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第12話 過ごした酒の行く末は
明らかに、許容量を超えているのでは無いか、と俺は疑っていた。先ず、頭が揺れている。そして、身体にも力が入っていないように思えた。
「トウマ君、もう、止した方が良い」
くったりと俺に寄り掛かって来る身体からは、彼の匂いがして、そう言う俺自身が、たった三杯しか飲んでいないと言うのに、滅多に無い程、酔っていた。
「何で? 美味しいのに……もっと、飲みたい。あ、ケイさんの目、綺麗だね」
俺の瞳を覗き込んで来る瞳は、焦点が怪しかった。だが、その飴色の瞳が、俺の判断をおかしくしてしまうのだ。囚われそうになる気持ちに鞭打って、トウマ君の手から、グラスを取り上げる。
「ありがとう。俺も、君が望むのなら、何杯でも奢ってあげたいけどね。だけど、もう止めた方が良い」
さっきから握っている手を指先で擦りながら言うと、トウマ君は唇を尖らせた。その愛くるしさに、胸が撃たれる。
「ケイさんの意地悪。顔は良いのに、意地悪なんてヤダな。ケイさんはさ、もう、帰れって俺に言ってる?」
俺を見ずに言う様には、何処かいじけたような姿に見て取れて、俺の胸は絞られる心地がした。
「まさか! ……いや、半分当たりで、半分外れ、かな」
即答し掛けて、しかし、直ぐに言葉をつなぐ。
「どう言う、意味?」
「君さえ良ければ、一緒に出たいな、と思っていてね」
きょとん、と見上げて来るトウマ君の瞳を見据えながら、俺は、殊更声を落として告げた。声に少し色を込めたのは、伝わっただろうか。
「俺と? ケイさん、俺と、この後も、一緒に過ごしたいの?」
どうやらきちんと感じ取ってくれたらしい。だが、言葉とは裏腹に、トウマ君は意外そうに自分を指差すと、くるくる、と宙をかき回した。俺は、その手も取って頷いてみせる。
「そう。出来る事なら、朝まで」
「俺と? この俺とだよ?」
するりと簡単に俺の手から自分の手を抜き取り、トウマ君はもう一度、自分を指差した後、意味も無いだろうに宙に円を描いた。俺は、苦笑を堪えるしかなかった。やはり、しっかりとした酔っ払いだ。こんな状態の彼を、持ち帰っても良いのだろうか。天使が俺に囁く、止した方が良い、と。だが、同時に悪魔も俺に囁くのだ。据え膳喰わぬは男の恥、と。俺は、悪魔の声に耳を傾ける事にした。こう言う場面で勝つのは、大概悪魔と相場が決まっている。
「勿論、君と、だ。トウマ君、君と過ごしたい」
「……ケイさん、顔は本当に良いのに、趣味は悪いね」
ややあって言われた言葉に面食らう。どう言う意味だろう。
「……えっと、何度もありがとう。後半は、随分な言葉だね。暗に、俺と過ごしたくない、と言っているのかい?」
俺の予想出来る限りの言葉を連ねると、じっと見上げられ、その瞳にまた囚われそうになって、俺は唾をごくりと飲んだ。アルコールのせいか、酷く喉が渇いていた。
「ふふ、本当に綺麗な顔。俺好み。ねえ、俺の事、どうしたいの?」
問われ、めちゃくちゃにしたい、と即座に思った。服を全て脱がせて、俺の精液でぐちゃぐちゃにして、何も考えられない程、愛を注ぎたい、と。そう、不思議な事に、昼間、荻山に言われたあの言葉が浮かんでいた。俺は、愛を注ぐ人間らしい、と。だからか分からないが、とにかく、トウマ君に溺れる程の愛を注ぎたいと思っていた。だが、当然、それをここで言う訳にも行かない。
「俺も、君の顔も好みだよ。さて、そうだな……一番正直な気持ちを言うと、持ち帰りたい、かな」
必死に頭を働かせて出て来た言葉はそんな言葉だった。そうだ、出来る事なら、トウマ君を、俺の家に閉じ込めてしまって、そこで俺だけの為に生きて欲しかった。勿論、そんな事は不可能だとは分かってはいたが。
何秒か分からないが、お互いの目を見詰め合う時間が有った。吸い込まれそうだな、とやはり思う。
「よし、良いよ!」
不意にトウマ君が立ち上がる。俺は気持ちを切り替えられずに面食らった。未だカウンター席のスツールに腰を落ち着ける俺を置いて、ふらふら、としながらトウマ君は出入り口に向かっていた。急いで二の腕を掴んで引き止める。
「おっと、ちょっと待ってくれ。何処に?」
「外、行こう!」
にっこり、と言うよりは、にっかりと笑ってトウマ君は指を高らかに上げた。
「OK、その前に、チェックを頼むよ。良いかな? ああ、あの、ボックス席の分も、一緒に」
先程お邪魔したボックス席の彼らの分も会計を頼むと、バーテンダーは、心得たように頷いた。適当に多めに取ってくれるのだろう。
「承知致しました。お支払いは?」
「カードで」
胸ポケットからカード入れを取り出し、一番使い勝手の良いカードを渡す。何故か、きらり、とトウマ君の目が輝いていた。
