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第38話

†  †  †  † 「那智さん!たった今、四神とエレメンツが北区でぶつかったと情報が入りました!」 Trinity内のカウンターでモバイルパソコンを操作していた那智は、勢いよく扉を開けて走り込むように入ってきた和真の大声に、思わず眉を顰めた。 「和真君。キミは普段も煩いとは感じていたけど、やっぱりどんな時でも煩いんだねぇ」 那智の隣のスツールに浅く腰を掛けていた宗司が、相変わらずの揶揄口調でニヤニヤ笑いながら言葉を放つ。 常に緩い宗司と、常に熱血の和真。足して二で割ればちょうどいい。 その場にいた那智と高志は、内心で全く同じ事を思っていた。 「…で?他には誰か行った?」 パソコンを閉じながら那智が問うと、真後ろまでまで歩み寄ってきた和真は、何もそこまで…というくらいに首をブンブン縦に振り、 「仁科君と修二が向かっているそうです」 そう言った。 …仁科と修二か…。 那智の脳裏に、以前、一般メンバー達が集まるクラブ『BlueMoon』で会った二人の姿が浮かび上がった。 いずれ幹部候補に上がってくるだろうと思える仁科と、やたら警戒心旺盛だった赤髪の修二。 あの二人が行くなら問題はないはずだ。 ここ最近、2人の実力を耳にしていた那智は納得したように頷いた。 「わかった。そっちは任せておいて大丈夫だろう。…Vercheの方は?昨日、一部の奴らが闇とぶつかったって聞いたけど、結局drawで終わったらしいな」 「今日はまだVercheは姿を見せていません。もしかしたら、エレメンツと四神の様子を見てから動くのかも…」 「おぉ~。和真君も多少は物事が見えるようになってきたねぇ。いや~、その成長がお父さんは嬉しいよ」 「誰がお父さんっすか!?宗司さんみたいな親なんて俺絶対イヤです!」 「…和真…、このヤロウ…」 那智の問いに真剣に言葉を返していた和真だったが、宗司の揶揄にムキになって言い返した結果、それが自分の首を確実に絞めた事を理解したのは、宗司にプロレス技を仕掛けられてからだった。 …直哉と和真は、宗司さんの格好の玩具だな…。 苦しむ和真と満面の笑みを浮かべる宗司を見て、深々と息を吐き出した那智だった。 「それじゃあ俺も四神のとこに行ってくるかな~。面白そうだし」 思う存分和真を苛め倒した宗司が、それまでヘッドロックを掛けていた相手の体を唐突に床に落とし、下から「ヴっ」という呻き声がするにも関わらずそれを全く無視して扉に向かって歩き出した。 「あれ?お前今日はVercheのとこに行くって言ってなかった?」 「高志ー、細かい事言ってると和真になっちゃうよ?」 「それはイヤだなぁ。いってらっしゃーい」 カウンター内部にいた高志ににこやかな笑みで見送られ、宗司は意気揚揚と外へ出て行った。 那智がチラリと向けた視線の先では、床にしゃがみ込んだ和真が両膝をギュッと抱えてイジケている。 今にもシクシクと泣きだしそうな暗い雰囲気を醸し出している様子に、当分は復活しないだろうから放っておこう、と決めたのはその僅か数秒後。 高志を生贄に据え置き、那智も外へ出て行く事にした。 那智よりも数分先に出た宗司は、言葉通り、地下鉄に乗って北区まで行き、四神達がいるという運動公園へと向かっていた。 その公園とは、以前に高志と二人でVercheの動向を探るために訪れた事のある公園だ。 入口が見えたところで気配を押し殺し、足音を立てずに敷地内に入り込む。 こんな時、身を隠せる木々があるのは有難い。 「お、いたいた」 木々の隙間から見える公園の中央付近。 そこにいる12~3名前後の人影が、月明かりを浴びて浮き彫りにされていた。 宗司は傍観者の如く、近くにあった太い幹に背を預けて寄りかかり、木立の影から見守る態勢を取る。 暴れるのなら、この涼しい夜風はちょうどいい。 …俺も久々に暴れたいねぇ…。 離れていても感じる前方からの熱い闘争心に、ついつい心を引きずられてしまいそうになる。 