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第13話 マフラーは温かくて、お饅頭は上出来で

 結局、角を潰してしまった箱を買った。内側から手で押せば大丈夫だろうし、友チョコのお返しでそこまで力入れることはないだろうなって。 「……」  俺のは、友チョコ。  あの子、同じクッキング部の女子、あの子にもあげたのかな。チョコを青君に。それで、ふたりで明日ホワイトデーだからって何かお返しを選びに来た、とか? 違うって、好きとかじゃないって言ってたけど、さ。  そもそも、青君の、あの友チョコは一体何人が食べたんだろう。その中に、青君の本命がいたりはしないんだろうか。そもそも、青君って、本命いるのかな。 ――みっちゃんって好きな人、いる?  前にそんなことを訊かれた。そういう話題を出すってことは青君にもそういう人がいるのかもしれない。 「……」  なんか、ひとつ溜め息が零れて、それを誤魔化すみたいに鼻先までマフラーの中に隠す。  黄土色? なのかな。青君のマフラーは落ち着いた黄色のタータンチェックで、それがあのキャラメル色の髪にすごく似合ってた。センス、いいんだろうな。髪の色も、髪型も、私服だってきっとカッコいいんだろう。だって、モテ男子だし。  スン――って、鼻を鳴らす。  青君の匂い……なのかな。香水でもなく、整髪料でも、シャンプーでもない、青君の匂いがした。ちょっと懐かしいのは、うちに遊びに行った時にも同じ匂いを感じてたから。だから、すごく落ち着く。 「明日、返さないと」  そう呟いた声がマフラーの中に吸い込まれていく。  今から洗えば乾くかな。っていうか、これ、なんで貸してくれたんだろう。そりゃこの前の梅を見に行った時は寒かったけど、でも、さっきは店の中だし、マフラーいらないくらいに空調効いてたし。首のところにぐるぐる巻きにされて、ちょっと怒ったような顔で「いいから! してて!」って言われた。 「なんで?」  なんでって、そんなの、さっぱりわからない。自分で訊いて自分で答えて、そしてわけがわからないけど、でも、マフラーは温かかった。お店の中は暑いくらいだったけど、外に出れば、ちょっと肩を竦めて、少しでも風に当たる面積を減らしたいくらいの寒さだった。  青君は……寒くなかったんだろうか。  マフラーひとつでこんなにあったかくて、こんなに心地良いのに、それを取ってしまったら、きっと寒くて仕方がなかっただろう。  その時、ぽっと浮かんだ、青君の隣からこっちを覗き込むように首を傾げいていた女子。サラサラな髪が綺麗で、顔だって可愛くて、青君の隣がよく似合っていた。この黄土色のマフラーみたいに青君にぴったりと。 「……」  あの子と一緒にいる青君の首元にはこのマフラーはいらないのかもしれない、そう思いながら、触り心地のいいマフラーを指先で何度か撫でてから、なんか急に冷え込んだ気がして、顔を半分くらいまで埋める。  帰ってから、明日、青君に渡す饅頭を作らないといけないから、急がないと。  このマフラーみたいに、饅頭もいらないのかもしれないけれど、でも、大好物の餡子だから少しは喜んでくれるかもしれないって。友チョコと、あと、いつもクッキング部で作ってるお菓子をくれるお返しにでもなればいいじゃん。それで充分だろ。  それでいいのに、何度も思い出してしまいそうになる、あの瞬間、こっちを覗き込んでいた彼女の表情を振り払うように早く歩いていた。 「お母さん、これ、マフラーって手洗い?」 「そのほうがいいんじゃない? って、あんた、手洗いなんてしたことあるの? それを洗うの?」  俺が手に持っているのを見て、一度だってしたことのない手洗いをしようとしている俺にびっくりしている。  頷いて、借り物だから縮めわけにはいかないんだって言うと、ニコッと笑って、手洗い用の洗剤を出してくれた。揉み洗いをするんだそうだ。最近は空気が乾燥してるから、きっと一晩で乾くはずだって言われてホッとした。明日、お返しの饅頭を渡す時に声を掛けるきっかけっていうか、タイミングをこのマフラーで作れたらって思ってたから。 「あ、あと、お母さん、これ、あげる」  「あら、お饅頭のお裾分け?」  タッパに入れたのは余った生地と餡子で作った、お饅頭。この中で一番形も艶もある、美味しそうなのをふたつ、すでに確保して、今日買った箱に入れてある。。 「うん」 「黒糖と白、両方作ったのね。どっちかだけにするんだと思ったけど。ずいぶん頑張ったのね」 「……うん」  別に頑張ってない。友チョコのお返しは普通頑張らないだろ。ただ、俺の好きなチョコレートだったから。とても丁寧にテンパリングしてあって綺麗だったから、だから、青君の好きなお饅頭を作ってあげたかったんだ。本当に。 「ただそれだけ」 「? 何が?」  つい口から零れ出した一言を母さんが聞き逃さず、青君の好きな黒糖饅頭のほうをぱくりと食べた。青君はうちの店の黒糖饅頭が世界一美味しいお饅頭だと思うって、小さい頃よく言っていたから作ってみたんだ。でも、黒糖だけじゃ、ホワイトデーっぽくないから、白いのも作りたくて。材料は少なめにしたけれど、それでもやっぱり余ってしまった分は家にいる母さんとばあちゃんにお裾分けした。 「あら、美味しいじゃない」 「ホント?」 「えぇ、これ、おばあちゃんも喜ぶわよ」  よかった。それなら上出来だ。そして、青君もたぶん喜んでくれる……と思う。 「充? どうかした?」 「! う、ううんっ、別に」  またチラッと見えた女子の面影を頭上から聞こえてきた声に掻き消してもらった。 「これ、誰にあげるの?」 「へ?」  母さんがニヤニヤしている。今日はホワイトデー前日。そりゃどんな人だって察しがつくかもしれない。ただ、相手が青君ってことまではきっと絶対にわからないだろうけれど。 「いいでしょ」 「もらった人、嬉しいわよぉ。美味しいもの」 「……そうだといいけど」  あの子は、あのクッキング部の子は甘い甘い和菓子を食べないかもしれない。勝手な憶測だけれど、でも、洋菓子のほうが好きなんだろうなって思った。くるっと毛先が丸まったボブは可愛くて、ケーキ屋さんの甘くてポップな雰囲気のほうがとてもよくマッチしていると思う。  水の中にお洒落着用の洗剤を入れて、よく掻き混ぜてから、そこにマフラーを投入する。濡れる前はフワフワサラリとした感触だった。水に濡れたら、フワフワはしているけれど、どこかしっとりとしていて、指に毛先が絡まる感じ。 「冷たい……」  なんだろう。  さっきからずっと気分が斜め下を向いている。お饅頭を失敗したわけでもないのに、角の潰れた箱は指で押し戻してしまえば全然気づかれないくらいに直せたのに。 ――もらった人、嬉しいわよぉ。美味しいもの。  そうかな。そうだったらいいけれど、でもさ、きっと。 「……」  きっと、今日、今頃、もっと美味しい飴とかもらっているかもしれないんだ。そう思いながら、冷たい冷たい水の中でユラユラ泳ぐ黄土色のマフラーを眺めていた。

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