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現在の日常~那智の高校生活~

本編と同時軸になります。 *―――――――――* 藍学の生徒会長”日吉柚葉(ひよしゆずは)” ここまで名前と本人のイメージが一致しない人間も珍しい。 那智は、目の前にいる相手を見て今更ながらにそんな事を思った。 女性らしい名前とは裏腹に、本人は外見も中身も至って男らしい人物だ。 正義感溢れる優等生。何事も公平に、争い事が起きれば穏やかに解決に導き、感情を荒げる事もしない。 短髪の黒髪と、きりりとした眉。いつでもまっすぐに人を見つめる瞳は、鋭くも優しい。 端正な容貌と爽やかな性格。 近隣の女子高生の中には、ファンもいるらしい。 親しくはないものの、同じ学年という事もあってか互いに顔見知りではある相手。 放課後、その日吉に生徒会室へ呼ばれた那智は、応接ソファに深々と座り、今まさに正念場を迎えていた。 「…という事で、生徒会の臨時補佐を頼みたいんだ、キミに」 「お断りします」 にっこり笑顔でバッサリ切り捨てた那智。正念場はあっさりと終わりを告げた。 たぶん日吉は予測していたのだろう、「やっぱりね」と、特に残念がる様子もなく頷いている。 …わかっているなら言わなければいいものを。 那智がそう思うのも無理はない。 今期の生徒会役員選挙の際、日吉から「僕が生徒会長になるから、キミには副会長になってほしい」と熱烈なアプローチを受け、それを即答で「断る」と切り捨てた。 意外に押しの強かった日吉は、その後も穏やかに熱烈アプローチを続けたが、結局選挙の期限が来てしまい、諦めざるをえなかった…という過去がある。 それなのに、今度の学園祭の臨時補佐に那智を指名してきたのだ。 どう考えても断られるのは目に見えていただろうに…。 相変わらず優しい眼差しで見つめてくる日吉に、那智は小さく溜息を吐いた。 「悪いけど、生徒会の補佐を請け負うほど愛校心旺盛じゃない。それに、日吉が俺をどう見ているかは知らないけど、協調性もあるほうではない」 「わかっている。キミはどちらかというと、校内では一匹狼タイプだからね。一見、周りと上手く馴染んでいるように見えるけど、ある一定以上は踏み込ませない事はわかっているよ」 「………」 …本当に同じ年齢なのか…。 と思ってしまう程の、この穏やかさと悟り具合はなんだろう。 那智の周りにはいないタイプで、尚且つ、那智が苦手とするタイプである。 それなのに、日吉の方は違うらしい。 自ら近づいてきては、何かと関わりを持ってこようとする。 なんなんだ。 前髪をかき上げようとして、その手をすぐさま下ろす。 学校にいる間は、伊達眼鏡をして前髪をできるだけ上げないようにしている。その方が地味で目立たないから…らしい。 眼鏡を外して顔を露わにしてしまえば、那智の涼しげで端正な容貌に妙な考えを持つ輩が出てくるからダメ。 そう言って、那智の学校でのこのスタイルを強制してきたのは、何を隠そう宗司と高志である。 視力が悪くもないのに、正直この眼鏡は鬱陶しい。 高校入学直前、そう言って眼鏡を外そうとした那智の手を掴んで止めたのは、意外な事に神だった。 そこに京平の必死な眼差しが加わってしまえば、抵抗なんて出来るわけがない。 校内で前髪をかき上げようとする度、パブロフの犬のようにその時の事を思い出しては手を止める。 仕方がない…と、それを受け入れている那智は、自分が彼らを甘やかしているなど自覚があるはずもなく。 正面から見つめてくる日吉に目線を向け、もう一度言葉を放った。 「わかっているなら、こんな無駄な時間は使わない方がいい。効率良く、快諾をくれる相手を選ぶべきだと思うけどね」 「正論だね。生徒会長という立場として考えるなら、僕もそうしていた」 「生徒会長だろ、日吉は」 「そうだけど、たまには僕個人の我が儘を優先してもいいと思わないか?」 「………」 こういう男が我が儘を言った時が一番厄介だ。と那智は思う。 だからこそ苦手なんだ。 普段は己を律してる人間程、自分の意思を貫こうとする際の強引さには目を瞠るものがある。 だが今回も”文化祭”という期限がある。 延々と断り続ける人間を口説き落とすには、時間が無い。 あと一週間我慢すれば、日吉も諦めて他を探さざるをえないだろう。 「一週間逃げきれば諦めるだろう、って考えているだろ?」 「………」 本当に嫌な男だ。下手に頭が良い分、こちらの考えもお見通しらしい。 那智は思いっきり深く溜息を吐きだした。 