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庭に咲く花、枯れる花(4)(side 凪桜)
真誠さんも呪文みたいな事言ってる。
前にニコちゃんが言ってたみたいな謎の言葉がスラスラと唱えられ、どうやらそれは僕に対するイベントの説明らしかった。
ちゃんと聞いたつもりだけど少女漫画とかドSとかファンタジーとか耳や尻尾がなんとかかんとか。締めには男も出産するとか聞こえてきたけど、もう訳わかんない。何でもありだと思っておけばいいのかな?
眉尻を下げ眉間に皺を寄せ興奮してるのか諦めてるのかわからない真誠さんの顔を見て頷いた。
品川に着いた!
スマホのラジオでマラソンの状況を聞きつつ真誠さんの案内で少し先に見える35キロ折り返し地点を確認した。天候は雨で気温も下がっている。一般ランナーや応援の人もこれは大変だと思いながら自分もその一人だと気がついた。まだテレビで見ているような気分らしい。
「真冬みたいな寒さだね、冬のコート着てきてよかったよね」
ダッフルコートにマフラーを巻いた真誠さんとファミレスに入って温かさにほっとする。荒れ模様の天候の中、興味もないマラソン見学に付いてきてもらうなんて申し訳ない。もしかして迷子とか心配して付いてきてるわけじゃないよね。
上着を脱ぎ注文を済ませると迫ってくるランナーの事を考えてしまい落ち着かず、不安定なイヤホンを挿し直したりツイッターをあれこれ巡ってみたり。あと一時間くらいで先頭が折り返し地点までやってくる。やっと実感がわいてきたみたいだ。真誠さんはそんな僕を見て見ぬ振りをしてる。
片耳はイヤホン、片耳は真誠さんに向けてるつもりだけどどうしてもラジオのほうが気になる。
「ごめん、ラジオばっかり気にして」
「大丈夫。せっかく見に来てるんだから楽しもう」
「ありがとう。たまには映像無しのラジオだけって言うのも新鮮かな。あ、それでね……」
ラジオの実況が伝える先頭グルーブの情報に集中してしまった。日本記録を持つランナーが遅れだしたというのだ。このコンディションでは何があるかわからないな。
ひと通りの情報を聞くと手に持っているフォークにささったままのエッグベネディクトが目に入った。
「あ、ごめん」
またラジオに集中してたみたいだった。止まっていたフォークを口に運ぶ。暖かくて柔らかい卵は幸せな気分になる。
なんとなく真誠さんに状況や見どころを話しながら食事を済ませ雨の降り続く歩道に出た。真誠さんは僕の言った何気ない言葉を覚えてたりするからこのまま興味を持ってくれると嬉しいんだけど、今日の天候では思い出が「寒かった」になってしまうかもしれない。
「あ、途中棄権した……」
僕は折りたたみ傘をさし歩道橋を渡りながら真誠さんに伝わるように口に出した。現時点で日本で最速のランナー。走っている姿を見るのを楽しみにしていたけどこのコンディションでは棄権するのも今後のための正しい判断だろう。無理して体調を壊す方が良くない。一人で走り一人で決断するマラソンは心も強くなくてはならないのだとつくづく思う。
歩道の水たまりを避けながら進んでいくと折り返し地点の手前の歩道橋が見えてきた。
「ちょっと興奮してる。自然に早足になってるよね、僕」
真誠さんは笑いながらついてくる。きっと僕のそんな様子を楽しんでると思う。普段あまり感情を表すほうじゃないからちょっと照れくさい。
「歩道橋の上から見てみたい、向こう側に渡っていい?」
返事を聞くか聞かないかのうちに方向転換して階段を上ると警備員が立っていて「立ち止まらないで下さい」という張り紙もあった。
「警備の人、一番いい場所で見られていいなぁ」
そんなことを口にしながらテレビカメラを構える壇上よりさらに高い歩道橋から道路を見渡し、立ち止まらずに降り反対側の歩道に陣取った。既に人の列で埋まっているけれど、ちょうど折り返しを見ることができる場所があった。
折り返し地点ではスピードを落としていくから、直線を見送るよりも長く選手を見ることが出来る。そんな余計な話をしながら
「いい場所があってよかったね」
と、真誠さんの方を見た。
傘の下で折り返し地点の写真を撮っていた真誠さんが思ったより楽しそうで安心した。
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