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今年も猫年(18)(side 真誠)

 凪桜さんの笑顔は引きつっていた。そりゃそうだよなぁ。人の趣味を中断させてセックスかよって思うよなぁ。 「ごめん。何でもないです。ええと、一人で入る。せっかくエントリーシートを見て楽しんでたのに邪魔してごめん。お先に」 ぽたぽたと着ているものを脱ぎ落とし、一人で風呂に入った。凪桜さんはどうやら来るもの拒まず去るもの追わないタイプなので、本当に放って置かれた。追い掛けてきてさらに塩を塗りこまれるよりは、こういう対応のほうが助かるなと思う。  昨日切ってもらった髪をわしわし洗い、今年の汚れ今年のうちにというコマーシャルを思い出しながら全身を丹念に洗って、湯船に身体を沈める。  二人で入るつもりで一番低い水位に設定したから、自動的に半身浴だ。水筒に詰めた水を一口飲む。  気持ちを立て直してまた凪桜さんの隣でぼーっとしよう。  久しぶりに池波正太郎を読み返そうかな。食通の池波の描写は食べ物のシーンで腹が減るけど、それもまた読む楽しさだ。  杉浦日向子のエッセイも読みたい。杉浦日向子は蕎麦好きだから、今度は蕎麦が食べたくなる。年越し蕎麦を食べるにはちょうどいいかも知れない。  俺はざる蕎麦にわさびを効かせて熱燗と一緒に手繰るのが好きだし、わさびと塩をアテに飲むのも好きだけど、まだまだそんなのが似合う年齢ではないのが残念だ。  あ、そういえば藻塩があったな。わさびも。  やっぱり久しぶりに飲もうかな。  気持ちが明るくなってきたとき、銀色の袋が引っ掛けてある窓から、女性の声が聞こえてきた。 「ほんっと、ぼさーっとしててねぇ。なんであんなの拾ってくるんだか、心配になるがね」 「凪桜ちゃん、昔からネコを見るとエサやるし、可愛がるし、性分だもんだ仕方ないんだわ」 チャビ様が飼われた経緯だろうか。拾ったときとても小さかったという話は聞いたけど。ぼさーっとしてるかなぁ? 「何でも面白そうなものは拾ってくるんだわ」 「今どき、わざわざ知らん人が使ったもん買わなくても。誰が触ったかわからんもんなんか嫌だわ〜」 おーっと、これは凪桜さんがディスられてるのかな。 「チャビのエサをお願いしますって、東京に出掛けたと思ったら、変なの連れて来て。変って言っちゃ悪いけど」 「あら、でも変よう。仕事に出掛けんし、朝から晩まで家におるもんねぇ。ぼさーっとして。凪桜ちゃんもちょっと浮世離れしたところがある子だから。ホストになった友達が売れなくて、可哀想になったんじゃないの」 「何も、自分のヒモみたいにして世話することないのにねぇ」 ホスト? ヒモ? 確かに俺は朝から晩まで家にいるし、ぼさーっとしてるけど! 「あんなんじゃ売れんて。漬け物持ってったって、声掛けたって、はっきりしないし。そもそも全然かっこよくないがね」 「かっこよくないって、失礼だわー。本当のこと言い過ぎ!」  そうだ、そうだ、言い過ぎだぞー!  俺は外にいる年配女性たちに気づかれないよう、そっと風呂の栓を抜き、身を屈めたまま身体を拭いて、そろそろと引き戸を開け風呂を出た。  パジャマを着て、半纏を羽織り、水筒を片付けて水を飲む間も、噂話の声は聞こえる。楽しそうだなぁ。  居間に戻ってコタツに足を入れながら、俺はさっそく凪桜さんに報告した。 「俺、売れないホストを辞めて、凪桜さんのヒモになったらしいよ」

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