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第2話

「―――澤野」 夜道を歩く澤野の背中に声をかけたのは9時半ごろだった。 放課後40分ほど準備室で勉強をしていった澤野はそのまま予備校に行ったはずだ。 水曜と金曜、澤野が通っていることを知っていた。 澤野の家は比較的学校から近い場所にある。 だから帰り、時間帯があえばこうやって"偶然"会うこともある。 まるで、ストーカー。 自嘲を胸の内で落とす俺の視線の先の澤野はそんなこと気づくはずもなく驚きに目を大きくしていた。 「葛城先生、こんばんは! いま、帰りなんですか?」 あと一か月もすれば春休みがくる。 約一年担任ということもあって俺にもちゃんと澤野は打ち解けている。 鈴木の同期だし、担任だし、大した思い入れもねーし、そんな感じで。 「ああ。お前は? 予備校?」 道路の脇に止めて煙草に火を付けながら開けた窓から澤野を見る。 「はい。先生、遅くまで大変ですね」 無邪気な笑みを俺に向けてくる。 「別に。―――澤野」 純粋で穢れもしらなさそうだ。 高校二年にしてはまだ幼い雰囲気をしている。 2月の冷えた空気に白い息を吐き出しながら頬を赤くした様子は中学生にも見えた。 「はい?」 「送ってやる。乗れ」 「え、でも。僕の家もうあと……」 「いいから乗れ」 寒いから、と付け加えて窓を閉めれば、澤野は少し躊躇ったが助手席に乗り込んできた。 「すみません」 エアコンのきいた暖かい車内にほっと息をつき、身体から力が抜けている様子が視界の端にうつる。 「近いんだろ? 別にかまわねーよ」 ありがとうございます、そう微笑む澤野。 純粋で疑うことをしらない笑み。 律儀で素直で―――見てると、めちゃくちゃにしたくなる。 このまま鍵ロックして逃げられなくしたらどういう顔をするのだろう。 女のように白い澤野の肌を眺めながら手を伸ばした。 「お前さ」 きっとこいつは疑心なんてものひとかけらももっていない。 澄み切った目が俺に向けられ、口角を上げた。 まだ車は発進させていない。 不審がることない澤野に、それを見せる。 「映画とか見る?」 澤野の目の前にかざしたのはDVDのはいったケース。 「映画……ですか? たまに見ます」 「これ、見たことある?」 パッケージには10年くらい前の映画のタイトルと俳優の顔が載っている。 「いえ……ないです」 「そっか。面白いかなぁ」 パッケージにあるタイトルが示す内容はヒューマンドラマ。涙と感動を誘う内容らしい。 映画を見たことのない澤野に聞いたところでわかるはずがないということもわかったうえで、映画の話を続けた。 「どうでしょう。でもその俳優さん、いっぱい映画出てますよね」 「ああ。人気あるからな。鈴木が、好きなんだってさ」 さりげなく、ごく自然に落とした言葉に澤野は「え」と言いかけたがすぐにハッとして口をつぐんだ。

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