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~Let sleeping dogs lie~
本編直前のお話。
本編で少しだけ触れていたスカウトマンのお話。詳細はこういう事でした。
*―――――――――*
夏の夜。
裏高楼街は活気を増し、水商売の人間やそれに関連する黒服達、そして夜を遊ぶ男女で賑わっている。
この街ではヤクザが利権を持てないとあって、水商売のバックに彼らがついている事はない。その為、羽振りが良く、質の良い店が揃っている。
そんな人混みの中、trinityに向かって歩いていた那智は、「ちょっと待って!」という突然の呼びかけに気付いて足を止めた。
通行人を邪魔そうに腕で押しのけながら横に来たのは、ここではよくいる見慣れた風体の男。
スーツ姿で髪を盛っている20歳前後の青年は、どこからどう見てもホスト。
それも、こうやって男に声をかけてくるという事は、十中八九スカウトだ。
「ねぇ、キミさぁ、ホストやろうよ。せっかく綺麗な顔してんだし、キミならナンバー1も狙えるよ。クレイズって店知ってるよね?めっちゃ有名でみんな働きたがるけど、誰でも働けるわけじゃないんだよね~」
那智よりも頭半分背が高い青年は、チャラチャラした話し方で前に立ちふさがる。唇や眉尻にあるピアスが痛そうだ。
きっとこの青年は、そんな店にスカウトされて嬉しいだろ?とでも言いたいのだろう。
確かにクレイズは有名だ。人気もあるし、この界隈でも上位に入る。
「俺、高2なので」
未成年を使ってる事がばれたら、いくらなんでも捕まる。それを知らないはずはないだろうに。
だから那智は、敢えて自分が高校生だと告げた。
適当なスカウトなら、それで引き下がるはず。
と思ったのに、青年は尚も食い下がってきた。これは予想外だ。
「全然大丈夫だから! 他にも未成年いるし、未成年の方が客付きもいいしねー。それにお得意さんは権力ある人が多いから、バレても上手く逃げられるんだな、これが」
「………」
いつの間にか腕まで掴まれている状態に、那智は辟易した溜息を吐きだした。
これが普通のホストクラブのスカウトならまだいい。
けれど、このクレイズという店は、男客専門のホストクラブだ。スカウトされて微妙な気持ちになるのは仕方がないだろう。
「キミには言っちゃうけどさ、俺ってタチなのね。だからキミがうちの店に入ったなら、いつでもイイ気持ちにさせてあげられるよ」
ニヤニヤ笑っているこの青年、確かに顔は良い。
だからといって、こんな往来で、今にも耳朶に唇が触れそうな距離で囁かれても、嬉しいどころか不快でしかない。
勝手にパーソナルスペースに入られて腕を掴まれ、更には気味の悪いセリフを吐かれ…。
那智は次第に苛立ちをおぼえてきた。
腕を振り払い、その手で青年の肩を強めに押して自分から突き放す。
それまで大人しかった那智のいきなりの拒絶に、青年は状況についてこれず目を見開いた。
「勝手に俺に触らないでもらえますか」
「…なっ…んだよ…」
「店を潰されたくなかったら今後一切俺に関わるな」
那智の凍てつくような冷たい視線に射抜かれた青年は、そこで初めて自分が触れてはいけない人間に触れてしまったと気がついたらしい。
足をよろめかせて数歩後退り、
「もしかして…、派閥のメンバー…」
引き攣った顔と声で呻くように呟くと、その数秒後、脱兎の如く走りだして人混みの中に消えてしまった。
高校生で、クレイズを潰せるような力を持つ。そしてここが東区という事を考えれば、おのずと答えは出てくる。
Blue Roseのメンバーだ、と。
ようやく姿を消した青年に、やれやれ…とでも言いたげな溜息を吐いた那智は、何もあそこまで言わなくてもよかったのに…と、感情的になってしまった自分に少々自己嫌悪を抱いた。
軽くあしらえるはずが、タチだのイイ気持ちにさせてあげるだのと言われて、その生理的嫌悪に思わず脅しのような言葉を放ってしまった。
でもまぁこれであの青年は二度と声をかけてくる事はないだろう。
それだけでも良しとしなくては。
頭痛がしそうなこの出来事に疲れを感じながらも、とりあえず当初の目的通りtrinityへと足を向けた。
「遅かったな」
家を出る時に、神にメールを送った事は失敗だったか…。
奥の部屋へ入った那智に向けられた神の眼差しには、少々疑惑の色が含まれていた。
あのスカウトに時間を取られてしまい、ここに到着するのが遅くなってしまった事が原因だ。
なんでもないと言ったとて、感の鋭い神には嘘だとばれてしまうだろう。それくらいなら、正直に話した方がいい。
そう考えた那智は、先ほどの出来事を淡々と説明した。
感情を交えずにサラリと話した事で、大した事ではないと理解したのか、神はただ一言
「そうか」
とだけ言って、またソファの背もたれに深く寄り掛かって目を閉じた。
あまりに呆気なく話が済んでしまった為に一瞬キョトンとしてしまった那智だが、神が不機嫌にならなかったのは幸いだとようやく肩の力を抜いた。
それが杞憂だったとわかったのは、2日後の事。
深夜になってtrinityに飛び込んできた和真が、いつも以上にテンションを上げてカウンター内にいた高志に話しかけた。
「高志さん聞いて下さいよ!面白いゴシップ!」
「なに」
「クレイズって店あるじゃないですか。あそこのナンバー3が突然店を辞めちゃっていなくなったらしいんですよ。ヤバイ事に手を出して消されたんじゃないかってもっぱらの噂です」
「クレイズのナンバー3って、確か…」
高志が思いだすように呟いたそのナンバー3の容姿の特徴は、那智に声をかけたスカウト青年そのもので…。
カウンターのスツールに座って話を聞いていた那智は、思わずゴホっと咳き込んでしまった。
単なる下っ端だと思ってたのにナンバー3だったのか…。なんでそんな人間がスカウトなんてやってるんだ。
…それにしても、姿を消したって…。
何かの予感を感じながら、隣に座ってウォッカを飲んでいる神をチラリと見れば、それに気付いた神は珍しくその双眸に悪戯気な笑みを浮かべて那智を見返した。
それでわかった。
姿を消したのは神が手を回したからだ…と。
あの時なんでもないように話を聞いていたけれど、実は内心でかなり怒っていたのだと…。
「………神」
「なんだ」
「今更だけど、あまり酷い事は…」
「お前の前に二度と現れないようにしただけだ。安心しろ」
「………」
喜ぶべきか悩むべきか…。
とりあえず、安心しろと言うからには、再起不能になるほどの酷い事はしていないのだろう。
『Let sleeping dogs lie』
”触らぬ神に祟りなし”
というより、那智に触れれば祟りあり、といったところか。
今度からは、スカウトに声をかけられても絶対にスルーしようと心に誓った那智だった。
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