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今年も猫年(9)(side 凪桜)

しばらく真誠さんの体温を感じていたらチャビがにゃあと鳴いて髪を噛んできた。 「真誠さん、あときんとんだけ作っちゃおう」 そう言った時に「田舎の母のおせちを食べたい」と言った人を思い出した。 大学時代は東京の端の方にある美術大学に通っていて、毎日課題に追われながらアルバイトをしていた。高額な学費を出してもらっている一般家庭の僕は、画材を買い一人暮らしをするにはある程度自力で稼がなくてはならなかった。 先輩が卒業制作の時間をとるために辞めるというクラブのボーイのバイトは新入生に引き継ぐのが伝統らしく、たまたまバイトを探していた時に声をかけられた。短時間、高給、さらにその店はお客さんの質がいいという話だった。 僕は世間知らずだったしそういう場所を知らなかったから心配ではあったけど、始めてみれば雇う側も慣れたもので仕事は直ぐに覚えられたしお客さんも顔を覚えてくれた。 彼女は常連の1人で仕事が休みの日に来る、夜の仕事をしている人。ひとりで過ごすのが苦手だから休みでも飲みに出てくる。いつしか僕は彼女の近くに居るようになった。課題をやる僕の部屋で彼女がお酒を飲んでいたりバイトが終わると一緒に彼女の部屋に行ったり。 どこか遠くから上京したらしいけれど、都会の夜の仕事に疲弊してたどり着いたというこの町は、学生もたくさんいるそこそこ活気のある町だ。そんなところで僕達は出会った。 彼女は寂しがりだけど僕はそうでもない。とにかく忙しくて自分のことばかり考えていたのに彼女は僕のそばにいた。そしてぽつりぽつりと自分のことを話してくれた。母のおせちを食べたいというのもそんな時に聞いた。もう何年も家には帰っていない、たまに電話すると心配されるからと電話もあまりしないと言っていた。なんで東京に出てきたのか僕は聞きたくても聞けなかった、深入りしていいのかわからなくて。 ある時彼女が頭が痛いと言い、何度か薬を飲んでいた。数日後、彼女の仕事が休みの日に飲みに来なくてバイトを終えてから部屋を覗きにいった。彼女は頭が痛いとベッドで苦しそうにしてたのに救急車を呼ぶのは嫌だと止められ仕方なく夜間診療へ連れていったら即入院。家族はと尋ねられても連絡先もわからず、おたくはどなたと聞かれ返答に困り彼女の働くお店に行って実家に連絡を取ってもらった。 病院に来た彼女のお母さんに「貴方のことは電話で聞いてる」と言われて、僕のことじゃないと思ったけど「まだ大学生なのにしっかりしてて頼りたくなる」と言っていたらしい。 僕はそんなにいい人じゃなかった、自分のことしか考えてなかったのに。何もしてあげなかったのに。 彼女は意識を取り戻すことなくお母さんに引き取られて田舎に帰った。 そんなことを僕はすっかり忘れていた。忘れていたけど、もっとちゃんと向き合えばよかったと思ったのだ。もう後悔はしたくない。 チャビが足にまとわりつくからサツマイモも食べるかと思って潰したのを指先に付けて差し出したけど鼻を近づけただけで歩き去った。 「チャビ、サツマイモは好きじゃないらしい」 そう言って指先を見せると真誠さんは僕の指先を手に取って自分の口に入れた。

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