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第41話
† † † †
那智の素性が明かされた事を神と京平に告げた翌日。
Blue Roseの幹部・幹部候補にそれが通達され、皆多少の動揺は見せたものの、「大丈夫大丈夫」と暢気な感想を述べた宗司によって緊張はだいぶ緩和された。
そして更にその翌日。
夜と深夜の境目である0時。Trinityを出ようとした那智の肩に、背後から伸ばされた誰かの腕が絡み付いた。
…というより抱きつかれた。
「…京平、大丈夫だって言っただろ」
「イヤです」
「………」
ここ数日の間、京平の口からこの言葉しか出てないように思うのは、気のせい…じゃないよな。
振り向かなくても誰なのかわかっていた那智は、予想通りの相手から返ってきた言葉に溜息を落とした。
京平がこんな行動をとるのは、元はと言えば自分のせいだ。だからこそ、強く拒否できない。
心配のあまりか、少しだけ情緒不安定になっている京平は、この手を放したらまるで那智が死んでしまうとばかりに腕に力を込めている。
…いったいどうすれば。
奥のソファに座っている宗司に助けを求めるようにチラリと視線を投げかけても、絶妙なタイミングで逸らされる。
カウンター前にいる高志にチラリと視線を向けても、一瞬でくるりと背を向けられて知らぬ振りをされる。
『京平のお守は那智の役目』
そう言われている気分だ。
京平には悪いけれど、こうなったら無理やりにでも引き剥がすしかない。
と那智が決意した時。
「京平、いい加減にしろ」
大きくはないが通る声が背後からかけられた。
宗司と高志の二人が、「あらら~、ご愁傷さま」とばかりに両手を合わせている。
だが、奥の部屋から姿を現した神は、近寄ってくるかと思いきやそのまま高志のいるカウンターの方へ行ってしまった。
気を利かせた高志がカウンター内に入り、神の為に何かを用意し始める。
いまだ背後に京平を張り付かせた那智は、その体勢のまま首だけでそちらを振り返った。
「今から少し出てくるけど、ついでに何かしてくる事は?」
その問いに、神は一度だけ首を横に振った。そしてそのまま視線がヒタと京平に向けられる。
たぶん、何を言われるのかわかっているのだろう…、京平が少しだけ悲しそうに眉を寄せた。
「京平」
「わかってます。…でも那智さんが…」
「那智は何も出来ないガキじゃない。お前は、守られる事だけを那智が望んでいると思うか?」
神の言葉に、京平がハッと息を飲む音が聞こえた。
暫くして、那智に絡み付いていた腕が静かに離れてゆく。
静かだけど厳しい神の言葉。きっと京平には、『お前は那智の事を信じてないのか?』と聞こえたに違いない。
ひたむきに那智を見つめてくる瞳には、那智への全面的信頼が溢れていた。ただ、それと同時に不安という心も伝わってくる。
ここで宥める言葉を言うのは簡単だが、逆にこの場でそういう言葉を掛けてしまったら京平の男としての矜持を傷つける事にもなりかねないとわかっている那智は、手を伸ばして京平の腕を軽く叩き、「いってきます」とそれだけ言って今度こそtrinityを出た。
冬の訪れとともに、深夜の空気もだいぶ冷え込んできた。
黒のロングコートを着てはいるものの、頬に触れる冷たい風まで防ぐ事はできない。
寒くなると身体の感覚が鈍る為にあまり外へ出たくないと思っている那智だが、今はそんな悠長な事を言っていられる余裕もない。
今夜は、過去と未来も含めた宗賀の動きを探るために、どうしても行かなければならない場所がある。
そしてそれがとても最悪な事に、北区・東区・西区の3区の境目にあったりするものだから始末に負えない。
VercheとMoonlessに目を付けられている今、そんな場所に行くなんて、
“飛んで火にいる夏の虫”
自分の今の行動は正にその“虫”なんじゃないだろうか…、とさえ思ってしまう。
仕方ない…と小さく嘆息した那智は、コートのポケットに両手を入れた姿で地下鉄へ向かった。
