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インテリヤクザと甘い代償③
「それで、ノコノコとやってきたわけですか」
「その言い方やめろ」
黙っていると眠たくなりそうな、上品で穏やかなクラシック音楽の流れる高級ホテルのロビーラウンジで、一杯千円のコーヒーを目の前にした大輔は眉をひそめる。膝の上で手を組んだ。
きっちりと髪をオールバックに撫でつけ、安物のダブルのスーツを着た大輔は、眼だけが隠しようもなくギラギラしていて、まるで警察関係者には見えない。
一方、向かい合っている田辺は、どこから見ても、会計士や弁護士のようなカタギに見える。
伊達眼鏡をかけ、爽やかな笑みを浮かべていた。
本性を知っている大輔から見たらしらじらしい表情だが、たいていの人間は騙されるだろう。
長い脚を組み、ゆったりとソファへ身を沈めた田辺は、睨みつける大輔に肩をすくめて、あははと笑った。
「本当のことでしょう」
「どこが、だ」
大輔はうなるように答えた。
「もう会うことはないと思ってましたよ」
眼鏡の奥で、田辺の目がすぅっと細くなる。
「俺に、あんなふうに、犯されたのに」
よく通る小声だった。
あの日の記憶を無理やりに引きずり出され、大輔はいらいらと身体を揺すった。不快感で引き起こる震えをごまかす。
動揺しているとは思われたくなかった。
「よかった、ですよね」
まるで仕事の話でもするような表情で、田辺はコーヒーカップを持ち上げた。
大輔の肌を撫で回した男の指だ。
思い出したくないと拒否するたびに、いっそう生々しく甦る。
「よくない」
吐き捨てるように言い返す。癪に障って、視線をそらせない。
「よがってたでしょう」
「頭、おかしいんじゃないのか? どこの女の話だ」
「三宅さん」
笑いをこらえた田辺が、カップを静かに戻す。
「ここは禁煙ですよ」
足早に近づいてくるウェイターを手で制する。
煙草へ火をつけたばかりの大輔は、慌てて靴の裏で揉み消した。
「また俺に抱かれに来たとばかり……、思ってましたけど」
しらっとした口調で、田辺は仕立てのいい三つ揃えの内ポケットへ手を入れた。
「いつでもお相手しますよ」
テーブルに置かれたのは、二枚のカードキー。
固まる大輔に対して、にっこりと笑った。
何人もの女を借金地獄に落としてきた営業スマイルだ。
「いまさら、怯えることもないでしょう。何をするかは、もうご存知のはずだ」
部屋番号を言い残して、お先にと立ち上がった。
颯爽と去っていく背中を一瞥した大輔は、ブラックコーヒーを飲み干した。
田辺から聞き出したいことは、こんなところで話せる話じゃない。今までだって、人目につかずに交渉をしてきた。場所が雑居ビルの非常階段からホテルの一室へ変わるだけのことだ。
だから、田辺の行為はごく自然のことだった。
手の内を探り合うような会話も、田辺の慇懃無礼な態度もいつも通り。
「ふざけんな」
大輔はつぶやいた。
隣の席のサラリーマンが驚いて振り返る。
とっさに睨み返した。よほど人相が悪く見えるらしく、相手は飛び上がって視線をそらす。
犯されたぐらいがなんだ。
声に出さずに悪態をついた。
猫に引っ掻かれたようなものじゃないか。
それを、さも、自分が優位に立っているかのような言い回しをして。
苛立ちが募る。
女でもないし、怯えたりするもんか。
大輔はふんっと鼻で息をして、目の前のカードキーを手に取った。
田辺が相手じゃなくても、危ない橋は何度も渡ってきた。それが刑事の仕事だ。
ケガをすることはいとわない。それがどんな形でも。
たかだか、身体の一部を突っ込んだぐらいで、『犯した』なんて偉そうな言い方をされることが腹立たしいんだと大輔は思う。
気を失っていなければ、あんな失態を演じることはなかった。
「何が『いつでもお相手』だ。何が『抱かれに来た』だ。好き放題に言いやがって。俺とヤレるって期待して、ヨダレたらしてんのはおまえだろう!」
指定された部屋に入るなり、大きな声でがなり立てる。
窓から街を眺めていた田辺が振り返った。ベスト姿の後ろ姿が、テレビドラマから抜け出てきたようにシャレている。
騙された女が口を揃えて「この人だけは悪くない」と言うだけのことはある。騙されたと知っていても、女たちは田辺を守ろうとする。
愛してくれない相手でも、かすめ取られた金で田辺が潤ったのならば、愛のために支払った妥当な金だと主張する。だから、リーダーの田辺が起訴されることはない。
スーツの上着は椅子の背にかけてあり、ぴったりと身体に沿ったベストの生地も見るからに上質だ。その現実感に乏しい王子様加減が、汗水たらして働いている大輔の精神を、激しく逆撫でする。
田辺は静かに微笑んだ。
「だとしたら、もう一度、脚を開いてもらいましょうか」
「ふざけるな」
「欲しいものは、言われなくてもわかってますよ」
鼻筋の通った顔に、人の悪い笑みが浮かぶ。
「うちが抗争を計画してるんじゃないかって、情報が流れてるんでしょう」
「本当なんだな?」
前のめりになった大輔に、
「早とちりは命取り」
近づいてきた田辺が笑う。
「そんなおおげさなこと、うちがすると思いますか」
「するとも言えるし、しないとも……。どっちだ」
「こんな大ネタは、あんたが払ってきたようなはした金じゃ引っ張れないよ」
ふいっと身を翻して、冷蔵庫からビールを取り出す。
動きを目で追いながら、大輔はぎりぎりと奥歯を噛んだ。
それは先輩に情報を掴んでこいと言われたときからわかっていた。
普通なら、情報筋に対して便宜を図ってやることで、ギブアンドテイクな関係を構築する。
でも、田辺の身辺は、彼を含めて舎弟に至るまで、ほとんどボロを出すことはなかった。情報交換を持ちかけるきっかけになった、若い下っ端の軽犯罪だけが唯一と言ってもいい。
「わかってるから、ついてきたんだろ、三宅さん」
「……そうだよ」
認めるしかない。
ツインベッドの片方に腰かけ、田辺を見上げた。
「この前、掘らせてやっただろ。それがツケになってるはずだ」
堂々と言い放つ。
部屋の冷蔵庫からビールを取り出した田辺は、口をつける直前で吹き出した。
「あんた! マジで!?」
手の甲で口元を拭いながら、田辺が爆笑する。大輔は相手を睨みつけ、大真面目に答えた。
「あれでも初物だからな。安くはない」
「そう来るとはなぁ……」
肩を揺らして笑いながら、田辺はさらにビールを呷った。
「その勇気に敬意を表して教えるよ、三宅さん」
「……」
胸を撫で下ろしたいのを我慢して、大輔は表情を固めたままで待った。田辺がビールの缶を揺らして言った。
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