのはこの先か…」 「そうです」 2つ先にあるビルを曲がった路地裏に、四神と売人がいる。 ようやく尻尾に手が届いた。尻尾を掴めれば、後は本体を引きずり出すのみ。 さぁ、尻尾の先にはどんな本体が待ち構えているのか。 そんな事を思いながら目的の路地裏に足を踏み入れた。 「なんだよぉ!俺が何したってゆうんだよぉ!」 陽が当たらない路地裏の地面は、夜になってもまだジメジメと湿っている。 そこへうつ伏せになって、朱里の右足に頭を踏まれている男が一人。 片頬を砂混じりの道路に張り付けている20歳前後の男は、力の入っていない弛緩した体をモゴモゴと動かしてあまり意味のない抵抗をしていた。 「朱里、あまり苛め過ぎないで下さいね。京平さんが来る前に潰れたら困りますから」 2人から数歩離れた位置に立ち、その様子をつぶさに眺めている白斗は、柔らかな声色とは裏腹に冷酷な気配を漂わせている。 この場にいるのは、捕えた売人と朱里と白斗の三人だけ。 数分前に売人を捕えた時、数メートル先にいた男が不審な動きで人混みに消えたのを確認した四神は、たぶんあれも仲間の一人だろうと見当をつけ、青と須黒がそいつを追って同じく人混みの中に消えていった。 きっと逃げ込む先は、どこかの組の事務所。もしくは、なんの関係もないように見せかけているが、結局は組と繋がりのあるフロント企業の事務所のどちらかだろう。 「白斗って俺の事なんだと思ってんの~?潰れるまで苛めないから大丈夫だって」 眺めている先の朱里が口をへの字にして文句を言っているが、その言葉は白斗の耳をきれいに通り抜けた。 表向きは何の傷も負っていない売人の服の下は、朱里の攻撃のおかげで青痣だらけのはずだ。それを知っているからこそ、朱里の言葉には一欠けらの信頼性も感じ取れない。 四神の中でも一番感情豊かで激昂しやすい朱里。 とりあえず、ラリってハイになっている売人がこれ以上の抵抗を示さなければいい。それは自らの怪我を増やすだけの行為だ。 そんな事を思いながら周囲に気を配って警戒していた白斗の耳に、路地裏へ入り込んできた二つの足音が聞こえてきた。 自然体の静かな気配を持つ人間が一人。そして、殺気とは違うが穏やかとも思えない動物的な気配を持つ人間が一人。 白斗の顔が、それまでとは違う心からの嬉しさに緩められた。 「朱里」 「わかってるよ白斗。思わぬ賓客の登場だ」 2人とも、あと数秒でここに姿を現すだろう人物の気配を正確に捉えていた。 朱里はその顔に満面の笑みを浮かべ、下唇をペロリと舐める。 京平だけだと思っていたのに、他にもう一人分の気配を感じる。 自分達が知る中で、この独特な静謐さを醸し出す気配を纏っているのはたった一人しかいない。 『ゼロの軍師』『Blue RoseのNo.2』という肩書、そして更には『ゼロの至宝』という二つ名を持つ人物。 那智だ。 「早く離せよぉ!仕事が出来ないだろぉぉっ!」 せっかく2人が嬉しい気分に浸っているところへ遠慮無しに放たれた声。朱里は思わず、頭を踏みつけていた足にさらなる力を込めてしまった。 「いててててっ!痛いっつうのぉ!」 「さっきから煩いんだよお前は!俺達のせっかくのいい気分を台無しにしやがって!」 一気に気分が急降下した朱里は、苛立たしげに眼を細めて足元の売人を見下ろす。 その時。 「傍から見ると朱里の方が悪人に見えるな」 どこか笑いを含んだ呆れ声。 ビルの角から、後ろに京平を伴った細身の人物が姿を現した。 「那智くんっ!」 「那智さん」 朱里と白斗の声が重なる。 と同時に2人共が瞬時に片膝を地面に着き、頭を下げ、尊敬する相手に対する最高礼の形でもって那智を出迎えた。 四神が片膝を着いて頭を下げるのは神と那智のみ。それ以外は、例え相手がBlue Roseの幹部といえども膝を着く事はない。

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