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運命の輪~a fateful encounter with himⅢ~

Ⅱの京平視点 *―――――――――* 『京平は良い子ね』 『京平は私達の言う事をよく聞くのよ』 物心つく前から繰り返されていたセリフ。 それはまるで洗脳のように精神に染みわたる。 小学校に上がる頃には、親の望み通りの完全なる優等生の出来上がり。 親の言う通りにすれば褒められる。 親の望む事をすれば喜ばれる。 それが当たり前だと思っていたのは、小学2年生まで。 3年生になる頃から感じ始めていた違和感。 周りの子は、親に反抗したり怒られたり、泣いたり喚いたり喧嘩したり。 とにかく煩いと思っていたそれらが、ある日突然、羨ましくなった。 親の望むままにしてきたけれど、それなら、僕は、…僕自身の考えはどこにあるんだろう…。 これまでの自分はまるでロボットのようだったと、親の言うがままに動くマリオネットだったと、そう気が付いた。 自分というものを考えてみた。 自分が何をしたいのか考えてみた。 周りの子のように、自分の我が儘を言ってみた、行動してみた。 結果、 『どうしたの京平。クラスの悪い子の影響を受けてしまったの?』 『京平、いい加減になさい。そんなくだらない事を言わないの』 『私の言う事が聞けないの?』 『アンタなんか、うちの子じゃないわ!言う事聞かない子はいらない!』 あんなに優しかった母親は、顔を真っ赤に染め上げてヒステリックに捲し立て始めた。 …あぁ…、人間なんて一皮剥けば醜い本性が現れる…。 唯一絶対だった母親の変わり果てた姿。 傷つくよりも何よりも、今まで気が付かずに言う事を聞いていた自分の馬鹿さ加減に嫌気が差した。 5年生までは耐えた。耐え忍んだ。 でも、6年生になる頃には、耐える事をやめた。 家で母親から与えられるストレスを、外に出て発散するようになった。 夜の高楼街を出歩けば、因縁を付けてくる人間なんていくらでもいる。 相手が殴ってくるまで我慢し、相手が手を出してきたら思う存分反撃する。 何かがあった時、正当防衛として逃れられるように…。 最初の内は、喧嘩なんてした事もなかったせいで随分とボロボロになった。 でも、それも最初だけ。喧嘩のコツさえ掴んでしまえば、1人2人が相手なら軽く勝てるようになっていった。 そんな自分の行動を、あの妄執の鬼である母が気付かないはずはない。 『この面汚し!!うちの名に傷を付けるような奴は死ねばいい!!』 さすがに驚いた。 まさか、実の母親に死ねとまで言われるとは思わなかった。 他の子と同じようにしただけなのに、自分にはそれが許されないのだろうか。 ロボットでいなければ、存在価値が無いのだろうか。 自分は、僕は、…俺は…、いったいなんなの? 茫然としたまま家を出た。 いつもと同じ街なのに、今夜はどこかフィルターがかかっているように不透明に見える。 誰かが殴りかけてきた。殴り返した。 誰かが俺を突き飛ばしてきた。蹴り返した。 …あぁ…、体が痛い…。 ……心が………、痛い………。 こんな時はどうすればいいのか…。泣き方なんて、知らなかった。 足もとがフラついて歩けなくなり、路地裏に身を潜めてヨロヨロと座り込む。 誰も俺を見てくれない。 誰も俺を必要としていない。 …それなら…生きている意味なんて……無い…。 ボーっと地面を見つめていたその時、微かに靴音が聞こえた気がした。 少し離れた所から、誰かがこっちを見ている。 「………」 「………」 今日はもう、これ以上戦えない。 仕掛けられたら、無事ではすまないだろう。 ……どうせなら、死んでしまうくらいにボコボコに殴って蹴ってくれればいい…。 虚ろな眼差しを相手に向けていると、その人物は静かにゆっくりと近づいてきた。 夜の闇の中、微かな明かりの中で露わになるその人物の姿。 それは、同じ年くらいの少年だった。 知的で涼し気な容貌。