82 / 161

凪の住処(24)(side 真誠)

 凪桜さんは仕方なさそうに笑っていたけど、俺はこの人とずっと一緒にいられると思うと嬉しくて堪らず、玄関の戸を閉めるのと同時に凪桜さんを抱き締めた。 「ありがとう!」 「う、うん……」 凪桜さんは俺の背中に手を回してはくれたけど、その力は弱かった。わかってるのに、言葉を続けた。 「俺、仕事用の机と椅子、本棚ひとつ、ハンガーラックひとつ、プラスチックの引き出しひとつ、寝袋ひとつ。それしか持ってこないから。そんなに真剣に片づけなくても大丈夫だからね」 「寝袋?」 「凪桜さんが怒って、ベッドに入れてくれなかったとき用……じゃなくて、仕事が立て込んだときの仮眠用。ベッドはマジ寝するから」 「そんなことしてるんだ?」 「凪桜さんと同じベッドで寝たいから、なるべく使いたくないけど、どうしようもないときだけ。とにかく荷物は最小限に抑えるから、俺をここに置いてください。いい子にする」 頬にキスして、もう一度抱き締めた。  凪桜さんが身じろぎしたので素直に解放し、一緒に家の中へ上がって、俺はそのまま居間のパソコンを立ち上げた。  自分でも少し冴えすぎてると思う、仕事中なら最もドラマチックな展開と描写が得意な精神状態で、不動産屋から引越し業者、妹2号にまで電話をかけた。 「もしもし、お(にい)だけど。ニコちゃんさ、一人暮らししたいなら、今、お兄が住んでる部屋はどう? ……うん、ちょっと引っ越そうと思って。生活道具一式、残していくからさ。いらないものは好きに処分してくれていいし、来月の家賃まではお兄が負担するから。……それは引越し業者が決まり次第。……愛知県。……なんでって。……まぁそうなんだけど。ちょ、ニコ! お前、おかあに言うなよ!」 やられた、と思ったときにはもう母親の声が耳に飛び込んでいた。 「はい、マコです」 名乗るだけで凪桜さんの噴き出す声が聞こえ、左耳には母親の声がひっきりなしで、市中引き回しの気分だ。 「うん。あー。…………まぁ、そうです。一緒に暮らそうと思って。……いや、おかあは知らない人。仕事で知り合ったから。……そう、うん。……いや、そういう話では、あるというか、ないというか」 俺と凪桜さんの間に流れている、この美しくも繊細で微妙な空気を、頼むから読み取ってくれ、おかあ! 「わかった、わーかったっ! 明日、そっち行くから。帰るから。そのとき! え? レイコとイチコ? 知らないよ、予定なんて。……え? なに? だし巻き玉子サンド? ……知ってる? 名古屋名物なの?」 セリフの最後は凪桜さん向けで、凪桜さんは笑いをこらえて頷いていた。 「凪桜さん、売ってるところ知ってる?」 「うん。明日、名駅まで一緒に行って教えてあげる」 「……え? 声が聞こえた? そう、彼だよ。もういいから! たまごサンド買って帰るから! じゃあね! はい、おやすみ!」 夕方にもなってないのに、ヤケを起こして電話を切り、俺は畳の上に倒れ込んだ。冴えすぎてるなんて一瞬だけの出来事でした。 凪桜さんが近くに膝をついて、 「大変だね」 と笑っていた。 「あ、そうだ。写真を一枚、撮ってもいい? ちょっと心配してるみたいだから」 「いいよ」 「あ、チャビ様! チャビ様も一緒にどう?」  押し入れに向かって歩いて行く途中のチャビ様に声を掛けると、引き返して来てくれた。 「にゃあ」  俺はスマホのカメラアプリを起動し、チャビを抱く凪桜さんと頬が触れるほど顔を近づけて、少し高い位置にカメラを構えた。 「はい、チーズ」  スマホの画面いっぱいに写った俺たちは、口元に自然な笑みがあり、チャビ様もさすがのキメ顔で、今の自分たちの姿をリアルに捉えた一枚だった。 「ということで、明日の午前中にたまごサンドを買って東京に帰ります。荷造りや手続きしたら、すぐ戻ってくるから。……違うな、帰ってくるから」  凪桜さんに直接言うのは面映ゆく、チャビ様の耳の後ろを撫でながら言った。

ともだちにシェアしよう!