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第11話 群青の彼方

 橙に絞られた灯りの中ゆらゆらと黒い影が伸びる。  ベッドの上では辛うじてシャツを羽織りボクサーパンツを身に着けただけの花撫が身を捩らせて弱々しい吐息を零していた。 「ぁっ……擽ったいって、そういうのいらな、んッ……」 「やることやるだけがセックスじゃないんだぞ、花撫。やめたいなら俺は全く構わんが」 「馬鹿言うな。これ位平気、だ」  薄らと瞳を濡らして声を震わせる少年を一瞥し、岳嗣はふっと苦笑いを浮かべる。  そうして再び唇を開くと、持ち上げた白磁のように白い脚を愛撫する。踝をなぞり、足の指の間に舌を這わせればびくりと少年の身体が震えた。  わざと音を立て少年の足の敏感な箇所を舐め啜れば、少年の口からは悲鳴のようなくぐもった甘い声が小さく零れる。  発しまい、聞かせまいと少年は自分の口を手で覆っているが、そうして必死に堪える姿は妙にそそられた。  生意気で憎たらしいし少年性愛や初物食いの趣味もないけれど、こうしているとその片鱗を理解出来そうな自分がいる。  身体の未発達な子供に手を出す罪悪感。まるで霞を相手にしているように感じてしまう岳嗣にとってそれは二重の重さを持つ。  それでも甘い背徳感と征服欲がじわじわと忍び寄っているのを感じた。慣れたように誘ってきた癖に、緊張や恐怖を押し隠して初心な反応を見せる様はぐっとくるものがある。  流石に理性を飛ばして夢中になるなんて事はあり得ないが、それでも少年には十分男を惑わす素質があると直感した。 (将来化けそうだな、こいつ)  初めこそ少年が擽ったがったりそっちから誘った割に喧嘩腰だったりでムードも何もなかったが、掌と唇で手足に愛撫をしていると次第に戸惑いの中に色づいた反応を見せるようになった。  余裕がないのか憎たらしい文句も少ない。早く諦めればいいのに、負けず嫌いなのか頑なにやめようとはしない。  先程少年を抱くとは言ったが、勿論最後までするつもりはなかった。少しだけ悪戯をして少年を怖がらせる事がこの行為の目的だ。  足を舐めるなんて気持ち悪い、やっぱりやめる。予定ではそう言わせるつもりだったのだが。 (最初は心底引いた顔してた癖に、辛抱強いというか頑固というか)  互いの為にあまり過激な事はしたくないのだが――。 「あんた、いつもこんな事してんの……? 変態?」 「一言余計。それよりさっきからあんたあんたって情緒のない奴だな。ベッドの中くらい名前で呼ぶもんだぜ」  少年の上に四つん這いになって覆い被さる。「なあ、花撫」と口角を上げ試すように顔を近づけると、少年は顔を背ける事なく視線だけを斜め右へやった後「分かった」と真っ直ぐに見つめ返してきた。 「じゃあ、『ガク』」  静かに息を呑む。  若かった頃の霞の姿が一瞬重なって見えた。  こうしている今だって少年に霞の面影を見なかった訳ではない。それはそうだろう、顔を見れば否が応でも思い出さざるを得ないのだから。  それでも少年の人柄があまりに霞からかけ離れているせいか霞とは別の人間だと割り切れてもいたのだ。  なのに。 「それはなし。ほら他にあるだろ、周藤さんとか岳嗣さんとか」  そう淡々と静かに紡ぐと、不審に思ったのか少年が怪訝そうに眉を顰めた。 「何それ。あいつにはガクって呼ばれてたんだろ? 何なら俺の事も『霞さん』って呼んでいいよ」  呆れた。  何を言い出すのかと思えば、この少年はまだ霞の身代わりをするつもりだったのか。 「まだ引っ張るのかそれ。お前俺を何だと思ってる訳? 大体誰かの代わりに抱かれるなんてお前が嫌な思いをするだけだ。そんな事二度と言うなよ」 「何怒ってんの? 意味分かんないし、俺の事勝手に決めつけんなよ……」  見るなと言うかのように少年の拗ねた顔を細い腕が覆う。  きっと本気でセックスがしたいだけではないのだろう。少年の言動すべてが本心とはとても思えないし実際嘘も混ざっているように見えた。  それなら、何故この少年は抱かれる事に固執しているのか。 「……花撫?」  その時、静か過ぎる事に違和感を覚えた。  異変に気付いて少年の腕をどかすと、彼はまるで気を失ったかのように力なく瞼を閉じている。 「花撫!」  再び名前を呼ぶと長い睫毛がふるりと揺れ、橙の灯りに混じった群青色が目の淵から覗く。  そうして少年はどこか辛そうに眉間に皺を寄せると、浅い吐息が唇から零れた。 「くそ……だめだ、まだ、」 「おい、大丈夫か?」  少年は呻くように声を震わせ、両手で髪を掻き乱し顔を覆う。  心配になった岳嗣が少年の腕を掴み退けさせて顔色を見ようとした時だった。悩まし気に眉根を寄せた大きい瞳と間近で視線が絡まる。  花撫、と紡ぐが先か、少年の両手が伸びるが先か。  乱暴に胸倉を掴まれ思わず体勢が崩れた。頭突きしそうになったところを何とか躱して両腕で支えるも、身体は密着しまるで抱き合っているかのような体勢になる。 