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~The violence to a weak person is not strength~
裏高楼街では夜と深夜の境目となる午前0時。いちばん活発化する時間帯。
これから朝日が昇るまでの時間を、裏高楼街の住人は深夜と呼ぶ。
朝日が昇ってしまえば、そこから夕方までは普通の繁華街としての高楼街へと姿を戻す。
昼と夜とでは、闊歩する人種がガラリと変わるこの街。
太陽が出ている時を高楼街と呼び、太陽が沈んだ後を裏高楼街と呼ぶ。
界隈に住む人間は誰もが知っている暗黙の了解事。
『太陽が沈んだあとの高楼街には近づくな』
‡ ‡ ‡ ‡
Blue Roseが発足されてから1年半。
那智が中学3年生…暦上の季節は秋のこと。
この頃になると、幹部達が表で暴れる事はまったくと言っていいほどなくなっていた。
「那智さん、もうこのままtrinityに戻りますか?」
「あぁ、そうだな。もう用事も済んだ事だし、戻ろうか」
23時。
和真を伴って裏高楼街を歩いている那智は、何気なく歩いているように見えながらも、その実、周囲の状況を全て脳内へ取り込んでいた。
通りすがりに耳に入った会話。ガードレールに腰掛ける男達の顔。様々な人間の動き。
そこかしこに転がっているそれらは全て、那智にとっての情報となる。
今日もいつもと変わらない夜………、ではないらしい。
視界の端に映ったのは、見た事の無い大人しそうな少年が、数人の他派閥メンバーに路地裏へ連れ込まれる姿。
…あいつ等は…、最近南地区に出来た派閥のメンバーか。
ほんの僅かに鋭くなった那智の表情に、和真が気付いた。
そして、和真が気付いた事に気がついた那智は足を止める。
「…那智さん」
「ここがゼロの管轄だと知らないはずはない。…和真」
「はい」
裏高楼街において、それぞれの派閥が受け持つ管轄というのは大きな意味がある。
他の派閥の管轄区域で暴力沙汰を起こす事は、その管轄区を受け持っている派閥に喧嘩を売ったも同然。
那智に促されて、彼らの消えた路地裏に身を滑り込ませた和真。その目に映ったのは、とても裏高楼街を出歩くようには思えない純朴そうな少年が、先程の他派閥メンバーに突き飛ばされて地面に転がる姿だった。
「おい。どう見ても一般人だろその子。何してんだよ」
鋭い怒気をはらんだ和真の声に、さすがに彼らは動きを止めて振り向いた。
他派閥メンバーは3人。高校生には見えず、那智や和真と同じくらいの年格好。
彼らは一瞬怯んだ様子を見せたものの、和真が一人だとわかると途端に威勢を取り戻し始めた。
路地裏入口の壁に寄り掛かって様子を見ている那智の姿に気付く事もなく。
「裏高楼街を歩いてんだ、何されても文句ねぇだろ。嫌ならやり返せッつう話だ」
確かにそれは正論だ。
だが、
「ぼ…ぼくは、3日前にこの近くに引っ越してきたばかりで、そ、そんな事、知らなかったんです!もう来ませんからっ」
そういう事らしい。
最近この近くに引っ越してきたばかりで、暗黙の了解事を知らなかった。この少年の醸し出す雰囲気からして、嘘を言っているとも思えない。
和真は僅かに眉尻を下げた。さすがに困惑したようだ。
「…仕方ないな。陽が沈んだら高楼街には近づくなよ」
溜息混じりに和真が言った事で希望の光を見たのか、地面に座り込んだままの少年は泣きそうな顔でコクコクと何度も頷く。
「一度目は許せ。二度目にまた見かけたならそれは止めない」
とりあえず穏便に済ませようと、他派閥メンバーにもそう告げた。
これで終わり。
と思ったのは、和真とその少年だけだった。
「キレイ事言ってんじゃねぇ!一度も二度も無いんだよ!この時間にココにいる!それが全てだ!」
「ヒッ」
和真の忠告を全く聞くつもりがないらしい。少年からいちばん離れた場所にいた奴が素早く移動し、蹴りを放とうと右足を横に振り上げた。
しゃがみこんでいる為に、間違いなくこのままだと蹴りが顔面を直撃するだろう。
喧嘩に疎そうな少年でも、それくらいはわかったようで、咄嗟に両腕で頭を庇う。
ガツッ!
