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庭に咲く花、枯れる花(7)(side 真誠)
お気遣いは嬉しいのだけれど。
普段は自分の行きたいところへ行き、やりたいことをする凪桜さんが、突然気遣って一歩引くと、妹たちが生まれた日から諦めたり譲ったりすることが当たり前になっている俺としては、凪桜さんが引いた一歩の距離を埋められなくて、ボールを打ち込まれてもお見合いしてしまって、どちらも拾いに行けずに一点とられる状態になる。
ひとえに俺にリーダーシップがないからなんだけど。
そして今回、一歩を埋められない俺の懸念は、凪桜さんが自分たちをモデルにした同人誌を見て気分を害さないかどうかということだ。
でも、自分たちをモデルにした同人誌があるなんてわかったら、絶対に見てみたいって言うだろう。気持ちはわかる。俺だってつい読んでしまう。王様の慰みものとなるべくモブたちに代わる代わる突っ込まれ、王様がお清めのせっせをしてくれる頃には、尻が痛くて疲労困憊だと思っても、つい。
そして、本音を言うともっと怖いのは、凪桜さんが妹たちを嫌いにならないかってことだった。
この心理は説明しがたい。俺は妹たちを鬱陶しいと思っているし、余計なことばかりしやがる、うるさいと思う。でも、本音を言うとちょっと大切なのだ。可愛いと思うし、俺は勝てないんじゃなくて勝たないでいる。自分が怒るのはいいけど、ほかの人に妹たちが怒られたり、いじめられたりしたら腹が立つ。
妹たちの蛮行を知って、凪桜さんがものすごく怒ったり、傷ついたり、妹たちを嫌いになったら。
答えは決まってる。俺は軽く深呼吸をして、背中のストレッチをする振りで両手を身体の前で組んだ。これは俺のおまじないだ。判断に迷うとき、このおまじないをすると気持ちが落ち着く。
俺は決意して言った。
「ううん、一緒に行こう!」
俺は師匠の言葉を思い出していた。昔、歴史小説の賞に応募しようと将棋の駒を動かすようなプロットを立てていて、その群雄割拠を洒落こもうと浮き足立った内容に釘を刺された。
『両手を広げて、身体の前で輪を作ってごらん。その中に一体どれだけのものが入る? せいぜい一人、頑張って二人。一人の人間が守れるものなんてその程度だ。その程度の人間が地球上の米粒みたいな狭い範囲をうろうろして、宇宙と比べたらほんの一瞬でしかない一生を終える。そのことを忘れず、なおかつ愛おしい、面白いと思って、誰かの人生における小さな変化に夢とロマンを感じられるなら、真誠は小説を書けるかもしれない』
このあとには、二人、三人、十人、百人で手をつなげばその輪はどんどん大きくなってとキャパシティを広げていく方法も話してくれたのだけれど、とにかく判断に迷うとき、俺は自分の身体の前に両手を組んで輪を作る。自分の優先順位を見失わないように。自分のちっぽけさを思い知るために。
今、俺一人の腕に入っているのは凪桜さんとチャビ様が精一杯。
凪桜さんとチャビ様のことだけは頑張ろう。妹たちは逞しいから俺なんかいなくても平気だ。凪桜さんを庇って吠える俺を笑いながら見ていてくれるだろう。
「春はアンソロジーの季節なんだ」
何の前置きもせず凪桜さんにそう言って、山手線が半周する間にぽつぽつ説明をして、小雨が降る道を歩いて会場へ向かった。
パンフレットとサークルチケットを見せて入場し、広い会場に会議用机が真っ直ぐ並ぶ様子を見渡す。
「机の半分がスペースひとつ。ここにそれぞれ持ち寄った同人誌の店を広げるんだ」
布を掛けたり、ポスターを飾ったり、工夫が凝らされて賑やかだ。
俺は立て続けにアンソロジーを三冊受け取る。用意してきた名刺入りのキャンディの袋をお渡しし、入れ違いにクッキーやチョコレートなどを頂く。
「名刺やお菓子の交換も楽しみのひとつ。本を作った本人と直接挨拶や会話ができるのは、同人誌即売会ならではだね」
買った本を大切にトートバッグへ収めてから、意を決して四階のホールへ行った。
「二列の机の両端にあるのが誕生日席。今回、どういう訳かそういう席を割り振られたらしい。一体何冊本を作ったんだか」
入口から足を踏み入れるとすぐ、「お兄!」と呼ばれた。声のする方を見ると、妹一号と二号は黒いうさ耳のカチューシャをつけていた。お前ら自分の年齢考えろよ!
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