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第3話 好きです。甘いの

 ちょっと、びっくりした。  だって、急すぎてびっくりする。 ――あれ? 充、帰らねぇの?  あと、今日、部活休みでよかった。益田にはなんで残っていくのか言わなかった。あの深見君からチョコをもらっただけでも騒ぐあいつのことだから、なんかまたうるさそうだなって。  部活もクラスも一緒だから、バスケが休みの日は一緒に帰りながら駅前をぶらつくのが当たり前だったから、今日はまだ帰らないって言うと少し驚いてた。 ――あー、うん、ちょっと、図書室で本借りて行こうかなって。  委員っていうと、今度は小坂さんが一緒じゃないことをつっこまれそうだから、そのくらいしか言い訳が見つからなかったけど。っていうか、言い訳って、なんだよ。別に今日はまだ帰らないから別々にって言えばいいじゃんか。 「ごめん! 待った?」  ガラガラって、放課後だと急に大きく聞こえる音を立てて教室の戸が開いて、キャラメル色の髪がそこから出てきた。 「あ、いや、大丈夫」 「そ? ごめん。さっき隣のクラスの子に呼び止められてさ」  きっと、捕まった、って言葉のほうがしっくり来るんだろうな。肩で息をしている姿がそう物語っている。教室を出ようと思ったら女子に声をかけられ、そのまま会話は続いて、「それじゃあ」っていうタイミングを逃しまくって、ようやく解放された瞬間ダッシュしたって、乱れた呼吸が教えてくれる。 「はい。辞書、助かった」  少し重たい辞書。今だったらスマホとかで一発で調べられるけど、英語の先生はそれを許可しないから、分厚くて重い辞書をわざわざ使わないといけない。つまり、家では使わないアナログツール。 「あ、うん」  だから、これをどうしても今返してもらわないといけないわけじゃなく、あの、マジで、これだけのために待たされてたんなら、別に明日でもよかったんだけど。 「……」 「……」  ズシッと掌に乗っかった辞書をお互いに眺めている。辞書だって困ってそうな、そんな微妙な空気が漂う沈黙があって、どうしたらいいんだろうって、今のこの間は何待ちなんだろうって。 「……? あ……の、深、見?」  一瞬、青君って言いかけてしまった。もう俺は宇野で、青君のことは深見って呼ぶような関係になったのに、なんだろう、この空間。  同じ歳なのに、ほんの少し青君の背が少しだけ高くて、チラッと見上げることになる。なんで、まだ教室に? と思いながら視線を上へと向けたら、ばっちりこっちを見つめてる青君と目が合って、また、びっくりした。  びっくりしすぎて、心臓がなんか忙しそうに動いていた。  保育園の頃は普通だった。小学校も、たぶん、普通。でも、もうその頃には少し距離があったから、わかっているようなわかっていないような。  青君がモテている! って、認識したのは中学の時だった。今でこそ、少し皆よりも背が大きいくらいに収まったけど、中学の時は群を抜いて背が高くて、背が高いから、頭ひとつ、顔ひとつ分、周囲よりも飛び抜けていた青君は全体朝礼とか、体育館に集合する時にすごく目立っていた。そして、そんな青君を見つめる女子が多いことに、ふと気が付いた。  あれは寒い日の朝礼だったと思う。寒い寒いって、皆が縮こまっているせいで、その日は一段と目立っていた青君を見て、カッコいいなぁって漠然と思ったのを覚えている。ずっと隣にいたから、青君はただの青君で、それ以上でもそれ以下でもなくて、カッコいいとか考えるよりも早く、俺の中に馴染んでしまっていたから。 「一緒に、帰らない?」 「へ? あ、うん」  でも、いつしか開いてしまった距離が客観的に青君を見せてくれたっていうか、その時、青君が自分の中にはいなくて、外にいて、他人だと実感できた。 「チョコ、どうだった?」  話しかけられて、自分が青君をガン見していたことに気が付く。なんでか一緒に帰ることになった帰り道、電車の中で揺られながら、青君の横顔を見ながら、そりゃモテるだろうなぁ、カッコいい、なんて眺めてた。 