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第21話 春の匂い、恋の匂い
春の匂いがした。
カラオケでたくさん盛り上がって、新しいクラス、新しいクラスメイトとの毎日が明日から始まるんだって、始業式に出てない俺は、このカラオケで実感したりして。ばあちゃんが知ったら、その場で失神するかもしれない。
学校の始業式サボって、帰りにカラオケしてきました、なんて。
「歌えばよかったのにさぁ」
斜め向いの洋菓子屋さんのせがれのことが、すごく好き、なんて、知ったら、白目むいてきっと倒れるだろうな。
「みつの歌、聴いてみたかった」
もう夕方。空は不思議な色をしていた。下のほうはオレンジ色なのに、上へ行くに連れて、紫がかった水色で、どうしてか途中、ほんのりとしたピンクも混ざってる気がする。この時期だけの限定カラーなんだろうか。ほら、桜の花びらと同じ、すごく薄いピンク色。
「やだよ。俺、歌下手だし」
「そんなこと」
綺麗な空だけど、いつも、毎日どんな色をしていたのか、俺はあまりちゃんと見ていなかった気がする。この、今日の空が特別に綺麗なのかどうかわからない。ただ、青と一緒にいると、全部にドキドキする。青につられるように、あっちにあるもの、こっちにあるもの、全部が好きになれる気がする。
「青は歌上手いじゃん」
「えぇ?」
「カッコよかった」
「ありがと」
へへって笑うとすごく可愛いのに、心臓が止まるくらいカッコいい時もあるなんて、ホント、ズルいよ。
「……寒くない? みつ」
ほら、また、心臓止まる。振り返った青の上に不思議で綺麗な空がたくさんの色を広げていて、ドキドキする。
「マフラーいる?」
俺が手洗いして返したマフラーはしっかり青の首を温めてあげていた。
「青」
「んー?」
髪が春風に触れて、揺れるのを眺めてるだけでもドキドキするから、「好き」だと自覚してしまった今、そのマフラーを首に巻かせてもらったらきっと、その場で蒸発してしまう。うん、きっと蒸発して、あの綺麗な空に溶けていくと思う。
「なんで、この前の百均の店で、マフラーを俺にくれたの?」
石ころを爪先でずっと蹴っていた青の横顔がオレンジ色に光っているのを眺めながら、そんなことを尋ねた。ほんの少しだけ、本当に少しだけ俺よりも前を歩いていた青がぴたりと止まった。
どうしたんだ? って俺もそこで足を止めて、顔を覗き込んだら、びっくりするくらいに真っ赤だった。
「あ、青?」
「あー……あれは、さ」
何? なんか、変なこと、訊いた? ダメだった?
「はぁ……」
「え? 何? ごめんっ!」
「んーん、いいんだけど、あまりにダサいからさ」
「?」
観念したって顔してた。ひとつ溜め息をまた落っことして、顔は変わらず真っ赤にしながら教えてくれた。その理由に、俺は真っ赤にもならなかったし、溜め息もつかなかった。ただ、嬉しくなった。
俺と小坂さんが付き合ってるって、思ったんだって。だから、デートの邪魔を少しでもしたくて、自分の持ち物を押し付けて、ちょっとだけだろうと自己主張したかったなんて言われて、胸のとこがきゅっと締め付けられる。
「小坂さんを勝手にライバル視してたんだ。んで、かなり焦って、みつから遠ざけたくて、小坂さんにニコニコ愛想ふりまいてみたり、クッキング部で作ったものをあげて、餌で釣れないかなって思ってみたり」
小坂さん、魚釣りされてたのか。ものすごくその餌にパクパク食いついてたんだ、彼女。
「それが、あの時、ふたりが百均でデートしてるって思って、なんか楽しそうに話してるのを見て、みつが何かを隠してるのがわかって、かなりショックで頭パーンってなった」
だからあのマフラーだけでも首に巻きつけてしまおうかと。ただのマフラーにできるわけがないけれど、邪魔したいって気持ちをいっぱいに詰め込んだんだ、なんて。
「っていうかさ! 俺! 本当にずっと片想いしてたからね!」
「青? 何、急に」
「まさか、みつとカラオケ行けると思ってなかったし、付き合えるとか全然ないと思ってたし。思いっきり片想いだったから、今でも、はい、これは夢でしたって言われたほうが納得がいくっつうか……なんつうか」
カラオケで解散だった。俺たちはのんびり、本当にのんびりと歩いていて、だから、そんなに進んでいないのに、空の下のほうにあったオレンジ色はいつの間にか消えて、てっぺんの空は水色じゃなく青色になって、色が濃く変わっていた。
「ずっと、眺めてるだけだと思ってたんだ」
それにつれられて、青君のキャラメル色はコーヒー色に変わっていく。
「ぶっちゃけ、毎日、朝とか校舎から登校してくる、みつを眺めてた」
あ、それで、なのか。前に、俺はあまり学校休まないのにって言われて、「?」ってなったんだ。突き指を病院で診てもらった日、電話してきてくれた時にそんなことを言っていた。よく俺が学校休まないって知ってるなぁって、少しだけ思ったんだ。もちろん、それだけのことで、青の片想いにまで予想が到達するようなことはなかったけれど。
「あのお饅頭とか本気で引くくらいに噛み締めて食べたからね」
「……」
「初恋が実るなんてさ、ホント、夢なんじゃないかって、今も、おおおおおっ! い、いひゃい」
頬に触れてしまった。青のほっぺたに触れて、思いっきり抓ってみた。
「い、いひゃいっては!」
「よかった、夢じゃないみたいだよ?」
「!」
痛いんだから夢じゃないでしょ。
「俺も夢なんじゃって思ってたから、ちょうどいい」
思いっきり抓ってしまった。でも、青の頬はっていうか耳まで真っ赤だから、赤くなるくらいに抓ったとしてもわからなさそう。
だって、青と両想いなんてこと、あまりに夢みたいで、現実だって慣れることあるんだろうかと思うほど。
「ちょ、俺のほっぺたで確かめないでよ!」
「アハハハ、俺は大丈夫」
「や! 俺もしたいから! 確認、今すぐしたいから」
「遠慮します」
「ちょ、みつっ!」
そして突然始まった追いかけっこ。空を見上げると、もうてっぺんは夜空の色をしてる。その空に青の声が響いて、俺もすごい笑っていて。青がはしゃぎすぎて、目がキラキラ輝いてるのが星空みたいでさ。
ふと、思った。
え? あれ? って、青の言葉を思い出す。すごくはしゃいでるのは、俺と両想いになれたからって。初恋が実ったからだって。
「みつーっ!」
なぁ、それってさ、それって、初恋って、ことはさ、青って誰とも付き合ったことがないんだよね? ね? ってことは、まだ――
「みつ?」
ってことは――いきなりフリーズした俺を「どうしたんだろう」と覗き込む青の頭のてっぺんには綺麗に星が輝いて、月も浮かぶ夜の空が広がっていた。
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