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潮騒のファミリー(1)(side 真誠)

「いってらっしゃい、いってきます、か」  俺は幸せを噛み締めながら新幹線に乗り、山手線に乗り換え、さらに私鉄に乗り換えて二駅、改札を出て商店街を歩く。  カートを押しながら歩く老女や、前カゴに子どもを乗せた電動アシスト自転車、散歩中の犬、下校中の中学生らが行き交う道を歩き、古い喫茶店の角を曲がると四階建ての古くて小さなビルがあって、引違い戸のガラスには裏側から金色の絵の具で『小日向税理士・行政書士事務所』と描いてある。  俺はその前を通り過ぎ、自宅へ直接出入りするための玄関ドアを開けた。 「ただいま」 呟くように挨拶をしながら靴を脱ぎ、廊下を歩いて正面の階段へ足を掛けると、事務所へ直接出入りできる引き戸が開いて、税理士の母親と行政書士の姉が鏡餅のように折り重なって顔を出した。 「おかえり。マコったら本当に一人で帰ってきたの? 彼氏は?」 姉は俺よりも、俺がいない空間のほうを長く見回している。 「いないよ。俺、おかあに言ったよね? 昨日の電話で一人で帰るっておかあに言ったよね?」 「あら、本気だったの? 残念ねぇ! 来ればよかったのに。今夜はすき焼きにしたのよ」 母親もまだ諦めきれずに凪桜さんを探している。 「こんなカオスに恋人なんか連れて来れるか」 「カオスって言えば、イチコが来てるわよ。ニコと二人で二階にいるんじゃないかしら。お土産残しといてね」 「双子カオス」 苦々しい顔で呟いたら、階段の上から妹1号の声が飛んできた。 「やーん! 歴史カオスに言われたくないのーん!」 階段の上下を餅に挟まれて、俺はため息をつきつつ階段を上る。  妹1号を追い抜いて二階へ上がり、すりガラスの引き戸を開けると、中華料理店で見掛けるターンテーブルつきの円卓がある。夫婦で税理士事務所を切り盛りしながら四人の子どもに飯を食わせるには、このくらいのテーブルが必要だと両親は考えていたらしい。  餅のような母、姉、妹1号とは逆に痩せた体型の妹2号は「おかえりー」と言うだけで、黙々とポメラに文字を入力していた。  二卵性双生児なので、妹1号は母親似、妹2号は父親似ときっぱり分かれたらしい。性格も得意科目もあまり似ていなくて、しかし趣味や仕事は同じことをしている。 「ただいま。ニコは一人暮らし始めるかどうか決めた?」 「うん。お兄が住んでるマンションに引っ越すわ。まぁ私よりお姉家族が同居するほうが、下の事務所の都合もいいっちゃいいし、引っ越すならお姉のところのチビが保育園卒園して小学校入る今度の春がいいと思うし。私も家の手伝いしないで集中して書けるしね」 「うんうん、いいと思うー。ニコちゃんが引っ越したら遊びに行くねー」 相槌を打つ妹1号と妹2号の間には、プリントアウトしたプロットや小説、著者校などが積み重なっていた。  俺は妹1号の隣に座り、積み上がってる用紙の束に手を伸ばす。 -----  マコトは自ら白衣(びゃくえ)を脱ぎ落とし、祭壇の上で脚を広げた。羞恥に全身は赤く染まったが、ほころんだ蕾は物欲しそうにひくひくと蠢き、上向く分身から溢れる蜜はその白い肌をしとどに濡らす。 ----- 「BLに俺の名前を使うなって」 「だってシリーズなんだもん。今さら変えられないよー。『淫乱逆ハーレムマコトくん、世界中の王様から愛されちゃって困ってます!』シリーズ、今回は和風ファンタジーなんだー。編集さんに獣人ものって言われたから、タヌキとヤルよ!」 「タヌキ…………」 俺はもう言い返す気力を失って黙り込んだ。  重ねた紙の下から文庫本が出てくる。 「ニコちゃんの新刊! 夢咲まゆ『カジノ王と借金キング』。読者を飽きさせない展開で面白かったよ。これ、お兄に献本だよね?」  夢咲まゆというペンネームを持つ妹2号はポメラに向かったまま頷いていて、俺は可愛いうさぎのイラスト付きサインが入った文庫本をありがたくいただいた。 「イチコも仕事は順調そうだな」  著者校に印字された柚月美慧という名前を見、校正者が読みやすい字で丁寧に入れてくれている注釈を見ていたら、階段を上ってくる足音がした。 「今日はすき焼き! 凪桜さんも来ればよかったのに」 長ネギを抱えた母親と肉を抱えた姉は、顔を見合わせて「ねー」と言う。 「絶対に嫌だっ!」

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