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第33話 「好き」が走る、その速度
昨日、梅雨明けが発表された途端、夏が来た。
「益田ー! そろそろ俺たちも帰ろう」
「充! 俺、フリースローの腕上がったぜ! 百発百中! すげぇだろっ! 見てろよ?
…………あ」
ちっとも人の話を聞かない益田の手から放たれたボールはボードに見事跳ね返ると、大きな弧を描いて飛んでいった。
「おお……見事だ。ほら、帰ろう」
「うっせ! 失敗くらいあんだろっ! おっかしいなぁ。自主練の時は入るんだけどな。やっぱ見られてっと緊張するっつうか」
「いいから、帰るよ」
益田のバスケ少年化が止まらない。ぶつくさ呟きながらボールを拾って、今度は適当に身構えることなくシュートをした。
「んがっ!」
「はい。帰ろ」
入らなかったけど。
「お前! あと少しで引退なのにっ! 冷めてるな! クールキャラかっ!」
「はいはい」
俺らが出ないと、一年は片付けが終わらないんだから。俺たちも一年の時は早く帰りたいのにって思っただろ。
夏が来たら、俺たちは部活を引退しないといけない。高校でバスケができる最後の大会が来月に迫っていた。この後は「進路」を本気で考えなくちゃいけないから、この、夏の大会が終われば「引退」。そして、そこからはきっと勉強三昧。夏休み中に部活をしながら夏期講習っていう奴もいる。この大会が俺たちの区切りになっていた。
「手元が狂ったぁぁ!」
「益田はじっとしながら打つシュートが本当に苦手だな」
「うっせ!」
シュートが決まらないのも、これから待ち受けている進路も悩ましいけど、でも、俺にはもっと悩ましいことがある。
「おーい! みつー!」
「あ、深見だ。げ、もうそんな時間か。んじゃ、そろそろ帰っか」
俺の「悩ましいこと」がキャラメル色の髪を揺らしながら、体育館の入り口で手を振っていた。益田がワフワフ大型犬みたいに、青のところへ、クッキング部から差し入れを期待して走っていった。
「益田とふたりっきりで体育館で居残り練習とか、ちょっと内心、ざわつくんですけど」
俺は今、青とは別の意味だけれど、内心、ざわついてるんですけど。最近、青といる時、ずっとざわついてるんですけど。でも、それは俺だけなのかもしれない。青はいつもと変わりなく笑っていて、嬉しそう。満足そうなその笑顔に、ほら、胸の辺りがざわざわする。
「なんで、益田……そこはせめて小坂さんとかにしてほしい」
「え? 何? やっぱり小坂さんって」
青の大きな声が夜空に広がる。
「あるわけないじゃん」
ないよ。全然ない。よそ見なんてありえない。こんなに青のことが。
「はぁ、みつは自覚ないからなぁ」
青のことがすごく好きなのに、他へ目移りなんてするわけがない。自覚がないのは青のほうだ。最近、本当に、困ってるんだからな。
「この前、島さんが言ってた。充君カッコいいって、D組の女子が言ってたんだって。ライバル出現率高すぎ」
知らない。そんなの俺はどうでもいい。青のことが好きだから、他なんて知らない。
夏になれば制服だって夏服になる。ゆるく結ばれたネクタイ、第一ボタンを外した半袖姿の青にドキドキしてる俺は、D組のことまで気にしてなんていられない。
「なんか、梅雨明けたら一気に暑いよね。まだ夜はマシだけど。あ、明日、プールじゃん!」
青のキャラメル色の髪が風に揺れた。
何? 甘い香りがした。少しだけ独特なスパイスが混じる、この香りは。
「はい。これ、今日はアップルパイです」
あぁ、アップルパイのシナモンの香りだったのか。今日のクッキング部で作った一品。
「あれ? でも、だって、さっき益田には」
「あれは余った生地で作った。リーフパイ」
あいつ、余りものであんなに嬉しそうにしてたんだな。「わーい」なんて、はしゃいで、青からの差し入れを受け取っていた。なんて無邪気な奴なんだ。
毎回、部活終わりで腹が減っている俺に差し入れをくれるおかげで、最近はお小遣いの減りが遅くなった。学校帰りの買い食いがなくなったからだ。
ビニール袋に入っていて、針金リボンでクルッと口のところを縛られたアップルパイ。封をしてあるのにシナモンとバターの香りがして、急激に空腹感が増していく。
ツヤツヤしていて、網目状に重なり合うパイ生地はすごく綺麗で、ちゃんと包装もされているから、どこかのパン屋で売ってそうだ。いつもそう。青は簡易だけれどちゃんとプレゼントみたいして渡してくれる。こういうとこは相変わらず、古風な乙女なのに。
最近、青が変わった。
「こっちが本命。はい、どーぞ」
なんか、急に男っぽくなった。
「あ、ありがと」
そして、俺も変わってしまった。
本命って単語にいまだ、こんなにドキドキするのに、俺は欲張りになった。青の本命が俺っていうだけで、前ならたまらなく嬉しかったのに。
「公園、行こっか」
「あ、うん」
「夏の大会、来月だっけ。俺、見に行ってもいい?」
「えぇ? いいよ。っていうか、まだまだ先だよ。益田はなんか、明日にも始まりそうなノリでいるけど」
「たしかにまだまだだね。夏休みも始まってないし」
青と一緒にすごす初めての夏休みになる。海とか、行くかな。あと、今月末には花火大会もあるし。あ、でも、青は人気者だから、一緒に行きたいって人が殺到するかもしれない。俺らのことは内緒にしてるから、「好きな人とふたりで行くんで」なんて言って断ることはできないんだ。友達と行くって言えば、それならいいじゃんって皆も一緒に来たがる、よな。ふたりで見たかったけど。そしたら、海は必ずふたりで行きたい。
うん。そこはどうにかして死守しよう。いざとなったら、島さんっていう強い味方もいるし。
よし、海は死守だ。
そう決めたところで、青と目が合った。そして、クスッと優しく笑われて、その笑顔にツボを押された。
「みつの誕生日を祝えるの、めちゃくちゃ嬉しいなぁって思ったんだ」
「俺、の?」
「八月八日、でしょ?」
「あ、うん。よく覚えてたね」
「そりゃ……好きな人だからね」
またふわりと微笑んだ。
「あ、あり、がと」
そんなに嬉しそうに笑われると、なんか照れる。
「ケーキ作る」
「え? い、いいよ、大変じゃん」
「え? 俺、ケーキ屋の息子だよ? それにずっと作りたいなぁって思ってたんだ。みつ、子どもの頃すっごい喜んでたじゃん」
喜んでた。だって、その日は和菓子じゃなくてケーキを山のように食べられるから。「FUKAMI」のケーキが食べられる貴重な日。あと、クリスマスも同じ理由で好きだった。
「楽しみにしててね」
なんで、そんなにカッコいいんだよ。なんか、ズルい。
横顔が大人っぽくなった。夏の湿気をはらんでいるけれど、夜になって陽差しの熱がなくなった風がスーッと俺たちの周りを通り過ぎていく。
その風に揺れる髪が少し邪魔だったのか、青が手でキャラメル色の髪をかき上げた。
「う、ん。楽しみに、してる」
青のほうが片想いは長かったのかもしれない。けど、きっとその長い片想いに負けないくらいに俺は青のことをすごく好きだよ。
今の俺は自分でも戸惑うくらい、本当に青のことが好きなんだ。ゆっくり笑う青の隣で、俺の「好き」は身体の内側を端から端まで駆け回っていた。
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