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第34話 もっと、もっと
こ、これは……マズイ。
そう思ったのとほぼ同時、俺の中の警報と同じタイミングで、先生の吹くホイッスルの音が青空に響き渡り、一列に並んでスタートを待っていた生徒が一斉に泳ぎ始めた。
今日の体育は、水泳だった。
プールの授業は予定でならもうとっくに始まっているはずだった。でも、梅雨が異例の長さで、七月に入ってもまだ、ジメジメと続いていたから、体育の授業がプールに変わったのは今日から。初めてのプール。
俺が青の、は、は、裸を見たのも、初めて。
正確に言えば、保育園以来なんだけれど、園児時代の裸は今と全然違う、平和そのものみたいな丸いお腹をした幼児体形だったから、カウントからは省きたい。
問題は、今の、あの、攻撃力充分な青の裸。
ホイッスルの音と一緒に泳ぎ始めた一団の、ちょうど真ん中に青がいた。青がクロールで水をかく度に上がる水飛沫が宝石みたいにキラキラ輝いている。
正直、カッコよすぎる。
いつも以上にカッコいい。というか、眩しい。
五人が同時にクロールで二十五メートル先のゴールを目指す。その五人の中で青だけがドキドキするほどの輝きを放っていた。
ひょええええええ――それが、水着姿になった青を見た瞬間の俺の心の声だった。
「大丈夫? みつ、暑い?」
「!」
泳ぎ終わり、プールから上がってきた青が水を滴らせながら、近寄ってきた。ひょええええええ、の絶叫が五割り増しになってしまう。
何、その感じ。俺、生まれて初めてあの言葉を使いたくなったよ。
水も滴る良い……この場合は、男、だけど。
「みつ? どうしたの?」
なんで、水泳帽取るの。取った瞬間にいつもよりも乱れて、濡れて長く見えるキャラメル色の髪が青の瞳を隠してしまう。それを邪魔そうにかき上げたりなんてして、これはどこの広告ポスターですかってツッコミ入れたくなるくらいにカッコいい。
誰だよ。今年は絶対に青とふたりで海に行きたいなんて言ったの。
「泳いでるの、見てた?」
俺です。青と海とか行きたいって言いました。言ってました。でも、これは、海とか行ったらダメな気がする。海の開放感で、女子が、水着姿の可愛い女子がこぞって青をグイグイとナンパしに来ると思う。ふたりっきりで行ったら、逆に危ないんじゃないか? 島さんが一緒だったら、彼女持ちね、って言って、ナンパ攻撃からは逃れられるんじゃないか?
「俺、あんま得意じゃないんだ。水泳」
ちょっとだけ、チクリと胸のところが痛くなった。俺と青が一緒に行ったら、関係性はただの「友だち」になる。でも、それが島さんだったら「彼女」になる。なんて、俺たちが付き合ってることは誰にも言えないから仕方のないことなんだけど。知られるほうがまずいんだから、わからないほうがいいんだけど。
でも、ちょっと胸が切なくなる。
「もっと泳げたらカッコいいのにね、俺、あんま得意じゃないから」
「今でも、充分、上手いと思うけど」
そして、充分、カッコいい。あの泳ぎで得意じゃないなんて言ったら、益田はどうしたらいいんだ。あいつ、バスケしているところはそれなりだけど、ホント、泳ぎに関しては見てて可哀想になるくらいに下手なのに。
「水泳部に入ってたら、もっと上手になれたかなぁ」
「それはダメ、絶対に」
クッキング部であれなんだ。水泳部になんて入ってみろ。きっと女子全員がマネージャーになりたがって、学校がカオスになる。絶対に。
「えぇ、なんで?」
「カッコよすぎるから」
「?」
青が首を傾げた。カッコよすぎるから水泳部に入っちゃダメっていう、意味のわからない理由にすごく不思議そうだ。
だって、自分で自分の体見てほしい。何それ。料理ばっかりしているはずなのに、薄っすらとシックスパックらしきものすら見える引き締まったお腹、力強い胸、腕、そして、見てるとドキドキしてくる鎖骨。同じ歳の、ご近所に住んでいる幼馴染とは思えない、モテ男子そのもの。
そう、俺と同じ男で、何もかも同じはずなのに、青のほうをちゃんと見られないくらいに動悸が激しくなる。
青以外には普通にしていられるし、何も感じないのに。青にはドキドキして仕方がない。
「俺には、みつのほうがよっぽどカッコいい、っていうか、綺」
そこでホイッスルが鳴った。
「あ、今度は俺だ。青、ちょっと言ってくる」
「……うん」
青は、どうなんだろう。俺を見て、ドキドキしたりするんだろうか。青みたいに見事な裸じゃない、普通の一般的標準体型の俺を見て、その、つまりは――
「位置についてーっ! よおおおいっ」
潜ると水の中は真っ青だった。ひんやりとしていいて、今、熱くてのぼせそうだった俺はそれがすごく心地良かった。
「ふわぁ……」
今日、これで何度目のあくびだろう。
水泳の授業があると、その後、途端に眠くなってしまう。お昼直前の水泳で疲れて、お腹が空いて、昼食を食べ終われば、残るは疲労から来る眠気だけ。午後の授業はそれとの格闘で終わった。
「ふわぁぁ……」
これで部活とかしたら、俺、帰り歩きながら寝そうだ。
「あ、ねぇ! 君」
青、今日はクッキング部で何を作るって言ってたっけ。あ、そうだ、ナンだ。ナン。
ナンだけっ? って、ちょっとびっくりしたら、青が楽しそうに笑って、ナンを生地から作って、焼いて、その中に炒めたカレー味のひき肉と野菜を包むって言ってた。
「ねぇ! そこの黒髪君」
あ、想像しただけでお腹が減る。早く、部活終わらないかな。
「おーい」
っていうか、青に会いたい。教室も一緒、お昼も一緒、行き帰りも一緒、これだけ一緒にいても、まだ足りない。もっと、って思ってしまう。
「バスケ部、だよね!」
「!」
いきなり目の前に飛び込んできたのは、カフェオレ色をした髪だった。
「え?」
「バッシュ、持ってたからさ」
「……ぁ、え、はい」
「悪いんだけど、体育館行くんなら、俺も一緒にいい?」
制服を着ていない。かといって、先生にしては若いし、服装だって、ジャージでもシャツでもない。それにこんな先生なんているわけがない。
「あ、あの」
「懐かしいなぁ」
「……え?」
ここの卒業生?
「俺、ここの高校出身なんだわ。でも、ほら、この風貌でいきなり体育館とか、ちょっと緊張するでしょ? だから、君と一緒に行こうかなと」
「はぁ」
その人はニコッと笑っていた。俺は、ホント、申し訳ないんだけれど、軽薄そうな大学生だなぁくらいにしか思っていなかった。
「今日から、約一ヶ月、たまに、かもしれないですが、OBとしてコーチをさせてもらうことになりました。中原弘樹(なかはらひろき)です。宜しく」
練習前に正式な自己紹介があった。カフェオレ色の髪をしたその人は、うちの高校出身で、今、大学リーグの強豪でレギュラーを張っている、ちょっと有名はバスケット選手だった。
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