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今年も猫年(12)(side 真誠)

 これはあれだな、かさこじぞう。  運ばれてきた米と餅を見て、俺は国語の教科書を思い出していた。絵本も図書館にあったはずだ。  貧しくも心清らかなおじいさんが五つの笠と一枚の手拭いを六地蔵にプレゼントすると、大晦日の夜に米や餅が運ばれてくる。  俺は小学校でこの話を習ったとき、大晦日の夜にお地蔵さんたちが街へ出て、閉店間際の店で買い物する姿を妄想した。「よかった、まだあのお米屋さんが開いてるよ!」「すみません、まだお米ありますか?」「あ、お餅もください」「お金、ちゃんと持ってます(賽銭箱から出す)」みたいな。  昔話だからコンビニは存在しなかっただろうという程度の時代考証はしていたが、想像できるのは近所の鉄筋コンクリート造三階建てのお米屋さんだけだった。そこに六体のお地蔵さんたちが駆け込んで、口々に訴えて買い物をする。手拭いを被った地蔵が会計係で、普段の六体暮らしの家計も管理している設定だ。ちなみに賽銭箱には小銭しか入らないから、彼らの生活も実はなかなかに貧しい。でもおじいさんに米と餅を買う。いい地蔵たち。  妄想癖の強い子どもだったが、どうにか自分で正月の準備ができる大人になれてよかった。おじいさんより経済力あるぞ。  でも、今、凪桜さんが米と餅を受け取っている姿を見て、自分の発想はいかにも都会の商店街で生まれ育った子どものものだったなぁと思う。  米も餅も店を経由せずに手に入れる世界なんて知らなかった子どもが、二十数年後にその姿を目の当たりにして驚くのだ、真誠よお前は今かさこじぞうの世界にいる。  引っ越してきて二ヶ月ちょっと経って、もう朝目覚めて天井の模様が違うことに驚くことはないが、まだおとぎ話の世界に足を踏み入れたような浮遊感は残っている。  この浮遊感もいつかは消えて、過去の思い出にも凪桜さんばかりが登場するようになって、チャビ様の尻尾は二本に割れ、二人で漬け物を食べ、白湯を飲んで、静かに床に就き、かさこじぞうの夢を見る、そんな老後も悪くない。  妄想を繰り広げつつ、あのお米屋さんは凪桜さんに対してめちゃくちゃ笑顔だったし、凪桜さんも愛想よく応えてたなぁなんて薄暗い嫉妬心を抱き、のし餅の端に人差し指を突き立てていたら、いつの間にか隣にいたチャビ様に人差し指を引っぱたかれた。 『お前みたいな妄想しかできない野郎が、今生のうちにあのおじいさんの境地まで辿り着けると思うなよ』 という目で睨まれて、俺はチャビ様の頬にも人差し指を突き立て、思い切り噛みつかれた。

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