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第15話 それをキスと呼ぶ

 びっくりした。びっくりしたっ。びっくりした!  放り出すように青君のマフラーと饅頭の入った紙袋を置いてきてしまった。だって、俺――  っていうか、何? なに、なになに、何? 俺は、何した?  ものすごい勢いで走って、廊下を曲がろうと思ったら曲がりきれず、肩が壁に激突した。それでも止まらないで、二階のA組まで走って、飛び込んで、その場にしゃがむ。 「はぁっ……は、ぁっ」  今日から部活復帰できるくらいにほぼ治っていた親指がなんでか急に痛くなるし、不整脈で心臓が破裂しそうだ。  だって、だって、俺はさっき、青君に、何したんだよ。  無意識だったんだ。青君の寝顔を見てたら、なんか、薄く開いた唇を見たら、どうしてか、体が勝手に動いて触れてた。  唇で、青君の唇に、触れていた。  その唇をきゅっと噛んで、痛いって思ったから、これは夢でもなんでもなくて、今、噛んで歯を立てているこの唇に触れた温かくて柔らかい感触も本物。  本物の、青君の唇。 「も……なに?」  頭を抱え込んで、まだ全然整うどころか動揺が現れるほどに乱れた呼吸を、ぐっと一度飲み込んで、大きく吐き出す。  自分でもわからないよ。何したんだよ。 「キ……」 「あ、こんなとこにいたのかよぉ」 「!」  心臓が止まった。止まるかと思ったとかじゃなくて、今、確実に一度止まった。 「お前、どこ行ってたんだよ。部活、始まってるぞぉ。先生はまだ来てねぇから、今のうちに早く来とけよ。ったく、新速攻思いついたからやりてぇのに、ガードのお前がいないんじゃ始まらねぇじゃんか」  益田がしゃべってる。 「あれ? どうかした? 腹、いてぇの? 饅頭?」 「っ!」 「おわっ! なんだよ、急に立ち上がって」  無理だ。 「帰る」 「は? おい、充?」  無理。こんなんで部活できるわけがない。 「おーい。突き指まだ痛いのかぁ?」 「治ったよ!」 「は? そんなら」  絶対に無理。だって―― 「でも! 帰る!」  俺は青君に、キス、した。  キス、したんだ。  気が付いたら触れていた。唇で唇に触れていたら、それは「キス」になる。驚いたよ。ものすごく、すごく驚いて飛び上がって、キスしたばかりの唇から心臓が飛び出るくらいに。  益田の呼びかけに応える余裕なんて、今の俺にあるわけがない。机の脇に引っ掛けていた鞄を鷲掴みにして、そのまま階段を下りて下駄箱へ向かう。急いで、でも、走ったら、もう心臓がもたない気がしたから、とにかく早歩きで駅に向かった。  青君は今も寝ているのだろうか。  起きて、俺にキスされたことなんてわかってもない青君は、そこにぽつんと置かれた饅頭で俺が来たってわかるよな。マフラーも置いてあるから、きっと俺が置いていったってわかると思う。  わかって、どう思うんだろう。  なんだよ、声くらい掛けてけよって思ったかもしれない。  キス、されたことも知らずに、また課題を続けるのかもしれない。そして、お饅頭を食べて、明日、ニッコリ笑ってうちのクラスに顔を出すんだろうか。 「無理……」  顔なんて見られないよ。だって、キスしたんだ。今でさえこんなに戸惑ってるのに、そのキスした本人の前で知らない、なかったフリなんてできそうにない。  どうしよう。  電車の中で揺られながら、心の中にずしっと圧し掛かるその言葉を少しでも外に吐き出すように溜め息をついて、額を手すりに当てた。  キス、しちゃったじゃん。何してんだよ、俺。青君だぞ? 青君は幼馴染で、和菓子が大好きで笑顔が可愛いけど、男子だぞ? 俺と同じ、男子で、でも、俺以上にカッコいいモテ男子で、どうすんだよ。どうしたらいいんだよ。わからないよ。どうしたらいいのかなんて、わかるわけがない。衝動的っていうのはきっと俺が今さっきしたことをさして使う言葉なんだろう。  本当に勝手に体が動いてた。青君の唇を見てたら、自然と体が動いて、唇に触れていた。その後のことなんて、これっぽっちも考えてなかった。 「はぁ……」  どうしよう。 「……」  青君にキス、してしまった。  なんで? どうして? なんて。 「……」  そんなの決まってる。キスしてしまって、これからどうしたらいいのか、どんな顔をして青君に会えばいいのかはわからないけれど、でも、キスしたのは。 「……」  青君のことが、好き、だから、だ。 「はぁぁぁぁ」  きっと今の溜め息は世界で一番重たい溜め息だと思う。 「あぁ……」  どうしよう。一番、無理だ。なんで、どこでどうしてこうなったんだろう。  どうしようもないよ。青君のことを好きになったって、どうにもならないだろ。 「もぉ……」  友チョコ、だったのに。青君がくれた、あのショコラはただの友だちの証だったのに、俺のあげた饅頭は友だちの領域を超えてしまった。 「た、だいま」  お母さんが、帰りが早いことにびっくりしていた。突き指がまだ痛むのかって心配して声をかけてくれたけれど「大丈夫」ってぼそりと答えるくらいしかできなかった。  そして、部屋に入って、机の上に置いてある、最後のショコラを手に取った。  これを、今日食べようと思ってとっておいたんだ。すごく綺麗に艶のあるチョコレートはすぐに全部食べてしまうのはもったいないから、大事にひとつずつ食べていた。まるで、好きな子にもらったチョコレートみたいに。  イヤホンをはんぶんこにしたの、全然イヤじゃなかった。顔を近づけても、「なんだよ」って避けたりもしたことなかった。逆だ。ドキドキしてた。好きな子の近くにいるみたいにドキドキしながら、その横顔を伺うように見ていた。 「どうしよう」  部屋に、すごく困っている自分の声が響く。  青君がお昼休みになるたびにうちの教室に来てくれるのが嬉しかった。ふたりだけで廊下で話すのはとても楽しかった。 「青君……」  深見じゃなくて、そう呼べたのが、すごく嬉しかった。青君と話せて、笑顔が見れて、それと、それと―― 「どうしよ……」  これ、俺って、さ、すごく青君のこと、好きなんじゃん。たくさんの今までを並べてみたら、ものすごく好きっぽくて、もう笑うしかないくらいに、本当に好き、っぽかったんだ。

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