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第1話-2
某日、日付も変わった深夜二十六時すぎ。
パトカーと救急車のサイレンが、冬の冷たい風に乗ってアガヒの耳に届く。
半時間ほど前、チャイナタウンのSMクラブで男が死んだ。
阿片中毒の男が、今夜も金にモノを言わせて上モノの阿片を喫み、獣人の女王様たちからおしおきされている、……その真っ最中に死んだ。
この男には、自分の尻や口腔に拳銃を挿れてもらい、泣かせて欲しがる性癖があった。だが、それ以外は真面目な男で、資産家の家にこそ生まれたものの、彼の母親一族が経営する製薬会社に勤め、日々、懸命に新薬の開発に取り組む研究者でしかなかった。
だが、今夜は、彼にとって運悪く、お楽しみの最中に拳銃が暴発した。
「うぅ、寒い……お待たせ、アガヒ」
死んだ男の為に鳴るサイレンが途絶えた頃、ウラナケがアガヒと合流した。
「ご苦労だったな」
アガヒはチャイナタウンの中心部にある関帝廟で待っていた。
寒い寒いと震えるウラナケの風上に立ち、壁になる。
「ちゃんと見届けてきた。欲張って女王様に両方可愛がってもらったばっかりにさ……、クェイ家の坊ちゃんは、しっかりお尻とお顔が大爆発」
「女王様に怪我はなかったか?」
アガヒとウラナケは関帝廟を出て、新市街地へと足を向ける。
「女王様は無事。坊ちゃんの死体はクェイ家の若い衆が回収していった。いちおう、アガヒの指示通り、警察も呼んどいたけど、手出しできずに引き返してた」
「チャイナタウンで起きた事件だ。内輪でカタをつけるんだろう」
「じゃ、アガヒの計画通りってことだ」
今日はぼろい商売だった。
人を一人殺して二千万。
長く殺し屋をやっていても、こんな大盤振る舞に遭遇する機会は滅多とない。
よっぽどの大物が削除対象ならまだしもだが、ウラナケとアガヒは、そんな大きな商売には手を出していない。
それに、今回の標的は、国内最大手の製薬会社代表の甥っ子だ。
こういう大がかりな依頼の時は、仕事にとりかかる前に、ひと通り怪しむ。
こちらに危害が及ばぬよう、対象者への調査を密に行い、慎重に慎重を期す。
だが、今回は特に目立った点はなかった。
ただ、半年ほど前に、彼の遠縁夫婦というのが亡くなっていたが、彼自身との接点は、ほとんどない。
「……依頼主は、なんであんな殺し方指定してきたのかな。……あの坊ちゃん、かなりの恨み買ってたんだろうな」
「対象者本人ではなく、会社や経営者一族への恨み……、可能性は無限にある」
「家がデカいと大変だな。……やっぱ寒い、上着貸して。アガヒ、自分の毛皮あるだろ」
「お前も上着を着ているだろう?」
なかば追い剥ぎのように上着を脱がされたアガヒは、自分の着ているチェスターコートをウラナケの肩に着せてやる。
「ぬくぃ」
ショートトレンチの上から着てもまだ大きいコートに埋もれて、ウラナケは首を縮こめる。
襟周りに鼻先を寄せると、アガヒのにおいがする。
でも、アガヒのにおいがするのは気のせいかもしれない。
長いこと一緒に生活していると、アガヒの匂いと自分の匂いがほぼ同じになって、その匂いが好きな匂いという以外は、区別がつきにくい。
「まっすぐ歩け」
目を閉じてうっとりするウラナケの肩を抱き寄せ、アガヒは、視線を下ろしたすぐ先にあるウラナケのつむじに唇を落とす。
「アガヒ、袖口のボタンとれかかってんじゃん。いつから?」
ウラナケは、アガヒの袖口のボタンに目を留めた。
「一昨日」
「一昨日って……あぁ、情報収集の時か。どんくさいなぁ」
「お前を庇った時に引っ張られたんだが……言うのはそれだけか?」
