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第32話 廊下で、こっそりと

 青とした、ディ……ディープキスに心臓が破裂するかと思った。でも、そのあとに青のお母さんが出してくれた手製ちらし寿司にお腹こそ破裂するところだった。  久しぶりに青のうちを訪れた幼馴染に少しお母さんのテンションは高めにご馳走してくれた夕食。ふたりで、ディ、ディープキスの余韻がある唇をお互いに妙に意識しつつ、リビングのほうへ行くと、目を疑うような、こんもりとした山のようなちらし寿司が目に飛び込んできて釘付けになった。  それを全部平らげて、それからお母さんと少し話をした。俺はバスケ部にいること、学校での青の様子も聞かれたっけ。モテるよって教えると、本人からそんな気配はこれっぽっちも感じないって疑いの目をしてた。  ホントだよ? 青ってめちゃくちゃモテるんだ。益田っていう、俺の友だちなんだけど、そいつにには「最強布陣のエース」っていう異名をつけられてるくらいのモテ男子高校生なんだよ。 「これ、昨日の残りだけど、食べる?」 でも、そのモテエースと、俺は、キスをした。 「うちの焼き菓子。抹茶にしたんだって」  ディープ、キス、した。それまでにしたキスと全然違うキスだった。柔らかいけど濡れていて、ゾクゾクした。  そう、ゾクゾクしたんだ。あんなの初めてだった。指先から痺れるように何かが駆け上って、ぞわっと肌の上を撫でていく感覚。それに名前をつけるとしたら「ゾクゾク」っていうのが一番合っている。風邪の時の冷えとは違う、ゾクゾク。 「みつ?」 「!」  青の唇をじっと見つめてたら、その唇に名前を呼ばれて、頬が急に熱くなる。 「みつ? お腹いっぱいになった?」  今日は雨降り。昨日の帰り、同じ商店街、同じ通りの斜め前、超至近距離にもかかわらず送ってくれた時に見上げた空には星が輝いていたのに、今朝は起きた時から雨が降っていた。梅雨らしい、じめじめとした雨がずっと降り続いていている。だから屋上にはいけなくて、かといって教室じゃなくて、ふたりっきりがいいからここにした。屋上に続く階段、そこに座ってお昼ご飯を済ませたところで、青が最後、少しだけ唇の端を舌で拭うのを見たら、昨日のことを思いっきり思い出して、目が追いかけてしまった。 「食べる? 抹茶、なんだけど」 「あ、うん。いただきます」 「どうぞ」  抹茶も洋菓子に入ってくると途端に美味しく感じられる。 「あ、すごい、美味しい」 「よかった」  和菓子に入ってるのはやっぱりあまり好きじゃないのに、洋菓子マジックなのか、それか青と一緒に食べるから味覚がなんかおかしいのかもしれない。  階段を椅子の変わりにして、外は思いっきり雨だけれど、ふたりで並んで食べた。そしたら、そこが階段だろうが、高級レストランだろうが、どこでも大差ない。だって、俺は青のことばかり見ているだろうから、そこがどこだろうとあまり変わりはないんだ。 「……みつ」 「?」  青のことしか見てないから、どこでだって、楽しくてドキドキ、してる。 「……ン、ん……っ、ぁ……」  キス、だ。って思った、ずっと見つめていた唇が近くに来るのを見て目を伏せて、どんより雲と一日中降りしきる雨のおかげで少し薄暗い階段のところで、キスをした。 「っン」  キスの音はきっと雨の音に混じって誤魔化せる。 「みつ」 「ん、青っ……ン」  ビクンッ! ってしてしまった。舌同士が絡まり合って、ぴちゃって、濡れた音が俺たちの唇同士の間で、雨音よりももっと密度の濃い音がした瞬間、すごく背中がまたぞわぞわして、ビクンって揺れてしまった。 「……みつ」  音だけじゃなくて、やらしい感触がする、甘い甘いキス。 「あの、ごめん、あんま見つめないで」  青が溜め息をひとつ吐いてから、口元を手の甲で隠して肘をつく。その耳が真っ赤だった。 「すっごい、いっぱいキスしたいのを我慢してるから、あんま見つめられると、我慢できなく、なり、ます」 「青」 「……はい」  敬語が可愛い。そのくせ、キスする時に首を傾げる仕草はその場で蕩けてしまえるくらいにカッコいい。それと、首を傾げる時に喉のラインが男っぽくて、たまらなく、なり、ます。 「俺も、したいから見てたんだけど」  見てるだけでゾクゾクします。キスがもっとしたくて、ゾクゾクしてます。隣に座る青をちらっと覗き見たら、真っ赤になりながら困っているのと怒っているのを混ぜた顔をしていた。 「もぉぉぉ……無理! 我慢、俺、けっこうしてるんだからね」  そうそう、青って、さっくりとしたクッキーみたい。思い切りがいいっていうかさ。俺は青のことを好きだって思った次の瞬間には諦めようと思った。でも、青は諦めずに、一刀両断してくれていいからっていって、気持ちを伝えてくれる。  甘くて柔らかくて、ホッとするほど優しいけれど、すごくサクサクしている。そういうところもすごく好き。 「俺も、すごく、我慢してます」 「!」  今度は俺が首を傾げて、ちゅ、っとキスをした。一回目二回目、三回目、とにかく、触れるだけの可愛いやつ。  青の怒った顔も困った顔も、笑った顔だって、どれもこれも好きで、ディープキスも、こういうキスも全部好き。溢れそうなくらい、青が好きだ。 「みつのこと、ホントに」 「好きだよ」 「! ちょっ……ちょ、なんか、そういうの、すごく、その!」  口をパクパク開けながら、嬉しいけれど、先に言われたことがちょっと悔しくて、でも、やっぱり嬉しくて走り出したいような顔をしている、そんな青といるのはドキドキして、楽しくて、一日雨でも笑顔になれる。  雨すらきっと楽しく思えて、笑ってしまう。 「なんか! みつ! 余裕っぽい!」 「えー? ないない、余裕なんてないよ」 「俺のほうがない! もう知らない! 我慢しないで、襲うから!」 「は? ちょ、それ俺の焼き菓子」 「うちの店のです!」 「……お前ら、お菓子くらいで喧嘩するなよ」  楽しすぎて、はしゃいでしまった。誰にも見つからないようにって薄暗くても、雨の湿気でジメジメしてても階段のここで昼にしたのに、益田に見つかってしまった。  ふたりでランチしたかったのに。 「もう、探したんだぜ? C組いったら、なんか、見当違いのところ言われて、全然見つけられなくて」  あ、きっと島さんだ。島さんが誤魔化して、ここに来るのを邪魔してくれたんだ。ぶつくさ文句を言いながらも、ほら、益田が顔赤いから、きっと最強布陣の一角、最強に可愛い島さんと会話できて嬉しかったんだろ。にやけてる。 「何? また夏の大会に向けて、新速攻とか?」 「いや、違う」  にやけた顔が消えて、あの益田が珍しく真剣な顔をした。 「益田?」 「……見たんだ、俺」  その真剣な顔、台詞に、俺も青も身構える。見たって、何を? そう訊こうかと思いながら、益田が何を次の言うのか、固唾を呑んで見守る。 「見たんだ!」 「……」 「俺! 深見! お前はバスケ部の救世主だっ!」  そういって、青に飛びつこうとする、わがチームの益田ゴリラ。青の絶叫と、俺の笑い声と、そして、ゴリラ化した益田の勧誘が、階段だけじゃなく廊下にまで、雨雲を吹き飛ばしてしまえそうなほど響き渡っていた。

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