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第34話

†  †  †  † 「あ!秋津発見!」 深夜のgrimoire。 いつもは蓮の指示で外を動き回っている新人幹部の秋津(あきつ)が姿を現した瞬間、ビリヤードをしていた孝正の瞳がキランと輝いた。 勝負そっちのけでキューを台の上に放り投げ、秋津の元に走り寄る。勝負をしていた相手にしてみれば、オイ待てコラ、と言いたくなるような行動だ。 だが、当の本人はそんな事を気にも留めず秋津に詰め寄った。 「情報収集してたんだろ?なんか面白い事あった?」 高二の孝正より一つ下の秋津は、弾丸のように飛びついてきた相手のテンションの高さに慄き(おのの)気味になって後退りながらも、しっかりと頷き返した。 「あの…、はい、おかしな事態が起きてました」 「は?おかしな事態?」 秋津の口から零れ出た思わぬ言葉に、孝正の双眸が細められる。 カウンターでいつものように赤い液体を飲んでいた千影も、視線をチラリと二人へ向けた。 「…そうかそうか…。いま蓮はいないから、そのおかしな事態ってやつは俺が聞いてやるよ」 そう言った孝正は、同じ高さの目線を持つ相手の肩に手をまわし、無理やり歩かせるようにしてカウンターまで連れてきた。 なぜ孝正がこんなに秋津を急かしているのかというと、理由は簡単。羽純よりも先に情報を得て早く動き出したい、という子供じみた対抗心からである。 もちろんそんな事を知る由も無い秋津には、とばっちりもいいとこだ。 無理やり千影の横に座らされ、孝正との間に挟まれた形になる。 目をキラキラさせて見つめてくる孝正もやっかいだが、それよりも、無表情で何を考えているかわからない静かな目つきでジーっと凝視してくる千影の方が、秋津には遥かに居心地が悪かった。せめて何か言葉を発してほしい。 「…ち、千影くん。あまり見ないでくれる?」 「僕の事はいないものと思って下さい」 「………」 ならそんなに凝視しないでくれ…。 自分よりも一つ下の中三である千影にすら強く出られない秋津だった。 それからすぐ、待つ事を知らない孝正によって、先ほど得たばかりの“おかしな事態”を説明する事になった秋津は、最後に一言「たぶんゼロが動いたんでしょうね」という言葉を残してまた外へ出かけて行った。 残された孝正と千影は、お互いに顔を見合わせる。 「あんなにたくさん配置されてた売人共が突然姿を消すなんて、秋津が言う通りゼロが動いたとしか思えないよな?」 「…そうですね。他の派閥が動くとも思えないですし、だからといって組の方が自主的に手を引くなんて事もありえませんから。間違いないと思います」 そう千影が言った瞬間、突然背後から声がかけられた。 「そうよね~、私も今外を歩いてておかしいと思ったのよ。やっぱりゼロよねぇ動いたのは…」 身に染みて聞き覚えのある声に、孝正が物凄い勢いで後ろを振り返った。 「…羽純…テメェいつの間に…」 どことなく引き攣った目元と上擦った声。 そんな孝正を見た羽純は、ここぞとばかりに「フフン」と鼻で笑った。 「私を出し抜こうなんて100年早いわよ、ボ・ウ・ヤ」 「…っ…このッ!!」 坊やと言われて顔を真っ赤にした孝正は、座っていたスツールから飛び降りて羽純に食ってかかろうとするも、振り切ろうとした右腕が何かに引っ掛かって動かない。 「…え」 「やるならアッチ」 孝正の二の腕部分の袖を引っ張ってドアの方向を指し示したのは、横に座っていた千影だった。 「アッチって…」 外でやれって事かよ…、と千影が差し示す方向に何気なく目を向けた孝正の顔が、ピキっと固まる。ちょうど、外から戻ってきたと思われる蓮が姿を現したのだ。 やるなら蓮の目の前でやりやがれ。 千影のそんな声が聞こえたような気がした。 その後、“Staff Only”と書かれた店内奥の部屋に集まった蓮、羽純、孝正、千影、の四人は、それぞれソファに座ってお互いの意見を出し合った。 結果、やはり街から売人の姿が消え失せた裏には、確実にBlue Roseが関わっているだろうと意見が一致し、蓮が言葉少なに「全員意見は同じか…」と声を発した。 一人掛け用のソファに座り、足を組んで、何かを考えるように人差し指の背で唇に触れている姿。 こういう風に考え込んでいる時の蓮は、必ずその後に重大な指令を告げる事が多い。 それを知っている3人は、ほんの少しの緊張と好奇心を混ぜ合わせた面持ちで、蓮の口が開かれるのを待った。 そして数分後。 「エレメンツを動かすぞ。孝正、(シズク)に連絡を取っておけ」 「了解!」 蓮から告げられた言葉に、その場にいる全員が僅かに目を見張った。そして次の瞬間、嬉しそうに笑みを浮かべる。 孝正に至っては破顔レベルで満面の笑みだ。 『elements(エレメンツ)』とは、Moonlessに属するとある四人の総称。 Blue Roseの四神と対を張る存在として知られており、幹部ではないが、幹部候補として上位に位置する四人。 Moonlessが治める高楼街の西区を四つに分けて、 東区域を(シズク)、南区域を(ホムラ)、西区域を(ソウ)、北区域を大地(ダイチ)が治めている。 