「…日吉、なんの我が儘なのか知らないけど、それに付き合うほど俺は優しい人間じゃない」 「”知らない”んじゃなくて、”知らない振り”をしてるだけだろう?…今までの僕からのアプローチを、キミが何も考えずにいるわけがない」 「買い被り過ぎだよ。何も考えない事だってある」 とは言ったものの、それは嘘だ。日吉の見立ては正しい。面倒臭いから気が付かない振りをしているだけ。 どういう類の好意かはわからないが、どうやら日吉は自分の事を甚く気に入っているらしい。それには気付いている。 だからこそ”知らぬ振り”だ。 敵意や悪意ならどうとでもなる。軽くかわせる自信もあれば、逆にやりこめる自信もある。 だが。向けられたものが好意となると話は別だ。 特別冷淡でもなければ、情も良心も無いわけじゃない。 …要は、純粋な好意を無下にするのは、いくら那智でも心苦しく思ってしまうという事。 悪い人物ではないだけに、ある意味で本当に厄介。 「わかった、何も考えなくていい。それでいいから、臨時補佐をやってくれないか?」 「………」 今回はテコでも動く気はないのか、日吉にしては珍しいくらいの食い下がり振りだ。 「どうしてそこまで俺にこだわるのかわからないんだけど」 「期限付きでもいいから、キミを僕の横に置きたい。共に同じ仕事をしたいんだ。僕はキミと親しくなりたい。キミからの信頼を得たいんだ」 「………」 普段関わっている人間の中で、ここまで素直に言葉を吐きだす者がいないだけに、対応に困る。物凄く困る。 もう少しオブラートに包んだ物言いをしてくれればいいものを、躊躇う事もなく照れる事もなく、本人を目の前によくもまぁハッキリと言えるものだ。 言っている日吉より、言われている自分の方が恥ずかしくなってくる。 那智は、ついぞ最近味わった事がない妙なムズ痒さを感じた。 「普段まったく関わりのない俺の信頼を得たって、日吉にはなんの意味もないと思うけど」 「信頼を得られれば、今後の付き合い方も変わるだろう?僕が欲しいのはそれだ。最終的に、キミの隣には僕、僕の隣にはキミ、という認識が周囲に広まってくれたら嬉しい」 「………」 何度も言うが、日吉は悪い奴じゃない。それどころか、最近では珍しいくらいに真っ直ぐで真っ当な人間だ。 本来なら、那智も彼に対しては好意的な見方をしている。 だが今の発言には、どうしても受け流す事が出来ない部分があった。 負の感情とまではいかないが、気に入らなかったのは確かだ。 「…日吉」 那智の声に、それまでには無い硬質さを感じとった日吉は、一瞬にして緊張という鎧を纏った。 「悪いけど、俺が隣に立ちたいと思う相手はもう決まっている。そして、それは日吉じゃない。これから先も、その思いが変わる事はない。絶対に」 「………」 「後ろにも前にもいたくない、いてほしくない。立ち位置はどこまでも対等。…そう思える程の相手っていうのは、敢えて口に出さなくても自然とそうなっている。認識してほしいという思いが先に立っている時点で、俺達の間は絶対にそうならないと答えが出ているようなものだ。周囲の認識と言うのは、本人達が気付く前に既に浸透しているというのが常」 「………参ったな」 日吉が項垂れながら苦笑いを浮かべた。 いや、苦笑いというより、自嘲の笑みという方が合っているかもしれない。 「恥ずかしい事に、少し自惚れが過ぎたようだね。すまない」 「そんな事はない。…本当の事を言えば、日吉の事は凄いと思ってるし尊敬もしてる。ただ、俺の生活基盤は日吉のそれとは少しズレたところにあるから、だから無理なんだ」 「……そうか。わかった」 自分に納得させるように大きく頷いた日吉は、次に顔を上げた時は、もういつもと変わらぬ穏やかな表情に戻っていた。 一介の高校生にしては、自制心が強い。 さすがだな。そう思った那智は、口元に薄らと笑みを刻みながら立ち上がった。 「それじゃ俺は帰るよ」 「あぁ、引きとめてしまって悪かったね。ありがとう」 ソファから立ち上がって頭を下げる日吉に対し、一度だけ首を横に振った那智は、それ以上言葉を交わす事なく生徒会室を後にした。 そのまま昇降口へ向かい、外に出る。 見上げた空は徐々に夕焼けの様相を呈していて、何故か物悲しさが胸に残った。 日吉に対する罪悪感なのか、なんなのか…。 よくわからない小さな痛みに嘆息した那智は、そんな感情を振り切るように歩き出した。

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