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第10話 群青〈後〉

「ふざけるのも大概にしろよ。大体俺は見返りを求めていた訳じゃないし、恋愛感情はないって言ってるだろ」 「ふうん? まあ、そういう事にしてやってもいいけど」  生意気な少年の言葉にかちんと来るも、正直霞との関係が見透かされていた事には少しどきりとした。  恐らくこの花撫という少年は前世の記憶として霞の視点での岳嗣を知っていたのだろう。つまり、逆に考えると霞は岳嗣が自身を恋愛対象として見ていた事に気づいていた、という可能性が高い訳で。  ただ実際にそうだとしても「やはりそうだったのか」と溜息が零れるだけだ。告白もせずに葬った想いだが、気づかれているだろうとは感じていたのだから。  霞は岳嗣の気持ちをきっと知った上で近くにいたし、目の前で他の男の肩を抱きもした。  けれどそれで構わなかった。身が裂かれるような想いなんて若い頃だけだ。『どんなに健気に尽くしてもキスさえしてもらえない』なんて少年は言うが、何も恋人にしてほしくて霞の傍にいた訳じゃない。  むしろ岳嗣はずっと霞の傍にいる為に、例え事故でも肉体関係を結ぶ事だけは避けた。自ら率先して友人であり続けたのだ。  それは綺麗なものでも何でもなく、自己満足に過ぎないただのエゴだった。  そんな付き合いだったから、霞を模した少年を差し出されたからといってそれを好機とは思わない。  ――の、だが。 「残念。ならしょうがないから他の人を当たるとするよ」  告げられた少年の言葉に、は、と擦れた声が落ちる。  ゆっくりと少年に視線を戻すと、彼は大きな群青の瞳を真っ直ぐ岳嗣へと向けていた。 「俺、セックスがしたいんだ。あんたならウィンウィンだし一番良いと思ったんだけど」  まあ、この顔なら相手には困らないよな。  そう軽い調子で宣う少年を見つめて岳嗣は思い切り眉を顰めた。 「自分が何言ってるか、分かってんのか」  少年の胸倉を乱暴に掴み、地の底から這い出したような低い声を絞り出す。  一瞬だけ苦しそうな顔をした少年は、それでもされるがままで抵抗する事なくどこか遠い目で岳嗣の顔を見上げた。 「夢を見た。何日も、何日も。夢の中で俺はいつも同じ人間だった。それは俺じゃないのに、考えている事が分かるんだ。夢の中で俺は金持ちの家の子で、男が好きで、……そいつが死んで、荒れて……綺麗な女の人と結婚して、それでも男と寝てた」  ――追体験。  その言葉が岳嗣の脳裏を過ぎった。 「最後にあんたの顔が見えて、夢から覚めた。その時はまだ変な夢としか思ってなかったけど、あんたや今日会った人達の顔見てあれが前世って奴なんだって納得したよ。まあ、前の俺はしょうもない男だったみたいだけどさ。途切れ途切れだったけどまるで俺が色んな人とヤったみたいで変な感じだった」  勿論感触とかはないんだけど、と訥々と零れる少年の言葉を聞いて岳嗣は額に手を当て項垂れた。  霞の爛れた交友関係を疑似体験させられるなんて性教育としてどうなんだ。あまりにもえぐい。  どこで覚えてきたんだと目を疑うキスや誘い方はそこに由来していたのだろう。それでも知識だけで留まっていたせいかその所作はどれもたどたどしさがあった。 「大体分かった。つまりお前は夢に当てられてムラムラしたからヤりたいと、男を抱いてみたいとそういう訳か? いや待てよ。お前さっき……」 「違う。俺は男に抱かれてみたいんだ」 「――……いやいや、何でそうなるんだ」  はあ、と大きな溜息が落ちる。訳が分からない。  すると少年は戸惑ったように視線を彷徨わせ躊躇いがちに唇を開いた。 「相手が気持ちよさそうにしてるから、どんな感じなんだろうってそっちの方が気になるんだよ」  何という事だ。この少年、八歳にしてすでにニッチな嗜好に目覚めそうになっている。 「だとしてもまだ早過ぎるだろ。お前まだガキなんだぞ? せめて中学生になってから、いやそれもアウトだが……」  恨むぞ霞さん。何て土産を残してしまったのか。  わしわしと頭を搔き回しているとぎしりとベッドが軋んだ。そしてベッドから降りた少年を何気なく目で追い、ぎょっとする。  少年は寝間着を脱ぎ始めていた。 「おい。何してんだ」 「見て分かんねえのかよ、着替えてんの。あんたと話してても埒が明かないからもう行く。あんたも適当に帰ってくれ」  雑にシャツを羽織りチェック模様のパンツにもそもそと足を通す少年の背中を有り得ないものを見るような目で見つめた。 「帰れ、だと?」  突然湧き上がる怒り。  戸惑いも呆れも通り越して強い憤りが全身を支配する。 「ふざけるなよ。散々振り回しておいて何の説明もなく出て行くだと?」 「それはあいつが勝手にした事であって俺は知らないし関係ない。あんたは俺の身体を乗っ取っていた『霞』に良いように使われてただけだ。夢だったとでも思えばいいじゃん」  乱暴に少年の腕を掴めば群青の瞳が煩わしそうに睨み上げてくる。離せよ、と暴れる少年を片手で制するのは簡単だ。  言動は支離滅裂で短絡的。何て滅茶苦茶で子供っぽい――なんて当然だ。  この少年は霞とは別人で、真実『子供』なのだから。 「夢な訳あるか馬鹿野郎。ガキがこんな夜中に出て行ってどうす――まさか、さっきの言葉本気なんじゃないだろうな」  掴んだ腕は細く未発達な身体は頼りない。シャツを羽織っただけで露になった首元は華奢で、薄い胸に乗った淡い桃色が焦らすように隙間から覗いている。 「だとしてもあんたにはもう関係ないだろ」  他人なんだから、と少年は冷ややかに答える。  世の中には色んな嗜好の人間がいる。少年が無防備に外を出歩けばどんな邪な人間に捕まるか分かったもんじゃない。 「自分を守る術も持たねえガキが、さぞかし平和に過ごしてきたんだろうが大人が皆優しいと思うなよ」  手酷く乱暴されるかもしれない。最悪手遅れになる可能性だって十分あるのに。  その危険性を少年は全く分かっていない。 「――分かった」  ぐい、と少年の腕を強く引っ張りベッドの上に放り投げる。そして自らもベッドに上がり少年の細い身体を組み敷いた。 「そんなに抱かれたいなら俺が抱いてやる」  岳嗣の影の下、大きく見開かれた瞳はまるで夜の海を映しているかのようだった。

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