こんな場所にいる事が不似合いな程、凛とした立ち姿。 でも、どうでもいい。蹴るなら蹴ればいい。殺すなら殺せばいい。 相手への興味をなくし、ただただ視線だけを向ける。 その内に、何故か相手はしゃがみ込んだ。 近くなる距離。それでも感じ取れない殺気。苛立ちすらも伝わってこない。 …喧嘩を売りに来たわけじゃない? それなら、この人はいったい何を…。 「…この血、何があった?」 突然、掠れた声が放たれた。 それが、目の前の相手が言ったものだと理解するのに数秒。 麻痺していた心に、何かが混ざり合ったのはこの時。 数センチだけ視線を上げると、そこで初めて相手と目が合った。 静かな静かな瞳。 まるで吸い込まれてしまいそう。 どうしてだろう…、この瞳が、しっかりと自分の存在を見てくれている事がわかった。 「………知らない」 声が喉に絡みつく。 血なんて知らない。 「怪我は?」 …怪我? 相手が何を言いたいのかわからず、少しだけ首を傾げた。 変な人だ。 まるで心配でもしているかのよう。 そんなはずはない。 母親でさえ、死んでしまえと言った。こんな自分を心配する人間なんて、いるはずがない。 冷たい表情、冷たい眼差し、冷たい…手…。 覚えているのは、ただ冷たさだけ。 でも、…なんでだろう…、この人は温かそうに見える。 暗い中で、よく見えもしないのに、この人からは温度というものを感じた。 さっきまで動かそうとも思わなかった手を、地面からゆっくりと持ち上げる。 触れたい。 衝動のままに、相手の頬にそっと片手を宛がった。 「………温かい…」 柔らかな温かさに、胸の奥がツキンと痛む。 望んでも得られない温かさだと思った。一生手に入らない温かさ。 泣きたくなるような、嬉しくなるような、心を揺らす温度。 そんな温度の持ち主に拒絶される事が怖くて、頬から手を離した。 「名前は?」 頬から離れた手は、今度は相手の手に掴まれた。 優しい力強さに戸惑いを感じながら、唇を動かす。 「…京平」 「京平か。俺は那智」 「…那智…」 「一緒に来るか?」 「………」 その問いには、すぐに頷いた。 理由は自分でもわからない。 ただ、これが最後だと思った。 これで裏切られたら、俺は死ぬんだと、そう思った。 ロボットとして扱われてきた俺の、最後の賭け。 この人なら、俺自身を見てくれるような気がした。 掴まれた手を、ゆっくり引き上げられる。 気が付けば相手は立ち上がっていて、その手に引っ張られていた。 そのまま立ち上がってみると、自分達にそう背の違いはなかった事を知った。 歩き出したそれが未来への一歩なのか、それとも絶望への一歩なのか…。 判断なんかつかないのに、何故か心の戒めが解かれていくような不思議な感覚。 繋がれた手の体温。 それが、今の俺の全てだった。 結局、母親は精神に異常をきたしていた事が判明し、療養施設へ連れて行かれてしまった。 父親は、そんな状態に気付かずに仕事に没頭していた事を、心の底から悔やんでいた。 でも、俺はべつに二人の事を恨んではいない。 ただ、訳も分からず生きている事が苦しかっただけ。 那智さん達と一緒に過ごすようになってから、俺の全てが変わった。 俺は人間なんだと、自信を持って言えるようになった。 感情を出せるようになった。我が儘を言えるようになった。 …好きな事が…たくさんできた…。 たぶん、那智さんは知らない。 自分があの時、俺の生死に関わっていた事など。 あの時那智さんに声をかけられていなければ、俺は一月もしないうちに死んでいたと思う。 そんな事を知らない那智さんは、何故自分がここまで俺に好かれているのか…と戸惑っているようだ。 そんなある日、俺の事を物凄く心配してくれている父親に、照れくさくも笑いかけた。 突然涙を流されて、驚いた。 抱きしめてきた腕の温もりが、心にジンワリと染み込んだ。 凍っていた全てが、徐々に徐々に…融け始めていた。

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