「あっぶねえな、お前何……」 「俺には何もない」  肩の下で少年が額を押しつけ声を振り絞る。  全体重まではかけていないとはいえ少年を圧し潰してしまいそうで。身体を離そうと浮かすと、少年はそれを拒むように岳嗣の襟元を掴んで離さなかった。 「あいつは恵まれてたんじゃないか。何でも持ってる癖に不幸ぶって、あんなに優しくしてくれたのに、あんなに想ってくれたのに、あんたには何も返さなかった。あんたもあんただ、一発殴る位すればよかったんだ」  泣いているのか。  そう思う程、荒々しく言葉を捲し立てる少年の声は震えていた。 「もしかしてお前、俺に同情したか」  襟元を掴まれたまま横に身体を倒し、添い寝をするように少年の頭を優しく撫でる。柔らくて細い髪の毛が指に絡まり、はらりと静かに落ちた。 「俺に霞さんを抱かせようとしてくれたのか」  かつて、岳嗣はどうしようもない程強く霞に惹かれた。それ程顔に出ていたのだろうかと思うと苦々しい限りだが、そう言葉にしてもやはりそれを理由にするには無理があるのだろう。  岳嗣が今なお霞を想い続けている――と少年が思い違いをしているとしても、だからと言って自分を差し出す程の信頼と義理を得ているとは到底思えない。  すると答えるのを拒むように黙り込んでいた少年が唇を開き息を吸う気配を感じた。 「俺は、……俺は、白岡霞になりたかった」  少年の頭を撫でる手が思わず止まる。  そうっと上から少年の顔を覗き込むと、その睫毛が濡れているのが見えた。 「そしたら……そう、したら……」  声は次第に小さくなり途切れがちになる。岳嗣の襟元をきつく掴んでいた手もぱたりとシーツの上に落ち、薄らと濡れた目元はまるで泣き疲れた子供が眠りに落ちるかのようにとろりとしている。 「花撫……?」  先程まで顔を顰め喚いていたのが嘘のように少年は静かに横たわっている。  深い呼吸と共にゆっくりと揺れる身体。  眠ったのだろうかと見下ろしたその時、少年が甘えるように自分の顔を岳嗣の胸に押し当ててきた。 「たけつぐ」  舌足らずの声が岳嗣の耳に届く。 「おれを……」  その言葉は中途半端に投げ出されたまま行方を失う。安らかな寝息を立てる少年は年齢相応にとても幼く見えた。 「花撫……お前は、俺に何を伝えようとしたんだ」  少年の目元にかかった髪の毛を指先で絡め取りさらりと流す。  応える声はなかった。 「おはよう、周藤君」  ベッドから身体を起こした少年は気怠そうに目を擦る。  その瞳は青みがかった灰色に染まっていた。 「早いですね。……霞さん」  一月二十九日、日曜日、四時五十分。部屋の置時計が今日の日時を知らせる。  あれから寝る気になれず着替えを済ませて缶コーヒーを飲んでいた岳嗣は少年の早い起床を然程驚かなかった。  もし瞳の色が変わっていたなら、きっとそろそろ起きるだろうと予感していたからだ。それは霞が早起きだったからとか、そういう理由ではない。  岳嗣は、少年が起きるのを隣で待っていた。 「霞さん。花撫が言っていた『俺には何もない』ってどういう意味ですか」  寝癖でふわふわと髪の跳ねた少年はベッドから降りようとして一瞬だけその動きを止める。そして独り言のように「そうか」とぽつりと呟いた。 「あの子、君にそんな事話したんだ」 「……昨晩の事、貴方は知らないんですか?」 「花撫が戻っていたという事だけは分かるんだけどね。きっと僕に聞かれたくなかったんじゃないかな」  そう話しながら着替え始める少年に背を向ける。背後から衣擦れの音が微かに聞こえた。  閉じられたカーテンの奥からはしとしとと控えめな雨の音と匂い。  あの日も、こんな雨が降っていた。 「花撫はね、孤児なんだ。人付き合いが苦手で施設でも孤立していた」  背後から聞こえる声に、ぎゅっと心臓を掴まれたような衝動に襲われる。  もういいよ、と言われて振り返ると、少年は周藤が見立てた服を着て立っていた。 「教えてくれるんですね。秘密じゃなかったんですか?」 「分かってる癖に君も素直じゃないね。最後の役目くらいちゃんと果たすさ」  にやりと笑いながら皮肉を言う岳嗣に少年もまた目を細めて応じる。 (最後、ね)  霞と話すのは楽しい。腹が立つ事もあるし疲れる事もあるけれど、それでも愉快だと思える。不思議と心が軽くなる。  それは目の前の少年も同じで。 「貴方は何者なんですか」  口元から笑みを消し真っ直ぐに少年を見据える。  灰青の瞳と視線が絡まり、張り詰めた空気が辺りを包んだ。 「僕が何なのかなんて、正直僕が聞きたいくらいだよ」  でもね、と少年は自分の両手を見下ろして穏やかに微笑む。 「きっと僕は、花撫が今を生きる為に存在しているんだ」  一月二十九日。その数字が何を意味するのか、忘れた日は一日だってない。  今日は霞の命日。  霞が死んだ日だ。

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