煙草を吸いたいところだが、そんな事をすればせっかくこんな所に身を隠していても存在を気付かれてしまうだろう。 暴れる事も出来ず煙草も吸えない。 面白そうだと来てみたのはいいが、実際、今の自分の状態は退屈極まりないんじゃないか?という事に気が付いたのは、どうやら四神とelementsが本格的に闘り合おうと動きだした時だった。 一人が動き出したのをきっかけに、まるで乱戦のような状態にもつれ込んだ両者。 あまりに空間が詰まっていると清々闘えないと思ったのか、徐々に散らばっていく。 「ハハっ、面白い組み合わせだなぁオイ」 散らばった事で、1対1の組み合わせがハッキリと露わにされた瞬間、宗司は思わず笑い出した。 青には雫が、朱里には焔が、白斗には颯が、須黒には大地が。 似た色を持つ者同士のなんとも絶妙な組み合わせ。 そして、その他のMoonlessの人員には、仁科と修二が対応している。 顔を知らないという事はMoonlessの一般メンバーなのだろうが、elementsに着き従ってこの場に来たのだからそれなりの人物達だろう。仁科と修二が相手をするのに不足は無いはずだ。 「…いいなぁ…、俺も混ざっちゃおうかな」 「何言ってるんですか。ダメに決まってるでしょう」 突如として背後からかけられた窘めるような声に、宗司はニヤリと双眸を緩ませた。 いつから来ていたのか…、見事に闇の中に溶け込んでいた相手が、その漆黒の空間から姿を現して隣に並んだ。 チラリと横目で見るとその視線を感じたのか、それまで宗司の方を見向きもせずに静かな眼差しを正面に向けていた那智が、ようやく振り向いた。 「じゃあ、なっちゃんが俺と遊んでくれる?」 「遠慮しておきます」 眉間に皺を寄せて本気で答えた那智に、宗司はクククっと肩を震わせて笑いだす。 「隠れているつもりなら、その声抑えた方がいいんじゃないですか?」 「アイツらの事だから、もしかしてもう気付いてんじゃないの?」 「かもしれないですね。…まぁいいですけど…」 肩を竦めて呆れたような眼差しを宗司に向けた那智は、冷ややかな表情に戻って木立の向こうで闘り合っているメンバー達に視線を戻した。 地面を蹴りつける靴音。殴る音。蹴られる音。怒声と呻き声。 それらが静かな公園に響き渡る。 気付けば、Moonlessの一般メンバー3人は地面に倒れ伏し、そのすぐ傍では荒く肩で呼吸をして立っている仁科と、片手で横腹を押さえて顔を歪めながらも勇ましく仁王立ちしている修二の姿があった。 こちらは決着がついたようだが、さすがに四神とelementsの方はまだ決着はついていない。 一般メンバーの闘いとは違って、お互いに一発の拳が形勢を逆転してしまう事がわかっている両者は、まるで武闘家の如くお互いの隙を狙って攻撃と防御を繰り返している。 これは長引くどころか、決着自体がつかないだろう。実力は五分と五分。 「…これどうすんの?終わるまで見てたら朝になるぜ?」 もう見つかろうがなんだろうがどうでもよくなっている宗司は、煙草を取り出してそれを口端に咥えた。 ライターに火が灯るシュボッという音と、辺りに広がるオイルの匂い。 吸う?とばかりに目の前に差し出された箱に、いらない、と無言で那智が首を振ると、何故か宗司は珍しいものでも見るような不思議そうな表情を浮かべた。 「…そういえば那智が煙草吸ってんの見た事ねぇな…。みんなの前で吸わないだけで普段は吸ってんのかと思ってたけど…」 「今更なに言ってんですか。俺は煙草は吸わないですよ」 「酒は飲むのにな」 「それとこれとは別です」 「そんなもんかねぇ…」 宗司と神と那智は、時々3人で飲む事がある。 宗司と神は言わずもがな、どれほど飲んでも顔色一つ変わらないが、那智もそうだと知った時の二人の驚き様は凄かった。 …と言っても、表だって驚いていたのは宗司だけだったが…。 それが発覚した時、宗司は異常な程に残念がり、「那智が酔ってフラフラした姿を楽しみにしてたのに…」と呟いて、無表情の神に蹴られていた。 きっと宗司はそれらを思い出しながら言ったのだろう。 だが那智にしてみれば、“酒を飲む未成年は全員煙草も吸う”なんて図式が出来上がっている宗司の頭の中の方がよっぽど不思議だ。 