「なぁ、大学卒業した時には俺のとこに来いよ。お前なら絶対に情報屋の上位に食い込めるから」
「謹んで遠慮しますよ。俺は別に情報屋を目指している訳ではありませんので」
「つれないなぁ~。お前が代価として持ってくる情報はかなり良い物なのに、勿体無ぇ」
「質の良い代価を持ってこないと、そっちの情報と交換してくれないから仕方がないじゃないですか。俺も好き好んで高い情報を渡している訳じゃありません」
「その冷たい態度も最高なんだけどなぁ」
まだ言うか…、とばかりに、那智はそれ以上の戯言を無視してとあるマンションの1室を出た。
知る人ぞ知る情報屋、如月 。性別、男。外見は一言でいって“ワイルド”
とても情報屋には見えない。
以前、「銃を抱えて野山を走ってる方が似合ってる」と感想を述べたところ、問答無用で頭を叩かれた事がある。
不精髭のせいか年齢は不詳(予想では20代後半~30代前半)。
気分屋のセイとはまた違って、こちらが差し出す情報と引き換えに欲しい情報を提供してくれるという、give&takeをモットーとしている情報屋だ。
もちろん、信頼してもらえなければ、その門戸は開かれない。
一見さんお断りとして、如月が信頼している人物を通して紹介してもらわなければ、会う事さえ出来ない。
情報屋としての腕はセイの方が上だ。だが、どちらがより気軽に情報を差し出してくれるかと言うと、言わずもがな…。
後腐れなく欲しい情報だけを用意してくれて、尚且つそれなりの腕前を持っている。
日常的に利用するには、如月は正にうってつけの情報屋だった。
築何年かわからない古いマンションを出た那智は、今しがた得た宗賀組の……と言うよりは新崎の情報を思い出し、僅かながらに苛立ちを感じていた。
資金が苦しいからと言って高楼街に手を出すなんて、完全に派閥の存在を軽んじているとしか思えない。
確かに、本物の玄人からすれば自分達は単なる子供にしか見えないだろう。子供のお遊びだと。
――――――何年か前の話――
美味しい市場になるはずの高楼街を手に入れれば、確実に莫大な資金が手に転がり落ちてくる。それがわかっているだけに、当時は誰も彼もが高楼街の利権を欲しがっていた。
ただ、その欲望のままに高楼街が組同士の利権争いの地に選ばれてしまえば、そこはもう常に抗争の絶えない戦国地となってしまい、全国にある裏組織の調和が完全に狂ってしまう事も確かで…。
ただでさえ外国マフィアに日本の裏社会を乗っ取られそうになっているという昨今、国内組織の共倒れにもなりかねない無用な抗争は避けなければいけない事をわかっている彼らは、その懸念の元に、嵐の中心となるだろう高楼街を“不可侵の場とする”という条約を結ぶことにした。
だが、ここで一つ問題が浮上した。
高楼街の権利が誰にも所有されていないとなると、それもまた外国マフィアの格好の餌食となってしまう恐れがあるという由々しき問題。そうなれば本末転倒。
そこで一気に明るみに出たのが、未成年達による派閥の存在だ。
金銭の絡む利益を得る為ではなく、若いが故の、自分達の力の誇示と縄張り争いを目的とした素人にしては統率のとれた部隊。
彼らが取り仕切るなら、高楼街は“空き地”にはならない。
この形態が全ての調和を保つのに最も適した形となる事がわかった裏組織連中は、条約を完全に締結し、抗争の多かった高楼街から手を引く事になった。
その際に派閥の幹部達を呼び出し、彼等とも条約を取り交わしたのは言うまでもない。
それが今の裏高楼街における“掟”となっている。
日本の裏社会の総意として条約を交わした“派閥”ともなれば、外国マフィア達もうかつに手を出す事ができない。手を出す=日本の裏社会全てを相手にする事になるからだ。
この事により、高楼街は現在まで裏社会の利権の場と成りえないでいた。
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