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第16話 バイバイ、彗星

 好きだと気がついてしまった。  青君のことが好きなんだって、自覚してしまった。でも、自覚したからってどうにもならないじゃん。俺も青君も男なんだし、幼馴染で、同じ学校で、ご近所で、和菓子屋と洋菓子屋で、好きだとわかったって、どうしようもない。 「電源、よし」  だから、スマホの電源はオフにした。もしかしたら、青君からお饅頭のお礼がメールとか通話とかで来るかもしれないから。スマホの画面に青君の名前が表示されるだけで心臓が停止しそうだから、そもそもスマホ自体を使えないようにしておいた。もし、今日、青君以外でスマホに連絡をしてくるとしたら部活を急遽休んだ俺に益田がうるさく話しかけてくるだけだろうから。無視して大丈夫。あと、他だって学校の連中なんだから、明日、学校に行けばどうにでもなるだろう。 「はぁ、どうしよ、明日から」  自分のベッドに倒れ込んだら、なんか急に体がダルくなった。たぶん、一日緊張してたんだ。饅頭のことで頭がいっぱいだった。慣れない、しかもそんなに好きじゃないけど、青君の喜んだ顔を思い浮かべながら、真ん丸でふっくらとした饅頭になるようにって頑張ってたから。  喜んでくれるだろうか、美味しいって食べてくれるだろうか、笑ってくれるだろうか、って、ホワイトデーの今日は朝からずっとそのことばっかり考えてた。 「もう、この時点で決定だったじゃん」  渡すのに、こんなに一日使ってドキドキしてるのが友だちへの義理ホワイトデーなわけないじゃん。自分で自分に呆れるくらい気がつくの遅すぎだ。  ボソリと呟いた言葉はベッドのマットに吸い込まれていく。言葉って、口にすると、目に見えないくせに急に形が現れる気がする。 「青君が、好き、なんだ」  だから、そっと、自分の部屋でひとりっきりにもかかわらず、一番小さな声でそっと言ってみた。吸い込んでくれるのならって、マットに向かって呟いて、そして、目を閉じた。明日からどうしようって思いながら、ふと、気がついた。今、ベッドに倒れ込む時完全に自分の胸のところで手を、突き指している親指を下敷きにしていた。ちっとも痛くなくて、もう完全に完治している。逆に、その手を押し潰している胸のほうがよっぽど痛かった。 「おっはよ! みっちゃん!」 「……小坂さん」  今日も元気だな。まだ寒い三月なのに、まるでポカポカ陽気の中を散歩しているみたいな顔でしっかり手を振って隣に並んだ小坂さんがちょっと眩しい。 「部活! サボり? 休み?」  そんなことすら爽やかに明るく訊かれると、つられて「サボり」って普通に答えてしまいそうになる。サボりだけれど、それを公言するのはどうかと思うから、アハハって笑って誤魔化した。男子女子ともに一緒の練習日だから、小坂さんにも俺の行動は丸見えになっている。 「ねっ! ねっ! お饅頭! あげたの?」  無自覚だった時は一緒に笑って青君のことを話せていたけれど、今はちょっと乗れないんだ。だって、自覚したばっかりなのにさ。 「あー、うん、置いてきた」 「へ? 置いて? なんでっ!」  衝動的にキスしてしまったため、急いで逃げたから。せっかく頑張って作った饅頭も、初手洗いをしたマフラーもそこに放り出してきてしまった。 「なんか、課題をやらないといけなかったらしくて」  どんな顔で食べてくれたんだろう。美味しかったかな。餡子に入ってる砂糖ってハンパじゃないから、ちょっとそこまでの根性がなかった俺はドバドバ入れられなかった。だから、青君の好きな甘みが足りていなかったかもしれない。 ――どう? 美味しい?  そう訊いて、食べてるところを見たかったけれど。青君の笑顔が見たかったけれど。 「……みっちゃん? どうし、」 「こらああああ! 充! お前!」  ズドンって感じ。まさに激突されて、後ろから思いっきりどつかれて、益田のやかましい声が先に聞こえてなかったら、きっとすっ転んでいた。 「っなんだよ! 益田!」 「お前、お前のせいで速攻練習できなかっただろうが!」  知るかよ。そんなの他のガードと組んでやればいいだろうが。っていうか、来年受験で、夏には引退だからって、気合入りすぎだ。俺はそれどころじゃないんだよ。 「あ、深見君だ」  小坂さんの何も知らない無邪気な発言に、心臓が大きくジャンプした。 「ほら、みっちゃん」  ほら、じゃない。俺はそっちに顔すら向けられない。だから、少し俯いて、自分の視界をできるだけ足元だけ、狭くしながら急いで下駄箱へ逃げ込んだ。後ろで益田がバカだから大きな声で俺を呼んでしまうから、余計に早歩きになる。そんな大きい声で名前言ったら、青君に俺がここにいるってわかってしまう。こんな時、AとFでよかったって思う。離れているのは教室だけじゃなくて下駄箱もだから、一緒になることはほとんどない。 「おま、どうしたんだよ。急に早歩きになって。深見いたぞ?」 「……うん」  青君が俺のところに来なければ、遭遇する確率はバスケ歴五年のプレイヤーがボールを避けようとして突き指する確率よりもきっと低い。 「おーい、充?」 「……うん」  だから、こうしてれば大丈夫だ。自覚したばかりだけれど、でも、もう片想い確定の好きは持っていても辛いだけだから。  大丈夫。今まで十年以上、ずっとA組とF組みたいに離れていて、俺は普通の男子高校生、青君はモテ男子、その距離は秘境を探検するように遥か遠い。 「あ、益田、俺、昼飯、今日からしばらく教室じゃないとこで食べる」 「え? あぁ、深見と一緒に?」 「違う。別だから」  今まで別だった。元に戻るだけ。幸い、あと一週間ちょっとで春休みになる。そしたら、学校にも来ないんだ。ちょっと感じの悪い幼馴染ってことで片付けられるだろうから、それまで逃げ切ればいい。簡単だ。今までだって、少し気まずかったんだから、それに戻るだけ。  彗星は急接近してきたけれど、彗星だから通り過ぎてしまっただけ。  青い、青い彗星は通りすぎてしまいました。で、お仕舞いだ。 「うー……寒い……」  図書委員ってことで図書室のカウンターでご飯とか食べられたらいいのに、当たり前だけどあそこは飲食厳禁だから無理だった。他にいいところは見つからなくて、結局は屋外になってしまった。そして、青君に遭遇しないためには昼休みが終わるまで教室に戻ることもできない。 「……」  バターたっぷりで美味しかったはずのデニッシュパンって、こんなに味気なかったっけ。寒いから? 青君のくれる洋菓子屋さんのパウンドケーキの、コクのあるバターを知ってしまったから? あんまり美味しく感じられない。  でも、たぶん、数日で元に戻る。  青君だって、俺の味覚だって、きっと、そのうち普通になる。そして、自覚したばかりの片想いも一緒に消えてくれる。 「……はぁ」  そう思う。  なんだか、急にパサパサに感じてしまったデニッシュパンを飲み込むように、お茶と一緒に胃袋へ送りながら、自分の足元をじっと見ては早く時間がすぎてくれないかなって、願っていた。

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