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チャビは喜び庭駆け回り、凪桜はコタツで丸くなる(18)(side 真誠)

「甥! 姪! こんにちは、初めまして、あけましておめでとうございます。俺にはわかる。このお利口さんなご挨拶は、お年玉狙いだな!」 壁際まで追い詰められながら指摘すると、二人はくすぐったそうに笑った。 「俺からは漱石一人ずつしか差し出せないよ。あとの金額はなぎちゃんに調整してもらって。わかった人!」 「はーい!」 「はーい!」 「初対面の見ず知らずの俺にそこまでいい返事ができるって、現金は強いなぁ」 俺は書斎のデスクの上で千円札を広げ、覗き込む甥と姪の目の前で折る。 「100万円にしておくから。こういうのを子どもだましって言うんだ。子どもは大人のためにだまされてあげなきゃいけない。お年玉を稼ぐのも楽じゃないね」 俺は紙幣の上部左右両端にある1000の文字を中央に寄せて1000000に数字を並べてから、シンプルなポチ袋に入れた。 「渡す前に! まずお父さんとお母さんにご挨拶しないと。全員俺のこと、誰だかわかってないだろ?」 「しらなーい!」 「しらなーい!」 「俺だって『なぎちゃん』の甥と姪ってことしか知らないからな」 ごちゃごちゃと団子になって書斎から出て、弟さんとその奥さんの前で背筋を伸ばした。 「あけましておめでとうございます。はじめまして、小日向真誠です。よければ『まこちゃん』て呼んで」 興味津々で俺の顔を見上げている甥と姪に呼び名を教えてから、改めて弟さん夫婦に向かう。 「小説を書く仕事をしていて、単行本の表紙を凪桜さんに描いていただいたご縁で、こちらへ寄せさせていただいています。あ、これがその本です」 俺は書斎の中へ手を突っ込み、本棚から献本を引っ張り出して差し出した。 「よろしければお持ち下さい。まだありますんで」 一緒に本棚を覗いた姪ちゃんが、10冊以上並ぶ同じ本を見て心配そうに言った。 「売れないの?」 「大丈夫、この本は一番よく売れてる。表紙のおかげで手に取ってもらえた。売れているから、ほかの出版社へ『こんな本を出しました。お仕事をください』って営業するために、まとめ買いしてあるんだ。この出版社の場合、書いた本人は社員割引と同じ割引率で自分が書いた本を買える仕組み。この表紙を描いたのはなぎちゃんです。じっくり見てください」  どうぞと押しつけて、甥と姪が表紙を覗き込んでいる顎の丸さに幼さを感じ、眼差しに凪桜さんの幼い頃を連想する。弟さんは顔立ちはあまり似ていないけれど、まっすぐ立ったときの立ち姿なんかは似ているように思う。  義妹さんは控えめな人で、甥と姪の朗らかさが際立つ。 「ねえ、ねえ、この本って難しい?」 「ううん。小学生でも読みましたって手紙をくれてるから、大丈夫じゃないかな」  初夜のシーンをどう解釈したのかはわからないけど。でも俺だって小学生のときには小学校の図書館で太宰治の斜陽をエロいなーって思いながら読んでいたし、本人なりの解釈をして、きっと平気なんだろう。ただエロのインパクトがでかいと、『斜陽』=スウプを飲んだお母様が「あ」と幽かな叫び声で言ったエロい小説、という肝心な部分が全て抜け落ちた記憶になるのだけれど。太宰先生ごめんなさい。のちに登場人物のモデルとなった静子本人が書いた小説も読んで、ふうん太宰先生は騎乗位をおねだりしてたのか、とやっぱりエロしか残らなくて、俺の読書能力なんてそんなものです。  美味しい天ぷらうどんをいただいて、俺はようやく目が覚めてきた。  チャビ様は賑やかな団欒に音を上げたのか玄関から抜け出し、庭を一気に横切っていく。後ろ足で地面を蹴ったあとに一瞬全身が宙に浮く走り方を見ると、彼もヒョウや虎やライオンの仲間だなぁという気がする。 「チャビは旅に出ることにしました。はい、続き」  一緒にチャビを見ていた甥と姪に、俺は驚かせないように話し掛けた。 「続き? 何それ?」 「お話作り。チャビは旅に出ることにしました。続きをどうぞ」 「棒の先に袋をくっつけて、缶詰を入れて担ぎました」 「鳥獣戯画の世界だ、いいね。あれ、なんでわざわざ棒の先に荷物をくくるのかなぁ。情景がよく浮かんできていいね。缶詰を入れて担ぎました、の続きは?」 俺は畳の上に腹ばいになり、プリンター用紙に話を書き留めながら促すと、続きが出てきた。 「俺様ネコが出てきたから、缶詰をあげた」 「いいね。チャビや俺様ネコは何か言った?」 「ううん。すれ違うときに黙って渡した」 甥がこうやって、と再現する身体の動きは、身体の低い位置で缶詰を片手で持ち、視線を合わせず、すれ違いざまに受け渡しする、非合法な物を密売する人の動きだった。 「なるほど! それは悪い缶詰って感じだね。またたびが多く入ってる非合法な缶詰なのかも」  結局チャビはまたたびが多く入った非合法な缶詰を売り歩いた挙げ句、そのお金で世界一周豪華客船クルーズの旅に出て、なぎちゃんにおかえりって言われておしまい、というとても面白い物語ができあがった。  書き留めた物語は俺が記念にもらえることになって、二人からサインをもらい、自分のサインも一緒に書き込んで、日付を書いて書斎の机にしまった。  今も実家のどこかに、こんな紙の束が母親の手によって保管されているはずだ。姉は優等生だったけれど、俺と妹二人はこんな遊びばかりしていたなと懐かしく思い出した。

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