「すげー。それ、ブラックカード、ってヤツ?」
「トウマ君、本当に、大丈夫かい? 足元がおぼつかないように見えるが……」
ふらふらと揺れる身体は、とてもでは無いが放っては置けなくて、片方の脇を支える。身長差が有るせいで、少し引き上げるようになってしまったが、そこは勘弁してもらうしかない。
「だいじょーぶ! さ、外、外!」
手早く会計を済ませ、勢い勇んで、しかし、ふらふらと歩くトウマ君を支えながら外に出る。秋風が頬を通り過ぎ、昼間感じた時と異なり、心地好く感じた。
「風が、きもちー」
うっとりしながらトウマ君も呟く。トウマ君の向こうに秋の月が見えた。
「本当だね。月が美しい夜だ」
思わず口にしていた。使い古された口説き文句だったが、構うものか、と思った。
「それって、夏目漱石?」
「どうかな。そうだ、と言ったらどうする?」
トウマ君の瞳を見据えながら言うと、ふい、と視線を逸らされた。そして、吐き捨てるように言われる。
「ホント、ケイさん、趣味悪い」
ずきん、と胸が痛んだ。この子はどうして自分を貶めるような発言をするんだろう、と疑問も浮かぶ。自分に自信が無いのだろうか。そんな事は、俺も同じだ。俺は、会社では『ミスターパーフェクト』なんて言われているが、恋人にはいつもいつも振られて終わる。きっと本当は、欠陥だらけの存在なのだろう。人間、誰しも、欠陥は有る。けれど、それは互いの存在で補い合える物だと俺は思っていた。そう、例えば、俺には、今猛烈にトウマ君が必要なように。
「ちょっと、眠い……」
目元を擦りながら言われて、急いで物思いから脱却する。幾つか候補のホテルを思い描きながら問い掛けた。
「俺の知っているホテルで良いかな?」
「んー? うん、良いよ。あ、やっぱり駄目!」
しかし、ばっさりと切られて、言葉に詰まる。
「駄目?」
「俺の事、お持ち帰り、してくれるんでしょ?」
歌うように言われて、ああ覚えていたのか、と意外に思った。相当酔っている様子だから、俺の発言など、右から左なのかと思っていたのだが。
「つまり、俺の部屋でなら、良い、と?」
トウマ君が俺を振り仰ぐ。
「本気、見せて?」
挑むように言われる。見せる本気なんて、たった一つだけだった。見せたい本気、とも言えるかもしれない。
「勿論、俺は、構わないよ」
そう言うと、タクシーを拾う為に、俺達は大通りへと歩き始めた。
「ふえー、すげえ、億ションなんて、初めて見た!」
タクシーを降りた途端大きな声を出されて、流石に焦る。この時間、騒々しくするのは、近所付き合いを円滑に進める俺としては望ましく無い事だった。勿論、マンション内での近所付き合い自体、そう多くは無かったが。
「トウマ君、声は落として」
言いながら、急いでオートロックを解除すると、二十四時間常駐の管理人に軽く会釈をし、高層階用の専用エレベーターに向かう。
「それ、ヤだな」
不意に、ぽつりと、トウマ君が呟いた。上手く聞き取れずに、慌てて耳を口元へ寄せる。
「え?」
「俺の名前。東上学 、って言うの。ちゃんと呼んでよ」
どきん、と胸が跳ねた。東上学。学君、彼の本名、だ。口の中で転がすと、しっくり来るのが分かった。
「……学君?」
「うん!」
嬉しそうに笑われて、胸が痛くなる。こんな感情を俺は知らない、と思った。初めての事が多過ぎて、俺は少し混乱していた。
「俺は、桐生要 」
けれども、極自然に、口からは言葉が零れていた。初対面の相手に自分の本名を名乗るなんて、今までの俺だったら、考えられない事だった。いや、そもそも、初対面の相手を自宅に連れ込む事すら、初めての事だったのだ。俺に取って、自宅は最後の砦と言う印象が強くて、実は今まで付き合った子でこの家に招いた子はたった一人だけだった。まあ、この家を購入したのも、未だ日が浅いせいもあったが。
「ああ、KKだから、ケイさん?」
「要、で良いんだけどな」
「うん、ケイさん!」
楽しそうに最初に名乗った名を呼ばれる。やっぱり、酔っ払いだ。全く話が通じない。本当は、その唇で、その声で、俺の名を呼んで欲しかったのだが。半ば引き摺りながらエレベーターに乗り込み最上階を目指す。何とか、エレベーターから自宅の玄関まで歩かせる事には成功した。
「さ、入って……」
「広ーい。すげえ。モデルルームみたい!」
途端に、俺の腕から抜け出して、学君はきょろきょろと何も無い玄関を見回した。だが、その足元はふらふらで、とても見ていられなかった。慌てて近付いて、靴を脱がせる。スニーカーはあっさりと学君の足から奪い取れた。俺自身も靴を脱いで、いつもの癖で靴箱の所定の位置に納める。俺は、物をその辺に出して置く事が苦手なのだ。出来れば、物は片付けておきたい質で、つい物を所定の位置に置きたがる。鍵もそうだ。玄関の飾り棚の上に、妹達から貰った貝殻の皿を置いてあるのだが、そこに置かないと気が済まなかった。
