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第31話 子どもじゃなくなった部屋

「ど、どうぞ、ちらかってるけど」  青の部屋、って、こんなになったんだ。 「その辺、座っていいよ。適当に」  青が制服のポケットから鍵を取り出して、机の上に置く、俺と色違いの団子キーホルダー。緊張してるのかもしれない。あまり青のほうが見れなくて、部屋の中をキョロキョロしていた視線が今度は団子キーホルダーとその隣に並ぶスマホに向かった。 「あ、うん、ありがと」  ものすごくドキドキしてたりする。  お互いの家を行き来はしていた。でも、青の部屋に入ったのは一回だけ。小学校に上がるからって自分の部屋を作ってもらったって、嬉しそうに見せてくれたんだ。正直、その時、青の部屋がどんなだったのかは覚えてないけれど、まだ作りたてだったはずの青専用の部屋にはお気に入りのおもちゃと勉強をこれからするだろう机があったんだと思う。 「あ、すごい、やっぱ料理の本とかあるんだ」  俺の部屋にも本棚があるけど、料理の本なんてもちろんない。あるのは漫画ばかりって、ちょっとどうなんだって感じだけど、益田はその漫画を読み漁りにたまにやってくる。 「あ、すご、お菓子の本、高そう」  しかも本格的だった。料理のはどっちかといえば一般的というか、きっと部活で使うんだろうなって感じのだったけれど、お菓子のはフランスのパティシエとか書いてあるし、分厚くて大きくて、趣味程度の人が買うような本じゃない。  その隣に和菓子の本を発見した。  手にとってみると、これもずっしりと重い。中身にいたっては、もうレシピ本っていう域を飛び越えて、和菓子が芸術作品みたいに撮られていた。和菓子、好きなんだなぁって。それと、本当に和菓子屋に―― 「みつと一緒にお店とか持てたらいいなぁって、高校一年の時に買ったんだ、それ」  本当に和菓子職人になりたい人しか買わないだろう専門書だ。ページを捲る度に写っている色とりどりで、綺麗で、和菓子が好きじゃない俺でも眺めていられるほど、ただのお菓子には見えない芸術作品みたいだ。 「俺、本当にみつ一筋だから」 「……」 「まさか、その本をみつと一緒に見られるとは思わなかった」 「……あ、うん」  机も本棚も、もう真新しい子ども部屋じゃなくなってる。青の、高校生になった青の部屋に、今、いて、他に誰もいなくて、心臓が破裂する。 「みつ、あのさ……」  まるで図書室にでもいるみたいに本棚の前に一緒に並んでいるけれど、でも図書室じゃないから、誰もいないから、五回目があるのかもって、期待して心臓がパンクしそう。 「やっぱいい。ごめん、なんでもない!」  五回目の、キス。 「え、何? 青、言って」 「なんでもない、なんでもない!」 「や、すごく気になるから。そう言われて、そっか、ふーんってならないから」  でも、もし、言いかけてやめたのが益田だったら、俺は「ふーん」って言ってそのままスルーする。そして、逆に言うのをやめたはずの益田が「訊けよ!」って怒りながら勝手に話し始めて、それを俺は聞いてなさそう。でも、青じゃ、スルーなんてできない。 「なんでもないよ、あ、お茶、ごめん! お茶!」 「何っ?」 「……ホント、なんでもないから」 「何?」  青のシャツの袖をクンと引っ張って、言いかけて飲み込んだ言葉を突付いてねだった。 「何?」 「……みつの部屋」 「え?」 「彼女、来たことあるのかなって」 「……」  青の顔が真っ赤だった。青が俺の過去を気にしてる。そのことにびっくりした。 「ごめん、マジ、ずっとみつ一筋だったから、ちょっと知ってる」  高校一年の時に、ほんの短い間、彼女がいた、こともあった。すぐに別れたし。っていうか、別れたって言葉はあまり合わない気がするほど、自然消滅だったんだけど。 「ごめん、やっぱ言わなきゃよかった。忘れて。というか、なかったことにして、ごめん。さすがに引くよね。もう前のことだし、そんなの」 「来たこと、ないよ」 「……」  彼女がいたこともあるけれど、あの「彼女」と、今、俺の目の前にいる「彼氏」が全然違うのがよくわかる。 「ちょくちょく話しかけられて、告白されて、なんとなく付き合ったんだ」 「……」 「でも、なんとなく終わった」 「……」  一緒に帰ったことがある。廊下ですれ違って、ちょっと話して、デート、もしたことがあるけど、一回だけだった。たしか、映画を見に行って面白かったねって言って、帰った。彼女といる時、こんなに心臓がせわしかったことはない。 「部屋に来たことないし」 「……」 「一緒に帰ったりとかしただけ。ちょっと多めに話すくらいなだけ。その、それ以上のことは何もない、というか、その」 「それ以上って、こういう、こと?」 「……ン」  青が首を傾げた。ゆっくりと近づいて、ゆっくりとチョコレート色の瞳を伏せて、俺もつられるように反対側へ首を傾げて、目を伏せて、そして、唇が重なった。  柔らかくて甘い唇にちょっとだけ吸われたら、和菓子の本を持つ指が必要以上の力をこめてしまう。部屋には俺たちだけしかいないから、とても静かで、キスの音がよく聞こえた。 「ごめん、俺、ダサいけど」 「青は! ダサくなんか!」 「今度、みつの部屋、行きたい」 「もちろん!」  青の骨っぽい指が俺の手に触れて、ずっと、手に持っていた分厚い専門書みたいな和菓子の本を受け取ってくれて、指先がジンジンした。「重いでしょ」って微笑みながら低い声で呟かれて、耳のところがくすぐったい。 「ホント、俺ってダサいんだ」 「そんなこと」 「ずっと、みつ、とキスすることばっか考えてた。ね? マジで、本当にダサいでしょ?」 「ないよ」  どうしよう、五月だから? もう夏が一足どころか二足も三足も早く来たんじゃない? 「ダサくなんてない」 「みつ」 「ンっ」  だって、俺はバスケをしている青を見て、キスしたいと思った。青のこと、もっともっと独り占めしたくて、もっとキスしたくて、独占したくて、慌ててサッカーしに行ったんだ。のぼせそうなほど熱くなった身体を落ち着かせたくて慌てて駆けていた。  俺こそ、青とずっと、キスしたかったんだ。 「ン、ん……ン、ぁ、っ青っンンっ」  もっと深くて、すごくやらしいキスをしたいって、思ったんだ。 「み……つ」 「ん、青」  さっき掴んで引っ張った裾をまた引っ張ってしまう。息をするのが苦しいのに、呼吸よりも、青の。 「ン、ぁ……お」  青の舌に触れて、青の舌も俺の口の中に触れてくれるのが嬉しくて、もっとそうしたくて。引き寄せる方法がわからない俺はその裾を引っ張ってしまうんだ。 「青……っン」 「おーい! 青葉ぁぁぁ?」 「「!」」  ふたりして飛び上がった。慌てて、「はい」なんだか「ひゃい」なんだか、扉のドアノブをがちゃがちゃしている向こう側へと変な声で返事をする。 「ご飯だよー! みっちゃんと一緒に降りておいでー!」  一階がお店、二回が住居。キッチンのほうからお母さんのよく通る声を聞きながら、ちっとも乱れてないけれど俺も青も慌てて襟元を正していた。

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