那智に煙が向かわないように、逆側の方の手で煙草を持っている宗司。 こんな部分はしっかりしているのに。 横目に宗司の甘く端正な顔を見て、そのさりげない気遣いに思わずフッと笑った那智だった。 「…しょうがないからそろそろ止めてやるか」 離れた場所で繰り広げられている闘いが始まってから、既に2時間以上は経つ。 宗司は疲れたようにボソリと呟いた。 観賞している間に消費された煙草の数は5本。いい加減に飽きたといったところか。 お互いに満身創痍になりながらも、プライドにかけて負けるわけにはいかない両者は、負けは愚か引き分けにすらするつもりはないのだろう。 最近大人しくしていた事へのガス抜きは、もう充分に出来たはず。そして、お互いの力が今はまだ同等のものだという確証も得たはずだ。 今日この場でのこれ以上の闘いは、“戦力の疲弊”という、意味の無いものへと変わる。 Vercheの事も頭に入れておかなければいけない今、勝てる手応えを感じないのなら一度引いた方がいい。 そろそろいいか…、と判断した那智は、隣に立つ宗司に頷いて見せた。 途端に、待ってましたとばかりに歩き出す宗司。 木立を抜け、何の躊躇も無く公園の中央へ歩み寄る姿は余裕綽々で、四神とelementsが本気で闘り合っている真ん中へ突入しようとしているにも関わらず、気負いは全く感じられない。 普段は緩い感じを受ける宗司の本性が垣間見える様子に、それを後ろから見ていた那智はそっと息を吐いた。 それは感嘆たる思いに満ちたものだった。 「はい終わり終わり」 突然現れ、カーゴパンツのポケットに両手を入れた姿で声を放った宗司に、地面に伏しているMoonless一般メンバーの3名も合わせた総勢13人分の視線が一斉に集まった。 「互いの力が均衡して勝負の行方が見えない時は、引き際を見極める事も重要だって知らないのかね、君達は」 アドレナリンが放出されまくっている空気の中、一人だけ自然体でいる宗司の存在は極めて異質。 熱くドロドロとした中に一片の涼しい風を運び込んだような宗司の登場に、全員の動きが見事にピタリと止まってしまった。 それを見ていた那智は、一人、木立の闇の中で笑いをかみ殺す。 「アンタは…ゼロの…」 須黒とやり合っていた大地が無表情のまま呟いたのをきっかけに、これ以上闘いを続けようという気迫が薄れていく。 掴みあっていた手を離し、お互いに自然と距離を開いていった結果、宗司を真ん中にして左側にelements、右側に四神と仁科と修二が集まる状態となった。 宗司の出現にelementsが警戒度を増すと思いきや、そこはさすがといったところか、誰一人としてそんな威嚇するような素振りを見せない。 彼らを静かに見渡した宗司は、次の瞬間、それまでの緩い表情を一変させ、眦を鋭く切り上げた。 「朝日が昇るまで耐久戦をして力を削って、いざって時に使い物にならなかったら、それこそVercheの思うつぼだろ。決着が着かないと見極めたら一度終わらせる。それが出来ないのはお前らがまだ未熟だという事だ。俺達は単なる喧嘩屋じゃない。暴れたいだけなら他へ行け。先を見通して今を終わらせる勇気が持てないなら、守護神の資格はない。今お前達が闘り合っているのは何の為なのか、よく考えろ。感情的になって目先の事しか見ないまま、本来の敵に足元をすくわれるような失態は許されないぞ」 淡々と、感情を込めないからこそ厳しさの伝ってくる声とその内容に、四神はおろかelementsも返す言葉を失ったかのように黙り込んだ。 普段は茶化したり揶揄ったりばかりの宗司だが、その本性は至って冷静で理知的。 これがBlue Rose対Moonlessというだけの抗争なら、お互いが満足するまでやればいい。だが、今の本当の敵はVercheと宗賀だ。 Blue RoseとMoonlessの本格抗争も始まったのは確かだ。けれど、今の一番の目的はそこじゃない。それを見誤るな。己の感情だけで暴れたいなら余所へ行け。 宗司が言ったのはそういう事。 