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第15話 支えてくれているもの

 珍しく、土曜日に会合が入ってしまって、俺はもどかしい思いを抱きながらも、駅のスクランブル交差点を睨み据えて居た。駅名を見て、この駅は、確か光希がチェックをしてくれていた駅だったな、と思い出した。その時だった。見つけた! そう思った。 「片岡さん、ごめん! ちょっと降りる! 適当に駐めていてくれ!!」  それだけ言うと車のドアを開け、飛び出していた。彼だ、間違いない。俺が見間違える筈が無い、そう思った。人の波を縫って、必死に追い縋る。  がし、その手を取った瞬間の事を、どう言ったら良いのだろう。 「やっと! 見つけた!」  そう言った俺を見る目は驚きに満ちていて。だけど、やっぱり、その飴色の瞳は、吸い込まれそうだ、と思った。学君だ、と思った。実在する存在として、そこに彼が居た。それだけで、胸がいっぱいになってしまったけれど、絶対に逃がせないとも思って、荒れた息のまま、必死に言葉を捻り出す。 「絶対、この辺だと思ったんだ! もう、逃がさない!」  それに対して、学君は愕然とした顔をした。きゅ、と一瞬唇を噛み締める。それが、色っぽいなと思ってしまった。 「すみません、人違いです。俺はアンタの知り合いじゃないです。知ってたとしても話しません。大丈夫ですごめんなさいっ!」  一気に言われ、内容を反芻して、俺は心の中で苛立ちを感じずにはいられなかった。腕を離そうと、もがかれる事にも腹立ちを感じてしまう。しかし、心の中の想いは押し隠し、にっこり笑うと、荒れた息を整えて口を開く。 「とりあえず、誤解を解かないとね。東上学君」  離そうと動く手をより一層力を込めて捕まえると、笑みを深くする。俺が握り締めている手を見詰めていた学君は、がば、と顔を上げ俺を見据えた。 「って、名前!?」 「あー、そっち? うん、まあ、それも含めて、色々言いたい事はあるけれど、ここじゃ目立つから、車に行こうか?」  スクランブル交差点は、とっくに黄色から赤色に変わろうとしていたし、俺達はとても目立っていた。先程の発言から分かったが、学君はクローズドだ。目立つのは嫌うだろうと思って、俺は学君の腰を攫い、片岡さんが何処かに停めてくれているだろう車の方へと向かう事にした。きっとここで話を付けるより、他人の気配の無い空間の方が落ち着いて話を聞いてくれるだろう。学君は片方の指を、俺が握り締めている手に引っ掛けて離そうとする。より動き易くなったな、と思いながら、俺は足を進めた。  さっき、車を飛び出した大通り沿いのコインパーキングに、片岡さんはちゃんと車を停め待っていてくれていた。流石、優秀な運転手はあの適当な声掛けにも間違う事無く反応してくれる。本当に、俺は周囲に良い人材ばかりを得られているな、と思った。俺の顔を見ると、片岡さんはほっとした顔をした。 「桐生様! 突発的な行動をされては困ります!」  イエスマンでは無く、きちんと、意見を言える所も素晴らしいな、と思う。 「うん、ごめん。知り合いが見えてね。どうしても掴まえたかったんだ」  謝ると、片岡さんは「以降は気を付けてください。危険ですから」と一言言うと、後部座席を丁寧に開けてくれた。隣で、何故か顔を青くした学君が、大人しくなったので安心して、更に腰を誘導しようとしたら、ぐ、と足を踏ん張られる。あれ、と思う。大人しくなったと思ったのに。まあ、そっちがその気なら、こっちも手段は選ばないけど、と思いながら、学君の膝と背中に手を当て力を入れる。ひょい、と学君の身体が持ち上がった。うん、結構重い。でも、心地好い重さだな、と思った。彼が生きて存在している、と感じられる重さだ。 「うわっ、ちょ、」  学君の叫び声は、この際無視だ。幸いにして、この車の座席の背は高い。楽に押し込む事が出来た。俺も、学君の隣へと身を滑り込ませ、口を開く。 「今日は、予定変更で、とりあえず、家にお願い出来る?」 