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第8話 イヤホンはんぶんこ、の答え
好きな人いる?
そう訊かれて、少し止まってしまった。益田たちとそういう話をしたことはあるけれど、いつだって騒がしく「いんのかよ」みたいなノリで訊かれることが多かったから、あんなに静かに、ゆっくりと尋ねられて、ドキッとしてしまった。
好きな人、今はいない。
好きな女子はいたけど、告白とかまではいけなくて、いいなぁ、とか思っているうちに「好き」って気持ちどころか、いいなぁって思ったことすらふわりと消えてしまって、どこにも見当たらなくなった。
だから、もしかしたら、好きってなんなのか、よくわかってないのかもしれないって、青君に訊かれた時、ふと考えてみたりして。
――そうなんだぁ。
青君は確かめるように俺を覗き込んでいた。そして、首を横に振ると、なんか、不思議な表情をしていた。寂しそうな、でも、少しだけ笑っているようにも見えた。光の加減なのかもしれない、調理室いっぱいに降り注ぐ日差しのせいでできた影が青君の表情を寂しそうにさせたのかもしれないし、笑ったように見えたのかもしれない。
もう五歳だった頃とは全然違う表情に、俺はしばらく見惚れてしまっていた。
今思えば、何か話したかったのかもしれない。青君っていつもはよく笑うし、よく話すし、よく泣くんだけど、たまに、急に何も話さなくなるから。大事なことほど、言いたいことほど言わずにいることがあったりするから、ちょっと、失敗した。
「な、なぁ、充、益田、どーしたん?」
「……何が?」
バスケの練習中、明らかにしょぼくれたでかい背中をチームメイトが指差している。
「さぁ」
「ちょ、お前、声かけてこいよ」
「はぁ? なんで、俺が」
「益田がへこんでると気持ち悪いんだって」
昼間のことを気にしてへこんでいる。いつもうるさいくらいに能天気だから、あんなふうに落ち込まれると落差がひどすぎて気になる。大きいのがジメジメシクシクしているっていうのは視界の端だろうとも、なかなかに邪魔くさく感じる。
「益田!」
「……」
振り返った顔の額のところに大きく「俺はへこんでいます」って描かれている気がした。
「パス練しよう」
「!」
「もう、気にしてないから。幼馴染だけど、しばらく疎遠だっただけ。だから変に茶化すなよな。ほら、パス練」
たった一言、それを言っただけで復活する程度の浅いへこみ方なのに大袈裟なんだよ。ボールを軽く投げて渡すと、パッと立ち上がり、俺よりもひと回り以上大きな手でボールを軽々キャッチした。しかも片手だ。ちょっとうらやましいから、益田が投げて戻したボールを今度はかなり強めに投げて、両手で取らせようとした。もちろん、センターポジションのレギュラーである益田はそのボールさえ片手でキャッチして、にこやかに真っ直ぐ俺へとパスをする。
青君もあのくらいわかりやすかったらいいのに。相談したいことがあるんなら、俺は全然別に――
「……」
好きな人いる? って、訊いたあのタイミングで、話したいことなんて、ひとつしかない。
青君って、好きな人が、いる……のかもしれない。
「充!」
「!」
一瞬、集中してなかった。
「っっっ、てぇっ……っ」
名前を呼ばれてハッとした時にはもう目の前にボールが飛んできていて、咄嗟に手を出してボールを払いのけようとしてしまった。
ボールに触れたと同時くらいに、瞬間的なことだから見てはいないけれど、ぐにゃりとおかしな方向へ曲がった気がする親指。
「充! 大丈夫か?」
「い、たい……突き指したっぽい」
ぎゅっと手で親指の付け根を握り締めているけれど、ズキズキと痛みは増していく。心配そうな益田にちょっと冷やしてくるって告げて、バッシュを脱いで、上履きのサンダルに履き替えて、一番近い水道へ。
もう校舎には誰もいなかった。部活動であっちこっちの特別教室には明かりが灯っているけど、普通の教室には誰もいなかった。
俺が指を冷やすために出しっぱなしにしている水の音だけ。
いつも人がいて、騒がしい場所が静まり返っていると変な感じがする。
ボーっとしてた。いや、ボーっと、じゃないのか。青君のことを考えてて、ボールを見てなかった。思いっきり顔面ストライクもいやだけど、親指捻挫もいやだな。っていうか、けっこう腫れるかもしれない。軽い突き指ならしょっちゅうだけど、これはちょっと痛みがひどい。
「……」
青君のことを、考えていた。好きな人がいるのかなって。だから、あんな突然、俺に訊いたのかなって。
いるだろ。もう高校二年だし、好きな子どころか、彼女だっているかもしれない。
うっかりしてると忘れそうになるけど、青君はもう俺の幼馴染だった頃の青君とは違う。モテ男子で、女子人気がすごくて、廊下に出てふたりで話している時は別に気にならないけれど、俺を呼びにうちの教室へ顔を出した瞬間とかさ、けっこう女子の反応がすごいんだ。小坂さんなんて俺の肩をバンバン叩くくらいの大興奮で、他の子も、たしかに目を輝かせてる、と思う。
そんな青君の彼女になりたい子はたくさんいるだろ。きっと告白してくる子の中には好みの子だっているだろうし。
好みの子に告られたら、OKするのかな。
「……」
どうなんだろうって思いながら、ズキズキしている親指ばっかり見ていたら痛みが増したように感じて、気を紛らわせるために前を見た。ちょうど窓のところから校舎と体育館を繋ぐ廊下があって、もう日の暮れた、夜と同じ空間を青君が歩いていた。
「……ぁ」
そして、その隣に女の子が並んでいた。
長めの髪を緩くまとめて、雑誌とかに載ってそうな女子が笑って、青君を見上げている。ここからじゃ声は聞こえないけれど、その女子の口が少し動いて、そしたら、今度は青君が笑って、何かを話して、また、女子が。
「……」
楽しそうに話してた。それを俺は校舎の中から見つめている。
なんだろう、これ。
「……っ」
ズキズキした。痛くて、痛くて、熱が出た気がする。ジンジンと脈打つ度に痺れるように痛む。
心臓が、痛かった。
けっこう重症っぽいと思った親指の捻挫の痛みなんて消し飛ぶくらいに、胸のところが痛くて、潰れるかもって思えるほど。
「何……これ」
イヤホンはんぶんこ、そんなの益田となんてしたいと思わない。もしもあいつがこの曲カッコよくない? って、片方だけ差し出してきたら、もう片方も寄越せって言っていた。
お昼休みの度に顔を出してくれる青君を嬉しいと思った。廊下は教室に比べたら寒いのに、そんなのちっとも気にならなくて、チャイムが鳴るまで俺は青君と話すことが楽しくて、チャイムが鳴っても、まだ話したくて。
「これ……」
今日のお昼に、青君が相談したかったことってなんだろう。俺に好きな人がいるって答えたらさ、俺も、って言って、話を切り出していたのだろうか。
俺も好きな子がいるんだ。
そう言って、相談しようとしたかな。
「……」
その相談したい相手は、今、一緒に並んで歩いていたあの子なのかな。
そう思いながら、ふたりの背中を見ていたら、なんか感覚がなくなるほど冷たくなっていく指先より、折れてるんじゃないかってくらいにズキズキする親指の付け根より、胸のところが苦しくて、痛かった。
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