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第5話 彗星が急接近しました。その2

 急接近してきた彗星は只今隣に並んでおります――なんちゃって。 「あ、おしるこあったよ」 「え? マジで?」  青君の表情がパッと明るくなった。急にミルクチョコレートが蕩けたみたいに瞳を輝かせて、頬のところもほんのり色を塗ったみたいにピンクにして、コンビニのホットコーナーにあった「おしるこ」に大喜びしている。 「買う!」 「え? パウンドケーキ食べるのに?」 「え、ダメ?」  ダメじゃないけど、甘いものに甘いものを、ってけっこうすごくないか? 小さい頃から青君が甘党なのは知ってたけどさ。そういうとこ変わってないんだな。  おしるこの缶を棚からひとつ取る指先も手も骨っぽくなって大きくて、子どもの頃とは全然違うのに。 「買わないの?」 「へ? あ、うん、買う」 「お茶? 渋くない?」 「渋くないよ、ぁ」  青君が甘党すぎるんだろって言いかけて、急いで飲み込んだ。青君って呼べないけど、でも、深見って呼ぶのも慣れてなくて言いにくい。だからできるだけ会話の中で青君の名前を呼ばないようにしている。  クッキング部で作ってくれたパウンドケーキを一緒に公園で食べようってことになった。桜には早い時期だけど、近くに梅の木が並んでいる公園があるから、そこでお花見しながらって。寒いけど、でも、俺はそのお花見が懐かしかったから思わず頷いてた。  パウンドケーキにお花見、青君はきっと覚えてない。  俺は洋菓子をあまり食べる機会がないから、保育園でお花見遠足をした時、もって来てくれたんだ。お弁当を持ってきなさいって言われていたのに、青君が大きいお弁当箱にぎっしり入れてきたのは、チョコチップがたっぷり入ったカップケーキ。 ――いっぱい食べなよ。  そう言って目をキラキラ輝かせていたように記憶している。たぶん、遠足のワクワクと、目の前にある山盛りのカップケーキにテンションが上がって俺には青君の表情が輝いて見ていたのかもしれない。とにかく、そんなお花見をふと思い出したんだ。  ふたりで学校を出て色々話しながら、寒いからコンビニで温かい飲み物を、俺はただの緑茶ホットを、青君はおしるこの缶を握り締めている。 「あ、俺、おごるよ」 「え? 悪いよ」  レジに先に並んだ青君に慌てて横から割り込んで、同じ会計にしてもらおうとお茶を並べた。 「いいから」  パウンドケーキ作ってもらったじゃん。そのお礼だって、お財布をどっちが早く店員に見せるか競争みたいに慌てて、先に会計を済ませてしまった。それをじっと横で見つめる青君と目が合って、ちょっとびっくりした。背、伸びたなぁって。身長差でいったらそんなでもないかもしれないけど、大昔は全く同じだった視線はほんの少しそん角度が変わるだけでも落ち着かない。 「チョコだってもらったし」 「……あれは」  あれはもこれはもない。あのチョコが普通の板チョコじゃないのくらい、和菓子屋の息子にだってわかるよ。風味の深さが全然違うんだ。チョコっていうかショコラって言う名前のほうがしっくりくる。上品で、濃厚で、口の含んだ瞬間甘くほろ苦い香りに包まれる。そんなショコラ。  会計を済ませて外に出ると、一回、空調の整ったコンビニで温まったせいか、思わず肩を竦めてしまう。 「寒い? みっちゃん、ほら、俺のマフラーで」 「平気平気! ほら、行こう」  まさかマフラーを貸してくれようとするなんて思ってもいなくて、自分が寒いからしてきたんだろうし、モテ男子となった青君のマフラーを奪って風邪でも引かせたら、女子の視線がかなり突き刺さるだろうから、慌てて断って、二歩三歩、駆け足で先を急がせた。そして、ふと、隣を並んで歩くローファーに視線がいった。 「……足、早くなったな」 「俺? そう?」  うん。すごく速くなった。  前は、保育園にいってた頃は俺のほうが早くて、いつだって先を歩いていた。その斜め後ろに青君がいて、チラッと後ろに視線を送る度にニコッて笑ってくれたのを今でもはっきり思い出す。  もう背が高くなった青君は比例するように一歩の幅も伸びたのか、後ろにいることはない。 「チョコ……宇野は、さ」  今も普通に横に並んでいる。 「誰かから、もらった?」 「? もらったよ」 「えっ!」 「え……そんなに意外?」  そんなに驚くか? けっこう失礼だろ、そのリアクション。 「友チョコだけど」  しかも、二十円のチョコだけど。あんなショコラって感じの、すごいチョコはもらってないけど。 「ぁ、そっかぁ」  けっこうどころじゃなく、今のは確実に失礼なリアクションだった。びっくりしたかと思ったら、なんだ、って、安堵したような顔。どうせ俺は一般男子高校生だよ。青君みたいなモテ男子はチョコのこともあまり気にしてないんだろ。その日以外にだって普通に女子から告白とかされるんだろうし。  モテ男子だもんな。廃部寸前だったクッキング部への入部の倍率をグンと上げて、作った料理は皆が目をハートにしてほしがる一品で、女子の人気総なめで、それで――なんてあまりにも自分のいる環境との違いに、内心がっかりしていたら、ほわりと甘い梅の香りが鼻先を掠めた。 「うわぁ……」  紅、ピンク、白、見事なしだれ梅が咲き誇っていた。その枝先が風にユラユラ揺れる度に見えないけれど、確かに甘い梅の香りが公園いっぱいに広がっていく。  夜って、花の匂いが強くなるのかな。  それとも周りが静かになるから、匂いが目立っているだけ?  白いのも紅色のも、どちらもとても綺麗だった。色の違う枝先が風に踊るように揺れて、思わず手を伸ばして触れて花を近くで見てみたくなってしまう。 「なんか、こういうの、ちょっと懐かしい」 「梅が?」 「そっちじゃなくて、前にさ、チョコチップがぎっしり入ったカップケーキを青く、ん」  恥ずかしい。梅に見惚れて頭の中で呼んでいるまんまで言ってしまった。 「アハハ、大昔の、ほら、保育園で」  笑って誤魔化したけど、顔、熱い。青君って、高校二年にもなって呼びそうになって、俺しか覚えてないだろう思い出を思い出したりして、ちょっと懐かしいって嬉しくなって、隣にいる青君はもうそんなの忘れてるのに、恥ずかしい。 「宇野……」 「うん、もう大昔すぎて俺もあんま覚えてないけどさ」  だから、言い訳してみた。ちゃんと覚えてるけど、覚えてないフリをしてみた。俺だけ覚えてるのは恥ずかしいし、寂しいから。 「じゃなくて」 「え?」  覚えてないだろうなぁって。こんなふうに話したこと自体がもう何年ぶり? 年長以来だから十年以上ぶり? でも、だからって俺ひとり、ちょっとテンション高すぎるよな。 「宇野じゃなくて! みっちゃん」  俺一人盛り上がってて、恥ずかしいから、忘れたフリを。 「みっちゃん」 「ぁ……」 「みっちゃん!」 「は、ぃ……ぁ、青、く……ん」  フリをしてしまおうと思った。 「青、くん」  昔みたいに呼んだら返事をしてくれる青君という彗星が本当に急接近してきた気がした。

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