まるで頭から冷水をかけられたかの如く凍りついた四神とelements。 痛い程の沈黙に覆われたその場で、いちばん最初に動いたのは、 「すみません、宗司さん」 四神の青だった。 「ここでエレメンツと決着をつける事ができれば、この先の戦局が大きく変わると…、焦り過ぎました」 判断を誤った自分自身が情けないのだろう、青は自嘲するように眉を顰めている。 「敵の幹部に説教されるなんて最悪だね。それも言っている事が頭にくるほど正しいときたら、いくら俺様でも過ちを認めないわけにはいかないじゃないか」 今度はelementsの雫が肩を竦めながら呟く。 だがその顔には、青と同様に自嘲の表情が浮かんでいた。 派閥の守護神とまで言われるような彼らは、正しい事は正しいと受け入れる度量の大きさを持っている。 それにしても、四神はともかく、敵であるelementsが大人しく引いた事に、木立の闇の中から見守っていた那智は少々の驚きを感じていた。 やはりその名は伊達じゃないな…と。 たぶんこれがMoonlessの一般メンバーだったなら、宗司の言葉を敵の戯言だと反発し、その拳も止めなかっただろう。 そして逆に、もし彼らが一般メンバーだったなら、宗司もいっさい口を挟まなかったはずだ。 厳しく接するのは、その相手をダメな奴だと思っているからじゃない。 見込みがあるからこそ、間違いを正して成長させてやりたいと思うからこそ厳しくする。 幹部というのは、自分達だけの事を考えているだけではダメだ。自分達の派閥、更には裏高楼街全てに対しての責任を持たなくてはならない。 いずれはBlue RoseとMoonlessも、お互いに一歩も引く事は出来ない戦いに身を投じる事になるだろうが、今一番に考えなければいけないのは、そこじゃない。 いずれ確実に幹部に上がるだろう四神とelementsに、宗司の言葉は重く響いた。 「今日はこれまでですね」という四神白斗の言葉に、elementsの焔はまだ暴れ足りないのか不満そうな声を上げたけれど、状況をしっかり理解している為にそれ以上何かを言う事はなかった。 力の均衡がどちらかに偏っていたのなら、いずれ決着はついたのだろうが、五分五分の戦力だと理解した今、これ以上闘り合ってもそれは結果論からして凶と出る時期。 四神もエレメンツも、今度はVerche問題など関係ない時にきっちり決着を着けたい、と、そう言いながら、完全に拳を手の内におさめた。 最後に雫が「北区は闇の物だからな。勝手に手を出すなよ」と鼻で笑いながら歩きだしたのをきっかけに、elementsは公園を後にした。もちろん、地面に伏していた3人の一般メンバーも引きずって。 elementsが姿を消してから少し後。 表向きは至って平静に見える四神が、実は心の底で落ち込んでいる事を見てとった那智は、出るはずもなかったのについつい木立から足を踏み出してしまった。 地面の砂を踏むその微かな足音に顔を上げた四神と仁科と修二。 一瞬放たれた警戒も、すぐに驚愕へと変わる。 「向こうも北区を取られまいと本気を出してきているからね。こっちも本気でぶつからないと負ける。そんな時に細かい事を考えていられないという気持ちはよくわかる。その心意気は間違ってない。だから、今度はそこに宗司さんの言った意味を踏まえた行動を足せばいいだけだ。落ち込む必要はない」 木立の闇から姿を現した那智の言葉に、四神の顔から自嘲の表情が消えた。そして次第に、気を引き締めた守護神としての力強い瞳が戻ってくる。 成長は焦らず一歩ずつ。間違う事が悪ではない。間違う事で見えてくるその先がある。 那智が言外に伝えたかったものを、どうやら四神は全て受け取ったようだ。それまでの沈んだ雰囲気から一転、いつもの覇気が戻った4人。 そんな様子を見ていた宗司は、器用に口笛を鳴らした。 さすが那智。自分の言葉を鞭とすれば、見事に飴を差し出してくれた。 何も言わずとも繋げてくれる毎度毎度の絶妙なコンビネーションに、宗司の顔には笑みが浮かんでいた。

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