4 / 123
第4話 彗星が急接近しました。
「『今年、彗星が急接近します』これを英訳してもらうぞぉ」
英語担任の言葉に皆がさりげなく下を向く。
急接近、かぁ。
「……」
ぼんやりとその単語を頭の中に置きながら、視線を窓の外に向けたら、青君が走ってるのが見えた。持久走みたいだ。ってことはうちのクラスも明日体育あるけど、持久走ってことだよな。あー、ちょっとイヤかも。苦手かも。バスケでも体力つけるために体育館の中だったり、グラウンドだったりをただ走るのが苦手で、少し憂鬱になる。
青いジャージを着て、まだ走り始めたばかりなのか少し寒そうに肩を縮めて、ジャージの袖を萌え袖どころか手ごと丸々隠したまま走ってる。
俺と青君こそ、本当に急接近だろ。
今まで挨拶だって交わさなかったのに、昨日、辞書貸して、一緒に帰って、懐かしい子どもの頃のこととか話して、そして、夜、ラインが来た。
――今度の部活でお菓子作るんだ。やっぱ、和菓子は人気ないよ~。洋菓子に決定してしまった(しょんぼりのスタンプ)
青君ってスタンプ使うんだな、とか、クッキング部は皆で何を作るのか決めるんだなとか、あと、なんで急に俺に話しかけてみようって思ったんだろう、とか。
急接近。
この小テスト、青君も昨日やったのかなぁとか。
「……」
そんなことを考えながら、また視線を窓の向こうへと移したら、外で青君がなぜか、いきなりすっごい大爆笑してた。もうほぼ走ってなんかいなくて、グランドの楕円の上を数人でワラワラと集まって話して、お腹抱えて笑いながら歩いている。
男子とも仲良しって、すごくない? 女子にモテるんだから、少なからず妬まれそうなのに、青君に限っては男子にも人気があった。そういうのって本当に良い奴じゃなくちゃ無理だよな。そして、青君はそんな本当に良い奴で、友達も多くてさ。
「なんで、急接近……」
「さぁ、どうしてだろうな。とりあえず黒板のほうを見て考えてもらえるか? 宇野」
「!」
気が付くと思いきり窓のほうへと顔を向けていた俺の隣に英語の担任が立ってて、ニコッと笑いながら、「急接近」の一文が書かれた俺の教科書を指でトントンと指し示していた。
「今日、珍しく余所見してたね」
小坂さんが珍しく声をひそめてる。図書室で委員の仕事をしている最中、ぼそっと言われてしまった。
「あー、うん」
今日は図書委員の仕事当番で、あと、十五分はここで仕事をしないといけない。で、終わったら、バスケ部に合流するべく急がないと。
仕事っていってもたいそうなことはしない。図書室のカウンター内で貸し出しをお願いしてくる生徒に貸し出し印と貸し出しカードを手渡すだけの簡単なお仕事。でもそれが放課後定期的に回ってくるから、数ある委員会の中でも図書はあまり人気がない。放課後の一時間だとしても費やさないといけないのはたしかに面倒だ。
「すみません、これ、貸してください」
「!」
最初に驚いたのは小坂さんだった。そして、次に顔を上げて目を見開いたのは、俺。
「あ、深見」
「図書委員? やってるんだ」
『今年、彗星が急接近します』
ニコッと笑った青君が青い彗星だとしたら、俺って、地球?
「あ、うん、これ、借りるの?」
「うん、今度、それ作ろうかなって」
普通の料理本だった。なんか、お菓子ばっかり作ってるのかと、今度はパウンドケーキって言ってたし。
「宇野、何か食べたいものとかある?」
「へ? お、俺?」
俺の意見聞いてどうすんの? 俺はクッキング部じゃないから、食べられないんだけど。あと、今、ものすごく隣で小坂さんが慌てているのが視界の端に写ってるんだけど。口をぱかっと開けて、俺たちの会話を凝視している。もう、本当に絵に描いたように驚いてる。
「肉まんとか、好き? そしたら、宇野も食べられるよね」
「え? 肉まん?」
「うん。あ、ピザまんとかがいい?」
「あ、いや、あんまん、っていうかと」
「あははは、ぁ、ごめん、うるさいね」
笑い声あげたしまったことに肩を竦めて謝ると、コソコソ内緒話の声で、あんまんは自分用に作るとして、餡のきらいな俺には何がいいか迷うんだって眉をひそめて難しい顔をした。
その表情を痛いくらいに見つめている横からの視線に、青君が名前を知らなかったんだろう、言いよどんで止まっているから、彼女の名前を教えてあげた。
「何かリクエストあったら」
「え? いいの? 私も?」
「うん、どうぞどうぞ」
なんだっけ。青君が部活で作ったものをもらえたら、女子の視線に呪い殺されるんだっけ? でも、小坂さんはどんなに痛くてもかまわないって、身悶えてたから、いいのか。肉まんひとつで呪われるかもしれなくても。
一生懸命考えた結果、カレーマンでお願いしますって、けっこうしっかり自分のリクエストを考えていた。
「宇野は部活、今日あるの?」
「あ、うん、あるけど」
「俺もある。言ってたパウンドケーキ」
『今年、彗星が急接近します』
「取っとくよ」
謎の急接近はまた一歩、その距離を縮めてしまって、謎を解明する暇もなかった。
その後は隣でずっとテンションの高い小坂さんの声のボリュームに気をつけつつ、委員の仕事をこなして、急いで部活に参加した。ラッキーなことに練習の最初、ウオーミングアップにマラソンが入っていたらしい。益田がずるいって騒いでた。
「なぁ、充、もう少し速攻のバリエーション増やしたくねぇ?」
「んー……そう?」
「なんかねぇかなぁ」
もうすぐで三年になる。進路のこともあるから、夏には全員引退だ。その前に少しくらいは大会で良い成績を残したいし、もう引退したら受験だ就職だって、バスケなんてろくにできなくなるから。
ふたりで、速攻のアレンジを考えながら、下駄箱で靴を履いて、外に出て、もうすっかり夜空には星があるのを確認して。
『今年、彗星が急接近します』
「あ、そうだ。こんなのどう? まず、ガードのお前に出すだろ? そんで」
「……ごめん、益田」
「あ?」
「先に帰ってていいよ」
青い彗星を発見した。
「え? 充?」
走って、中庭の小高い丘の上にあるベンチへ。
「深見!」
いや、これはたしかにモテると思うよ。
「……部活、お疲れ」
だって、ベンチに座って夜空を見上げる横顔に俺も少しばかりドキドキしたんだ。きっと、いきなり走ったからだろうけど、でも、たしかに心臓が忙しそうに動いていた。
ともだちにシェアしよう!