女子にならまだしも、男子に見つめられたって、カッコいいなぁって感心されたった嬉しいわけがないと慌てて視線を外し、今朝も読んだ中吊り広告を読んでるフリをする。  どこをどうしてこうなったんだろう。辞書を貸してあげて、それが返って来て、さぁ一緒に帰ろうって、さ。たしかに家は同じ商店街にあるけれど、帰り道、どうしたって一緒になってしまうけれど、でも、今まで一度だって一緒に帰ったことないから戸惑ってしまう。急すぎて驚いてしまう。 「食べた?」 「あ、うん」  プシュッと空気が抜ける音を立てて開いたドア。ふたりで電車から降りると、駅の構内を冷たい風がちょうど通り抜けて、車内のエアコンで温まりきっていた俺らは少しだけ身を縮ませてしまう。  本当は、チョコ、まだ、ひとつしか食べてない。あまりに艶めいて綺麗だから、いっぺんに食べてしまうのが勿体無いと思ったんだ。 「食べた、美味しかった、すごく」 「マジで? やった! っていうか、なんで片言?」  そりゃ、片言くらいなるよ。だって、なんか、どうしてなのか、青君と一緒に帰ってるんだから。 「テンパリング、上手だなぁって」 「そこ? そこに注目? っていうか、そういうとこ、変わらないね。チョコとか洋菓子のほうがやっぱまだ好き?」  学校一のモテ男子と一緒に今帰ってる。 「うん。好き、だよ」  でも、並んで帰ってきたら、たかが三十分くらいの帰り道で、なんでだろう、青君だなぁって思った。 「深見、は、今も和菓子、が」  あの頃とじゃ背も、顔つきだって違うのに、どんどん距離が縮まっていって遠くにいる「モテ男子の深見青葉君」じゃなくなって、俺のよく知っている「餡子が大好きな青君」に見えてきた。  でも、やっぱ、深見って呼ぶべきなんだよな。青君も俺のこと宇野って呼んでたし。 「うん、すっげぇ、好き」  くしゃって、すごく懐かしい笑顔だ。 「すげぇ、好き」 「二度言うくらい?」 「だって、美味くない? 断然、餡子でしょ」  餡子への愛の告白を熱弁してる。昔から餡子が好きで、うちの和菓子をあげるとめちゃくちゃ喜んでたっけ。 ――おまんじゅうだぁ! ――あげる。 ――いいの?  頬真っ赤にして、茶色の瞳をキラキラ輝かせて、本当に嬉しそうに頬張るから、見てるこっちもすごく嬉しくなったんだ。 ――ありがとう! みっちゃん!  もう、青君とみっちゃん、って呼ばないよな、さすがに。  そう呼び合ってた頃は、よくお互いの家のことを羨ましがっていた。俺は洋菓子のほうが好きで、青君は和菓子のほうが好きだから、家を交換できたらいいのにっていつもふたりで溜め息ついてさ。あぁ、うらやましいなぁ、餡子が毎日食べられるなんて。そっちこと羨ましいよ。毎日ケーキを食べられるなんて、って嘆いたりして。挙句の果てには、おかしなことを思いついたっけ。 「覚えてる? 俺さ、餡子が毎日食べたくて、いいこと思いついたって」  そう、青君が言いかけた時だった。 「あ! 深見君だぁ!」  前方から可愛い女子の声が聞こえ、視線をそっちへ向けると、手を振って、青君を呼んでいる同じ制服の女子が三人、FUKAMIの前にいる。たぶん、ケーキを買いに来たんだ。 「お客さんみたいだよ」 「あ、ちょ、えっと、待って、連絡先」 「え?」 「連絡先、教えて! ラインとか、登録してる?」  また、びっくりした。 「ふーかーみーくーんっ!」 「これ、俺の」  向こうでずっと青君のことを呼んでいて、ケーキ屋さんの息子である青君はすごく慌てながら、俺に連絡先を教えてくれて。 「それじゃ! またね!」  連絡先教えてから、急いで駆けていく姿はモテ男子っていうか。 ――あ、みっちゃん! おまんじゅうのおかえし! パウンドケーキ! 食べるっ?  俺のよく知っている青君にしか見えなくて、懐かしくて、びっくりした。遠くにいた時はモテ男子の深見君って思っていた人が、こんなに近くに来たら、ただの青君でしかなくて、不思議だった。

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