「ここんとこ仕事立てこんでて忙しかったからなぁ。家に帰ったらボタンつけとくよ」
コートを誂えた時に、仕立て屋が予備のボタンをくれた。
それを裁縫箱に入れていたはずだ。
「頼んだ。裁縫は、どうにも気が進まん」
「その手で頑張って針に糸通してるアガヒを見るの、俺は楽しいけどな」
背伸びしたウラナケは、アガヒの口端に唇を寄せる。
すると、いたずらっ子を窘めるように、爪を丸めたアガヒの手が、むに、とウラナケの頬をつまむ。
そして、いつもの習慣で、ウラナケの左口端の黒子に唇を寄せた。
「アガヒ、残金が振り込まれた」
ウラナケは左腕をアガヒの腰に回し、右手だけで器用に携帯電話を操作すると、ネットバンクの入金履歴をアガヒに確認してもらう。
「確かに入金されてるな。間違いない」
「やったね~、今年最後の大仕事おしまい~」
ウラナケは携帯電話を頭上にぽんと放り投げてキャッチする。
これで、今年最後の大仕事は無事完了だ。
あとは、小遣い稼ぎに小さな仕事をいくつかこなして、クリスマスを迎える頃には休暇に入り、アガヒと二人で新年を祝うだけ。
新年以降の仕事はアガヒが予定を立ててくれているから心配ないし、ウラナケは来年も張り切ってなにも考えずに対象を殺すことだけに専念していればいい。
ウラナケは、どんな場面でも本能で判断して行動するタイプだから、ややこしいことはぜんぶアガヒに丸投げだ。
それに対して、アガヒは物事を順序立てて構築し、計画性を持って実行に移すタイプだから、難しいことはアガヒが考えて、アガヒが決める。
拳銃に細工をするといった細かい作業はウラナケのほうが得意だし、SMクラブの女王様と話をつけたり、仕事の完遂を目立たぬ場所から見届けるのもウラナケのほうが適任だけれども、裏付け調査の段取りを組んだり、拳銃を細工して事故死に見せかける計画を練ったり、いざという時に即時対応できるのは、司令塔であるアガヒだ。
この形で、十年近く二人で仕事をしている。
この仕事を始めて十年近くというだけで、出会ったのはもっと前だ。
一緒に暮らし始めて、彼是十三年になる。
ちょっと職業が特殊なだけの、普通の夫婦。
日常も、生死も、仕事の報酬も、なにもかも二人で分かち合っている。
ここ最近は公私ともに問題もなく、商売繁盛、家庭円満、順調な日々が続いているし、 仕事にかんしては二人ともドライなほうだから、後に引きずることもない。
もし仕事で落ちこんだとしても、アガヒにはウラナケが、ウラナケにはアガヒがいる。
実際になにかを相談したり、話を聞いてもらわなくても、「まぁ、俺にはアガヒがいるし」「俺にはウラナケがいるからな」と自分で思うだけで、落ちこみ気味な気分も浮上する。
そうやって自己暗示をかけられるくらいには、お互いに信頼を寄せていた。
「アガヒ、明日はスラムだよな?」
「頼んでいたパーツが入荷したから引き取ってくる。……お前は家にいるか?」
「うん。帰りに、大通りのアインブロートのライ麦パン買ってきて」
「ワインとチーズも忘れずに?」
「そう。昼には帰ってくるだろ? 昼メシなにがいい? 用意しとく」
「久しぶりに和食が食いたい。それと、いなり寿司」
「了解。腕によりかけとく。……んじゃぁまぁ、とりあえず、今夜は七丁目のバルで一杯やってこう」
ウラナケはアガヒと腕を組み、七丁目に進路変更させる。
アガヒはやれやれといった様子で、「飲みすぎてくれるなよ」とは言ったけれど、尻尾を揺らして嬉しそうにウラナケに引っ張られて行った。
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