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潮騒のファミリー(5)(side 真誠)

「こちらこそ、よろしくなのーん。このキャラが誰かわからないけど」 新幹線のチケットの写真を見て、迎えに行くのはまだ早いかなと思いつつダイニングテーブルへ戻ったら、買ってきた土産があらかた食い尽くされていた。  だし巻き玉子サンドとサバサンドが一切れずつ皿に取り分けられていて、父親の分は辛うじて残してもらえたらしい。 「相変わらず食うの早いな」 「お兄は食べなくていいよね。また名古屋駅で買えるから」 「俺はいいけど……」  こういう環境で育つから、物欲が薄れるんだよなぁ。一瞬は欲しいと思うし、場合によってはカタログをもらってしつこく眺めたりもするのだが、買ってもどうせ姉や妹たちに取り上げられる、破壊される、そう思うと被害に遭っても惜しくないものが必要最低限あればいいと思うようになってしまう。 「イチコちゃん、かっこいいネックレスしてるわね」  母にシルバーのクロスのネックレスを褒められて、妹1号はにっこり笑う。 「お兄が使わないみたいだから、もらったのー」 「俺の部屋から強引に持って帰ったんだろうが!」  ついでに原稿を書いている妹2号も釘を刺す。 「言っとくけど、そのポメラも俺のだからな」  妹2号も「へへーん」と勝利宣言ともとれる返事だけで、手を止めることすらしない。 「あっ! お姉、おかあ、その赤福は凪桜さんからだからな!」 台所に立っておしゃべりしながら、あんころ餅をうわばみのように飲んでいる二人に気づき、慌てて声を掛けた。  姉は目を丸くして口の前に揃えた指をあて、モグモグゴックンとやってから口を開く。 「あらやだ! 先に言いなさいよ、そういうことは。おかあと二人で全部食べちゃうところだったじゃない。はーい、皆、凪桜さんからの赤福ー。口開けてー」 ヘラで掬った赤福を、俺以外の全員の口へ入れて歩いて、空っぽになった。いつものことだ。  だから俺は、凪桜さんがGREEN DAYの三色を引き離しちゃいけないと思って全部買った! なんていうのは、本当にいいと思う。買えてよかったね、片づかなくたっていい、好きな物に溺れるみたいに暮らす贅沢を味わえばいいじゃないかと心の底から思うのだ。  早く凪桜さんに会いたいな。  新幹線の到着まで余裕があったけど、俺はたまらず品川駅へ向かい、駅ナカの書店で時間を潰すことにした。  意外に広い店内を流行や傾向を勉強しつつゆっくり歩き、単行本のコーナーに凪桜さんの表紙が並んでいるのを見つけた。ミニコーナーを設けてくれていて、三十冊ほどが平積みされ、一冊は斜めに立て掛けられてポップが添えられている。ありがたい。  俺は著者献本も受け取り、さらに取材等でお世話になった方へお礼状と共にお送りしたり、今後自分が営業をかける際に添える資料用として自腹で購入したりして、仕事部屋のダンボールの中にはまだ三十冊ほど置いているのだが、それでもこの本を見かけると手が伸びる。  古い手彩色写真のイメージで描かれた表紙は全体的に灰色で、そこへ水彩絵の具が重なっている。実際にはデジタルで描かれているらしいが、面相筆で着色したような濃淡と柔らかさがあり、しかも当時の浅草公園六区の風景は、流行の先端を行く女学生や帽子をかぶった男たちが往来し、ずらりと並ぶ提灯や華やかに舞う紙吹雪は赤や黄で着色されて、パレードのような賑やかさが伝わってくる。  その中で、架空の人物である主人公二人だけが、表紙の真ん中でぽっかり白抜きされていて、却って人の目はその二人に向く。素晴らしい仕掛けだ。  前を通り掛かる人は、皆、足を止め、表紙に指先を触れる。  装丁まで凪桜さんが担当してくれて、選ばれた用紙は揉み和紙のような軽くて柔らかくて蛍光灯に反射しないもの。ふと手を伸ばしてその感触を確かめたくなる紙だった。  しかも題字は気に入るフォントがないからと、凪桜さんがデザインして描いてくれた。レトロモダンなくっきりしたデザインで視認性が高い。  手に取って中身を読んで置き去りにされるのは自分の力不足だが、まず手を触れようと思ってもらえるのは凪桜さんの実力だ。通り掛かる人が次々手を伸ばすのを見て、俺は嬉しかった。 「あとで凪桜さんに話そう」  書店を離れ、少し遠回りをして歩きながら新幹線の改札口へ迎えに行った。  凪桜さんはリュックサックを左の肩にかけてやって来て、互いに軽く手を挙げて合図し合って、合流した。 「本当に申し訳ない! これからの数時間は絶対に大変な思いをさせるから、先に謝っておく。ごめんなさい。その代わり、実家を出たら、凪桜さんの楽しいことしよう。バーや居酒屋に飲みに行くのでも、カラオケに行くのでも、マンションに帰ってひたすらトレイルランの動画を見るのでも、何でも! 何がしたいか考えておいて」 話しながら高輪口へ出て、タクシーに乗った。  当たり前の習慣のふりをしてそっと凪桜さんと手を繋ぐ。 「会えて嬉しい。絶対に大変な思いをさせるし、俺自身も気は進まないけど。でも、凪桜さんを家族に自慢できるのはやっぱり嬉しい。来てくれてありがとう」 素直な言葉すぎて照れくさくて、凪桜さんの目を見ることまではできなかったけど、凪桜さんがキュッと手を握ってくれたから、気持ちは伝わったと思う。

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