「ここには、寝に帰っているだけだから……でも、学君が居てくれれば、って、学君!?」
俺の精一杯の口説き文句を全く聞いておらず、玄関ホールの端に置いてある一人掛けのソファに、学君はちょこんと納まっていた。
「ここで、寝て良い?」
「待ってくれ、寝るなら、そこじゃなく、寝室へ!」
問われて、慌てて腕を引き上げて誘導する。まるで、気紛れな猫のようだな、と頭の端で思った。実家の猫を思い出した。本当に、彼等は気紛れに何処でも寝てしまうのだ。
「寝室……そっか、寝るのは寝室だよね。何処?」
聞かれて、ふと思う。準備は、しなくて良いのだろうか? いや、既に準備万端なのか? そこに思い至って、腹がかっと熱くなる。何処で、彼は前処理をしたのだろう、と思った。今日、誰かとそうなる為に、前以って準備をしたのだろうかと思うと、苛立ちと期待とどうしようもない欲望感に襲われた。そのせいで、学君を誘導する手は乱雑になったが、学君は全く気にしていないようで、素直に俺の腕に従って着いて来た。
無駄に広い居間を横切って、寝室の扉を開ける。目の前に、ベッドが有って、俺は自分で彼を誘導したと言うのに妙に動揺してしまった。
「わあ、キングサイズのベッドなんて、初めて見た!」
「気に入ってくれたかな?」
胸を跳ねさせながら問い掛ける。気に入った、と言って欲しかった。もし、気に入らないと言われたなら、今直ぐに買い替えたくなってしまっただろう。
「うん! えーい!」
幸い、気に入って貰えたらしい。勢いよく、ベッドカバーの上に乗り上げる姿は、まるで子供の様だ。苦笑が滲む。
「学君、服を脱ごうか?」
「ケイさんのエッチ!」
色を含ませないで声を掛けると、思わぬ事を言われる。だが、それに返す言葉は決まっていた。
「そりゃあ、男だからね。君も、そうだろう?」
俺は、今日、本当にsexをしたかった。ここまで酔っている彼が相手なので、多くは望まない。挿入を伴わない物でも構わないから、彼と肌を触れ合わせたくて堪らなかった。
「俺は……分かんない」
しかし、返って来た思わぬ答えに、瞠目する。
「分からない?」
「一人でも、あんま、しないし……」
頷いて、元から酒で染まっていた頬をより赤く染めて、学君は言う。ごくり、と何処かで音がした。いや、自分の喉が出した音だと言うのは間違いない。唾が食道を通って行くのが分かったのだから。
「……つまり、自慰は少ない方なのかい?」
「うん。ケイさんは?」
いとけなく頷かれ、問い掛けられて、思わず応えてしまう。
「俺は、割とする方かな。うん」
何でこんな会話をする羽目になったのだろう、と思いながら。
ふう、と息を吐くと、むくりと起き上がり、学君はこてんと首を傾げた。
「あのさ、暑いから、脱いで、良い?」
「勿論、構わないよ」
本当は、脱がしたかったが、脱いでくれるならそれも良いかと思った。sexが本当に久々過ぎて、上手く遣れる気がしなかったのだ。学君のてきぱきと脱いで行く様は、色気も何も無くて、本当は酔っていないのかと思わせる程、的確だった。ベッドの傍に服の山が積み重なって行く。
「じゃあ、寝よっか?」
「良いね。そうしよう」
学君に問い掛けられて、俺も自分の服に手を掛ける。正直、今までは、積極的な子は得意では無かったが、学君から誘いの言葉を貰うと、信じられない程熱くなる自分自身が居る事に、一番驚いていた。カフスボタンをベッドのヘッドボードに置き、ネクタイピンもその近くに乗せる。これも、定位置だ。
「はー、眠い……」
「学君?」
不意に、そんな声が聞こえて、俺は耳を疑った。訝しんで呼び掛ける。
「えへへ。おやすみなさい」
そう言うと、学君は、ベッドカバーを捲り上げ、シーツの間に裸の身体を滑り込ませた。余りの早業に、再び、俺は瞠目するしか無かった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 寝るって、そっちの寝るだったのかい!?」
意識を戻すと、慌てて彼の方に駆け寄る。しかし、学君は、すうすう、と既に寝息を立てていた。
「……本当に、寝ている」
愕然とした。俺のペニスは完全にその気で、元気に起き上がっていると言うのに、学君は完全に寝てしまっていた。必死になって身体を揺さ振り、起こそうとしたが、徒労に終わった。
その後、俺が仕方無く浴室に行って、昨日と同様に利き手の世話になる羽目になったのは、言うまでも無い。
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