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今年も猫年(14)(side 真誠)
やっぱりここは民話の世界が混じってる。
凪桜さんの話を聞きながら、俺は改めてそう思った。土間のある家、運ばれてくる米と餅、民間習俗。
甘くて濃い赤味噌も、酒粕の風味が鼻に抜ける奈良漬けも、あっという間に好きになった。
炬燵にあたり、みかんの白い筋を引っ張りながら話す凪桜さんは、俺と同い年に見えて実はもうずっと昔からここにいてこんな姿をしているのかも知れない。チャビ様も。
変な錯覚を起こしながら、俺はますますここで暮らすことが楽しいと思えるようになってきた。
俺も歌川広重が描くような江戸時代の『京橋竹がし』あたりに引っ越して、竹細工職人などやり、屋台の天麩羅を立ち食いして、京橋の擬宝珠 がついた欄干に指先の油をなすりつけたりしながらふらふらと歩きたいなーと思っている変人なので、かさぶたを剥がしながら新陳代謝を繰り返している現代の東京よりも、今の生活のほうがよっぽど性に合うと感じている。
江戸っ子だから風呂はへえりてぇ が、仕事なんざ松の内は休んじまえと思ってるし、金も使わず掃除もせず、ひたすら妄想を繰り広げながら大人しくしてるのは得意だ。
美味しい昼食と正月の諸注意が終わると、凪桜さんは自分の仕事部屋へいなくなり、俺が食器を洗っているうちにまた炬燵へ戻ってきた。
手にはプリントアウトした一枚のA4用紙。
手を拭いて炬燵に戻り、紙の端の匂いを嗅いでいるチャビ様と一緒にちらりと覗くと、縦軸に企業名、横軸に人名が書かれた一覧表だった。企業の業種はまちまちで、香辛料で有名な大企業から通信、製造、名前を聞いたことがない病院名もある。
「なぁに、これ?」
「明日のニューイヤー駅伝のエントリーシート」
そう言いながら、選手の名前を枠で囲ったり、小さな〇や△をつけていて、特に一人の選手名をグルグルと何重にも囲っているので、その選手のファンなのかな。
この人は、俺の部屋に泊まったときもトレイルランニングの動画を見ていた。
人が走るのを見るのが好きなのかな。まさか苦しんでいる姿を見ると恍惚感を得るとか、そういうんじゃないとは思いたい。俺の今後のために。
セックスで言葉責め、軽く苛められるくらいなら気持ちよくていいけど、スポーツの素養がない俺が長距離走でエクスタシーを感じられるようになるまで調教されるのはきっとすごく大変だ。その頃には市民マラソンの10キロコースくらいエントリーできるようになってるだろうなぁ。絶対やらないけど。冬は炬燵でみかん、そして猫だ。
まるでそこに小説でも書かれているかのように(実際、彼には何らかの物語が見えているのかも知れない)エントリーシートを見ている凪桜さんと自分のマグカップに黒豆茶を淹れ、急須の中の柔らかくなった黒豆を指でつまみ出して食いながら、正月はまだまだ何かが起こりそうだと楽しみに思いつつ、のんびりと好きな人の横顔を見て過ごした。
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