このエレメンツも四神と同じく、幹部からの直接的指示が無い限り動かない事になっている。 逆に言えば、エレメンツが動くという事は、それなりの事態が起きているという事の証でもある。 「蓮、売人がいなくなった今エレメンツを動かすって事は、…その意味は一つしかないわよね?」 問いのように見せかけながら、羽純のそれは確信の言葉だった。 エレメンツの行動目的は、“Blue Roseとの抗争” 孝正がハッと目を見開いた。久しぶりのエレメンツ指令に気分が高揚して、そこまで考えていなかったらしい。 「…マジでやんの?雫にそう言っちゃうぜ?俺」 「あぁ。このままゼロの好き放題にさせていたら、いずれVercheの仕切る北区も奴らのモノになる。そうなれば今の均衡が崩れる。…こちらの不利な方に、な」 忌々しそうに眉を寄せた蓮の表情は、さすがの羽純もおいそれと茶化せないほど厳しいものだった。 †  †  †  † Trinityへ向かう道の途中、ポケットに入れてあった携帯が不意に振動し、その長さからメールではなく着信だと判断をつけた那智は、なんとなくの嫌な予感を感じながらも携帯を取り出して画面を確認した。 そこに表示されている記号だけの表示は、わざとアドレス登録をそうしている人物のものだ。 この相手には、基本的に電話をかけてくるなと言ってある。それがかかってきたという事は、そうせざるをえない事態が起きたという事。 「はい」 『もしもし、今大丈夫ですか?』 「…少し待って」 相手に応じながらさりげなく視線だけで周囲を確認した那智は、今いる大通りからすぐ横の路地裏に入り込み、年季の入ったビルの壁に背を預ける態勢をとった。 話に集中したい。だがこの人混みの中で、あまりに話に集中し過ぎて無防備なところを狙われてしまったら元もこうもなくなる。 Trinity以外で気を抜くのは危険な今の状況下では、ほんの些細な事が命取りになるとわかっているだけに、警戒を怠る事はできない。 左右に視線を流し、路地裏に着いてくる者がいない事を確認した那智は、そこでようやく意識を一つに絞った。 「いいよ。どうした?」 『エレメンツが始動します』 「…思ったより早かったな…」 Moonlessの内部に潜り込ませてある相手の言葉に、短く溜息を吐いた。 『売人達の姿が消えた事で、決断したようです』 「やっぱり動いた事がバレたか…」 電話向こうの相手が言う通り、今日になって、それまで目についていた売人達の姿がキレイさっぱり消え失せていた。 宗賀組への贈り物が威力を発揮したわけだ。 次は、必ずくるであろう報復に対して防御線を張らなければならないというのに、よりにもよってこのタイミングでエレメンツを動かすか…。 ここでエレメンツが動くという事は、その狙いは確実にBlue Roseに向けられているとわかる。 そちらにも手数を割かなければならない。非常にやっかいな状況だ。 けれど…、 『…あの…もしかして楽しんでますか?』 「あぁ…、よくわかったね」 那智の口元には薄らとした笑みが刻まれていた。 その気配を敏感に感じ取ったのか、電話の向こう側からは怪訝そうで、でも感嘆しているような声が漏れ聞こえてくる。 尚更、那智の口端が吊り上がった。 『エレメンツが動くという事は、目的は確実に…』 「ゼロに向けてだろうな。わかってるよ」 相手の声を遮る那智の声は、心なしか弾むよう。 物事が簡単ではなくなる程、闘争心がかき立てられる。砂の壁より鉄の壁。崩した時の達成感はどちらがより大きいかなんて、想像しなくてもわかる事だ。 「俺達に北区を奪われる前に、エレメンツを動かして阻止しようって事だろ?…エレメンツが動くという事は蓮が本気になった証だ。かなり厄介だろうな」 言葉尻にフッと零れる笑い声。 本当に厄介と思っているのかも怪しい那智の口ぶりに、相手も深く追求する事はやめたようだ。 『…エレメンツに四神をぶつけるつもりですか?』 「そうだな…。両方とも同じような位置関係にあるだけに、どちらがより腕がたつのか試したがっている節はあるけど…、まぁ、風の赴くままにというところかな」 『わかりました。また緊急事態が起きれば連絡させてもらいます』 「あぁ、宜しく頼む」 『それでは失礼します』 そこで通話は終了した。 携帯をポケットに押し込んだ那智は、ふと夜空を見上げた。 不夜城高楼街。 ビルが立ち並び、昼間と同じくらいに夜が明るいこのまやかしの街では、物事の本来の姿を見る事は出来ない。 人工的な物がはびこり過ぎて、本物の夜空はベールの向こうに姿を隠してしまっている。 虚構と現実の境が曖昧なようで、その実ハッキリと線が引かれているこの場所で、いったい自分は何を掴みとれるのだろうか…。 それを知るのは、たぶん今ではない、だろうな。 見上げていた顔を戻して前髪をかき上げた那智は、少しの反動をつけて壁から背を離すと、大通りへ向かって足を踏み出した。

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