「……抵抗もしない一般人を蹴るな」
蹴りを片腕で受け止めたのは、少年の前に回り込んだ那智だった。
和真も、まさか那智が動くとは思わなかったようで、「あ」と一言呟いて目を見開いている。
蹴りを放った奴は、自分の攻撃が少年に命中せず、尚且つ、突然現れた人物に軽々と受け止められたとあってプライドが傷ついたようだ。
暗がりの中でもわかる程に、みるみる顔を赤くした。
「…っんだよテメェは!!邪魔すんならまずテメェからブチ殺すぞ!!」
「やめろと言ってる。一度目は許せとも言った。聞こえなかったのか?」
この場にはふさわしくない程に落ち着いた那智の声、そして静かな表情。
醸し出される重い迫力に、さすがの彼らも押し黙った。
でも、それも一瞬だけ。
「こういうウジウジした奴は見ててむかつくんだよ!」
そう叫んで、またしても蹴りを放とうとする行動に、とうとう那智がキレた。
「派閥メンバーとしての誇りもないようなお前にそれを言う資格はない!」
放たれた蹴りを無駄のない動きで避け、一瞬できた死角を狙って相手の腕を掴んで引っ張り、体勢を崩したところへ首筋に一撃。
急所への攻撃に意識がグラついたのか、苦悶の顔を浮かべたそいつは地面に倒れた。
3人の中でも、そいつが一番強かったのだろう。倒れた姿を見て、残る2人に狼狽が走った。
「ナルが一発で…」
「なんで…、嘘だろ…?」
これは簡単に手を出してはいけない相手だと悟った彼らは、地に倒れている仲間と那智とを見比べた後、互いの目を見交わした。
「…おい、ナルを背負えよ」
「あ、あぁ」
那智から視線を外さずに、一人がナルと呼ばれた仲間を背負い、もう一人が威嚇するように睨んでくる。
「お、覚えとけよ。後で必ず潰しにいくからな!」
「うちのトップに話を通してやる!」
負け犬の遠吠え。言ってて恥ずかしくないのか、そんなセリフ。
思わず和真はゲンナリとした。
そして彼らはバタバタと路地裏を出て行ってしまった。
残るは、なんとも間の抜けた空気。
那智が溜息を吐いたのは仕方がないだろう。
「那智さん、あいつらって…」
「南区派閥の1つ。レガイアのメンバーだ」
「あそこのトップって、メチャクチャ弱いっすよね?」
「放っておけばいい」
行くぞ、と那智が言って歩き出せば、和真が一歩遅れて後を追う。
「…あ、あのっ」
突然の呼び掛けに足を止めた2人。和真は振り向き、那智は視線だけでチラリと流し見る。
その先にいるのは、まだ地面に座り込んだままの少年。思わぬ荒事に腰が抜けたのだろう。
和真が苦笑した。
「災難だったな。でも、これに懲りて二度と夜は来るなよ。じゃあな」
片手をヒラヒラと振って、今度こそ路地裏を出る為に先に歩き出した那智の後を追う和真。
2人の姿が路地裏から消えてしまうと、少年、美智也(みちや)は、転ばないようにゆっくりと立ち上がった。
まだガクガクと震える己の膝を叱咤しながら、両手をグッと握りしめる。
「…那智さんと…和真さん…」
呟く少年の瞳には、恐怖と入り混じってとある感情の色が見え隠れしていた。
熱のこもったそれを、人は”憧憬”と呼ぶ。
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