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出版記念パーティーの夜(3)(side真誠)

 隣に座り、僕の飲みかけのグラスに指を絡めて、唇を押しつける。ほろ苦いオレンジジュースのトニックウォーター割りが凪桜さんの唇の中へ吸い込まれていった。  突然の出来事に俺は軽くのけぞったけど、この人エロくていいなぁと惚れ直し、惚れ直している自分の心を観察する余裕はあった。エロい人は人間味があっていい。  まだ肩が触れるのは時期尚早かなとか、凪桜さんと会うのはまだ二回目だしなとか、大人と呼ばれる年齢になっているのにがっつくのもちょっととか、それより何よりこの下心が凪桜さんに見透かされて嫌われたくないなとか。  僕はまた僕の思考に没頭していく。  これは作家を目指し始めてからの習い性ではなく、女きょうだいに挟まれ、姉の不機嫌や双子の妹たちの泣いたり笑ったりの喧しさから意識を切り離し、本の世界に没頭するエスケープ術として身につけた。  どこにいても目の前に自分の関心事があれば、容易くエスケープできて、その関心事を心ゆくまで堪能できる。  僕は右手に持つ銀色のフォークを見た。明らかな量産品で、ステンレス製。テーブルセッティングの手間を省くために、カトラリーはプラスチックケースにひとまとめにされている。  ファミリーレストランという形態が生まれたのは1970年代前半とどこかで読んだ気がする。でもその前から家族のレジャーに『デパートの食堂』という選択肢はあった。銀ブラ、ウィンドウショッピング。  そう、銀ブラと言えば、戦前、銀座の中央通りを歩く人を一方的に写真に撮って販売する、今のテーマパークのジェットコースターで行われているような商売の仕方があった。銀座という街は少し敷居が高く、いい加減な格好では歩けないという気持ちがはたらいて、人々は装って出掛けたので、その姿を収めた写真は案外売れたようだった。  そんな戦前の昭和も書いてみたい。  まずは何から調べよう。人々の生活の面影を感じたい。銀座は東京大空襲で焼け野原になり、当時の面影はほとんど残っていない。被災を免れた地区、谷中の辺りはどうだろう。  近年『谷根千(やねせん)』ともてはやされ、観光地化されているが、その分意識して戦前の姿を留めている場所もある。 「谷中、行ってみたいな」  声に出してから、ここがサイゼリヤで、隣に凪桜さんがいることを思い出した。 「ごめん、突然思いついたことを口にしちゃった」 「いいんじゃない?」 ふふっと笑う姿は押しつけるような暑苦しさも、突き放すような冷たさもなく、凪桜さんのひんやりした手の温度と似た心地よさがあると思った。あるいは晩秋の朝、つま先で探すシーツの冷たさ。  ひんやりした心地よさに、俺の口許にも笑みが浮かんだ。

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