「はあ、畏まりました」 「片岡さん、頼りにしているよ」 「!! お任せください。安全運転で、参ります」  俺が、にっこりと心から微笑んで見せ、一言告げると、片岡さんは一瞬瞠目した後破顔し、深々とお辞儀をしながら、丁寧に後部座席の扉を閉めてくれた。その時、ちらりと目の端で影が動くのが分かって、あ、と思う。学君が反対側の扉に飛び付いていたのだ。全く、本当に困った猫ちゃんだ。片手を伸ばしその手を取っ掴まえながら、もう片手でネクタイを外した。そして、それを使って、くるり、と取っ掴まえた両手を縛る。勿論、動かすと外れないような方法で、だ。 「思った以上に、じゃじゃ馬だなぁ。でも、駄目だよ、大人しくしておいで。良い子だから」  身体を押さえ込みながら、耳に直接吹き込むように声を掛ける。鼓膜を揺さ振るのが目的では無かったが、学君はぷるぷる、と震えて俺を振り返った。そして、目を見開いて俺をまじまじと見詰めて来る。その顔は、真っ赤だった。あれ程暴れていた身体も大人しくなっている。 「あれ、耳、弱いの? 可愛いね……」  思わぬ反応に嬉しくなる。これは、夜が楽しみな反応だった。いや、勿論、未だ彼とはそんな関係にはなっていないし、なれるかも分からなかったけれど。 「良い子だ。家は、直ぐだから」  そっと、驚かさないように優しく、ちょっと長めの前髪を割って、頭を撫でてみる。さらさらの髪が指に心地好かった。ふと気づく。学君は、本当に、大人しくなっていた。彼は、俺の顔に見惚れているようだった。ああ、そう言えば、あの夜も散々顔を褒められたんだった。この顔に生んでくれた両親に感謝の念を抱く。にっこり微笑み掛けると、更に力が抜けるのが分かった。試しにネクタイを解いてみるが、彼は大人しく俺を見るばかりだった。有り難い。本当は拘束なんてしたくなかったからだ。 「ちょっとだけ、ごめんね?」  もう一度、頭を撫でて、モバイルフォンを取り出す。電話帳から第二秘書の畠澤の番号を呼び出し耳に当てる。今日は、第一秘書の荻山は休日なのだ。視線は学君に固定したまま、コール音を聞く。 「畠澤です。要さん、何かありましたか?」  勘の良い畠澤は、俺が電話を掛けた事で、何かが有ったと直ぐに理解してくれたらしい。彼女も優秀な秘書だな、と思う。 「すまない。本当に、申し訳無いんだけど、今日の昼からの会合をずらしたい」  俺が端的に言うと、畠澤は一瞬息を飲んで言葉を失ったようだった。俺は、今まで、仕事をキャンセルした事は殆どと言って良い程無かった。 「え!? え、あ、ちょ、ちょっと待ってくださいね……分かりました。何とか調整してみます!」  即答されて、逆にこちらが驚く。 「良いの? 遅い時間にしてくれれば、時間調整でも、まあ、何とかなるとは思うんだけど」  俺が譲歩すると、「いいえ!」と直ぐに返事が来た。 「もし、そう言う電話が有ったら何とか対応しなさい、と荻山からも言われておりますので。何とかします!」  荻山は、やっぱり唯一無二の秘書だな、と思う。何かが有るかもしれないと分かっていたなんて、来週、出社したら特別休暇でも特別賞与でも何でも出して遣ろう、と思いながら、俺は小さく笑った。勿論、畠澤にもだ。 「本当にありがとう、畠澤。恩に着る」 「!? わわわ、私こそ、いっつもいっぱい要さんにはお世話になっておりますので!! あの、あの、何だか分かりませんが、頑張ってください!!」  きっと、これも、荻山に伝えるように言われた言葉なのだろう。本当に、彼女達には敵わない。それにしても、俺は、本当に色々な人に支えられ救われて生きているんだな、と改めて思った。そして、この事に気付かさせてくれたのは他でも無い、目の前に居る学君だ。 「うん。ありがとう。じゃあ」 「失礼致します!!」  ごん、と鈍い音が耳を打ったが、まあ、それは無視をして良い物だろう、と俺は通話を終了し、再び後部座席の隅で大人しく俺を見詰める可愛く愛おしい学君を、じっくり観賞する事にしたのだった。

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